第20話 導き出した答え
居ても立っても居られなくなって、ダリアとレンとサナに挨拶だけして、イサギはカフスボタンの入った小さな巾着を握り締めたまま、走り出していた。王宮の門に脚を引っかけて転んで、巾着と荷物を持っていたので手を付けなくて、思い切り顔を打つが、それにも構っていられない。
息を切らせてエドヴァルドの元に戻って来たイサギに、使用人たちの目は相変わらず冷たかったが、それも気にならず、エドヴァルドの部屋に入れてもらって、二人きりになる。
汗びっしょりで、顔も擦りむいているイサギの顔をお湯で濡らしたタオルで拭いてくれるエドヴァルドに、息が切れて喋ることができないままで、イサギは荷物を投げ出して、巾着の紐を緩めて、手の平の上にカフスボタンを出した。青いカメオのカフスボタンには、狼の横顔が彫られている。
「あ、あ……こ、これ……」
「小さかったから、失くしてしまったものだと思っていましたよ」
渡されたときにまだイサギは7歳で、こんな小さなものをずっと持っていられるとはエドヴァルドも考えていなかったのだろう。どこかに失くしてしまうか、忘れてしまうか。
「け、結婚してて、俺が言うたら、エドさんは、これをくれたんや」
前国王から賜った魔術具は、結婚してどこかの領主の元に行くエドヴァルドへの
脚にしがみ付いて泣きながらした求婚の返事がこれならば。
「私のことを慕ってくれるあなたが、可愛くてたまりませんでした。成長して、同じように思ってくれるのならば、腹を括るつもりでしたよ」
「ずっと答えはここにあったのに、俺はとんでもない阿呆やった……」
「気持ちは、変わっていませんか?」
「もちろんや。エドさん、俺と結婚してください」
カフスボタンを持った手をエドヴァルドの手と重ねると、暖かいもう片方の手で上から手を包まれる。
「苦労しますよ……でも、約束です。お受けいたします」
婚約という形で、今すぐに結婚はできないけれど、ローズという名前になったファーストが約束してくれた通りに、エドヴァルドはイサギの気持ちを受け入れてくれた。嬉しくて涙が溢れるイサギは、サナが必死にレンに愛を請うていたときの涙の理由を知った。
感情が溢れると、ひとは涙腺が緩くなってしまうものらしい。
「約束やし、結婚するまでは、なにもせぇへんけど……その、エドさんて、俺と、とか、大丈夫なん?」
「男性同士でも性行為ができるのは、知っていますか?」
「それは、分かる。でも……どっちかが、なんていうんやろ、女の方をせなあかんのやろ? どうするか、具体的に分かってへんのやけど」
「参考までにイサギさんは、どちらを?」
どちらを望んでいるかと問われれば、まだ15歳だが精通も迎えている健康な男子であるイサギは、女役をやるのは想像ができなかった。エドヴァルドが嫌でなければ男として、性行為には臨みたい。
「エドさんが相手やったら、どっちでもええんやけど、エドさんが嫌やなかったら俺は、男やし……」
一度は惚れた相手を抱きたい。
上手に言葉にできないながらも、必死に気持ちを伝えようとするイサギの額に、前髪を掻き分けてエドヴァルドがキスをしてくれた。
「結婚の後に、気持ちが変わらなければ」
8年間イサギが想っていたのとは形は違うかもしれないが、エドヴァルドは彼なりにイサギのことを想い続けてくれていた。涙と洟を拭いて、エドヴァルドの胸にしがみ付いて、イサギはしばらく幸福に浸っていた。
クリスティアンに報告をすると、彼は興味深そうに青い目を細める。
「失くしたどころか、ちゃんと目を付けた相手に渡してたなんて、兄さんも抜け目がない」
「聡いあなたのことです、気付いていたのでしょう?」
「兄さんがこの屋敷の客間を貸すような相手だよ。気付かないはずがないでしょ」
初めてイサギを見た瞬間から、クリスティアンは予測が付いていたのだという。
「この子には『先見』の能力があるんじゃないかと、私でも時々思うんですけどね」
「未来予知なんて、数百年に一人しか生まれないような特殊な能力、持ってるはずがないじゃないか。全ては観察だよ、兄さん。それにしても、おめでとう」
「ありがとう、クリスティアンさん」
「家族になるのだから、クリスで構わないよ、イサギさん」
「せやったら、俺のことも、イサギって呼び捨てにしてや」
これからますます使用人たちの態度は冷たくなるだろうし、エドヴァルドの両親は妾を持たせようとするかもしれない。女王に認められた結婚とはいえ、これから先がすんなりと行くとも思えない。
それでも、クリスティアンが味方で、祝ってくれることがイサギには嬉しかった。
「この家は僕が継ぐから、兄さんは彼とセイリュウ領で暮らせばいい」
「え、ええの?」
「女王陛下たちにお伺いを立ててみましょうね」
気が急いて堪らず、転んでも走って帰った道を、今度はエドヴァルドと手を繋いでゆっくりと歩いて戻る。王宮に戻って来たイサギは、サナと共にローズ女王とダリア女王の前に出た。
膝を付き、深く頭を下げるサナとイサギとエドヴァルドとレンに、ローズ女王が白い手袋をはめた手で顔を上げるように指示をする。金糸雀だった黒髪の少年、リュリュは王配としてローズの隣りに控えていた。
「妹から話は聞いた。サナ、レンは妹の大事な友人だ。たまにはこちらに顔を出させてやってくれ」
「ダリア女王はんとレンさんが望まはったら、いつでも、こちらをお訪ねしますわ」
「こちらで働けて、わたくしは本当に幸せでした。また、ダリア女王とローズ女王に魔術具を贈らせていただきます」
王宮から送り出される形で、身分に関係なくレンはサナと結婚を許される。
これが、ダリアの行いたい改革の第一歩となるのだろう。
「失くした物は見つかったのだな、エドヴァルド」
「私が、最初からイサギさんに預けていました。彼が気付かなければ、一生結婚など考えなかったでしょう」
「つまりは、両想いだったということか」
面白そうに笑うローズは、そのことを察していた気がする。
王族の一員と結婚するのだから、イサギがテンロウ領に入るのか、それともエドヴァルドがセイリュウ領に来てくれるのかは、大事な問題だった。
前の領主の息子とはいえ、イサギは貴族らしい暮らしもしたことがないし、家もごく平凡で、使用人もおらず、養父が結婚で家を出てからは、妹と二人で暮らしている。
「俺は、エドさんをセイリュウ領に連れて帰ってええんでしょうか?」
「それについては、そなたの保護者に聞いてみるか」
視線を向けられて、サナは眉間に皺を寄せていた。ただでさえ、男性同士という同性の結婚で、テンロウ領からは良く思われないに決まっているのに、厄介ごとを押し付けられた気分に違いない。
「イサギ、お前、真面目に魔術師をやる気、あるんか?」
「真面目に魔術師をって……」
「お前は気付いてへんかもしれんけど、お前には薬草学の才能がある。お前の育てた薬草は育ち方が他のと全然違う」
顔を王座の横に向けたサナに、イサギも視線をそちらにやると、皿の上に砂浜と水場を作った大きな箱庭に、パラソルを立ててもらって、植物用栄養剤を飲みながら人参マンドラゴラがセクシーに脚を組んで寝そべっている。
幸せを満喫しているのは、ローズとリュリュ、サナとレン、イサギとエドヴァルドだけではないようだ。
「確かに、こんな個性的で元気な人参さんは見たことないです」
「リュリュが可愛がっているから、長生きしてもらわねば困るな」
「はい」
王配のリュリュにだけは蕩けるような笑顔を向けるローズからそっと目をそらし、イサギは愕然としていた。
「普通の人参マンドラゴラは、脱走せぇへんもんなん?」
「お前がポチって名前つけて可愛がってる
普通に接していたから気付いていなかったが、イサギの任されていた薬草畑の薬草たちは異様に育ちが良かったのだ。突き付けられた事実に、イサギはごくりと喉を鳴らす。
「薬草管理者として、やっていけってことか?」
「最終的にはそうなって欲しいねんけど、その前に、や」
その前にすべきことを、イサギも気付いていた。
王宮で文献をあさったときも、解呪の方法を探したときにも、どれだけ自分が力不足、勉強不足だったかを実感せずにはいられなかった。全てが落ち着いたら、イサギにはやらなければいけないことがある。
「魔術学校に、もう一度通って、俺は、ちゃんとした魔術師になる」
へっぽこでヘタレで、力不足を思い知らされる中途半端な勇者ではなく、エドヴァルドの配偶者として相応しい人間にならなければいけない。泣いて縋って、どうにかもらった結婚の約束を、エドヴァルドが果たそうとしてくれているのだから、イサギも自分なりに成長しなければいけない。
「魔術師の才能は水の入ったプールみたいなもんや。その容量は生まれながらに決まっとるけど、そこから一度にどれだけ水を汲みだせるかの制御力は、訓練によって変わってくる。お前を暗殺者に仕立てようとして母親が失敗したんは、向いてなかったからや」
自分の向いている方向性を定めて、そちらの方面で制御能力を高めれば、才能を最大限まで活かすことができる。
魔術学校に通って勉強する気があるのならば、サナはエドヴァルドをテンロウ領からセイリュウ領に嫁がせてもらえるように現テンロウ領領主であるエドヴァルドの父親に掛け合ってくれると約束した。
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