第6話 砕ける六つの魔術具

 国一番の魔術師で、攻撃に秀でたサナに向かって、レンはその黒曜石のような瞳を見つめて、真剣に告げた。


「わたくしを、殺す気でかかってきてください」

「あんさん、ほんまに命が惜しくないんやな」


 領主を守る魔術騎士たちが訓練を行う屋敷の中庭で、対峙するは着物を纏い、簪で髪を纏めた、華奢で美しい女領主サナと、襟周りに刺繍のある長衣の下に細身のパンツを履き、緩やかに波打つ長い髪を無造作に背に流した、褐色の肌の長身で逞しい男性レン。

 ざわめく魔術騎士に混じって、イサギもその光景を見守っていた。


「半殺しで済ませてやろうやんか」

「一つ」


 しゃらりと涼やかな音を立てて、白い腕を振ったサナが展開した魔術式から、氷の刃が放たれる。数えながら走り寄るレンの右耳のイヤリングが弾け飛び、透明な盾が展開されて氷の刃を弾いた。


「なるほど、それがあんさんの戦い方か」

「二つ、三つ、四つ……」


 次々と襲い掛かる刃を、左耳のイヤリング、右手首のブレスレット、左手首のブレスレットと、砕けて壊しながらも、レンは距離を詰めていく。


「うちの本気、受け取ってもらおか」

「五つ、六つ……チェック、です」


 全身を飲み込む業火に両足のアンクレットも砕けたレンは傷一つ負っておらず、まだネックレスが首に残っていて、広げた手が細いサナの首に触れる直前で止まっていた。もしもその手にナイフの一本でも持っていれば、サナの喉は掻き切られていただろう。

 息を吐いて手を降ろし、「失礼を致しました」とレンが深々と頭を下げる。両腕を組んだサナもまた、ため息を零していた。


「確かに、あんさんの戦い方でも、魔女の妃は討ち取れるやろ。せやけど、国王はんがそれで正気に返るとは限らへんし、逆上してあんさんを処刑するかもしれへんのやで」

「それでも、わたくしにできるのは、これだけです。どうか、わたくしを王都に、城にお戻しください」


 『魔王』と呼ばれるサナに怯むことなく挑み、意見するレンに、イサギはぶるぶると震えていた。前半サナは明らかに手加減をしていたし、後半もレンを殺す気は全くなかった。

 それでも、勝ちは勝ちである。


「死なせたくないんや。あんさんが、まっとうな御人やって分かってるさかい」


 話は終わったとばかりに踵を返すサナに、立ち尽くすレン。

 そっと歩み寄ったイサギの姿に、レンは濃い睫毛の陰になって色が分からなかったが、よく見れば紫の瞳を瞬かせて、僅かに笑みを浮かべた。


「イサギさん、すみません。頂いた薬草で作った魔術具は壊してしまいました」

「サナちゃんの魔術を防げるような魔術具を作れるやなんて、あんさん、ほんまに凄い御人なんやなぁ」

「作れたのは、イサギさんの管理している薬草も使い放題だったし、サナ様が工房を貸してくださっているからです」


 自分の力だけではないとどこまでも謙虚な姿勢も、サナが好感を持つ所以なのだろう。彼を死なせたくないという気持ちは分かる。


「でも、エドさんとレンさんとどっちもやなんて!」

「わたくしがどうか致しましたか?」

「い、いや、なんでもないねん。薬草保管庫は好きに使ってや」


 本当のことを言ってもらえるとは思っていないが、まずはサナを問い詰めなければいけない。分かっているのだが、屋敷の中を歩いていくにつれて、イサギの脚が震えてくる。

 幼い日に圧倒的な力で退けられて以来、サナはイサギの一番怖い存在だった。

 震えながら執務室の扉をノックすると、不機嫌そうな声が返ってくる。


「誰や? レンさんやったら、入ってええで」

「れ、レンさんやなくて、俺や。イサギや」

「イサギぃ? なんでお前が?」


 低く地を這うような声を聞くだけで、逃げ出したくなる。脳裏に浮かぶのはエドヴァルドのこと。彼のためにも、ここで泣きながら逃げ出すことはできなかった。

 がくがくと震えて、へっぴり腰で部屋に入ると、良く磨かれた机の上に、サナが行儀悪く脚を組んで座っている。着物の裾から見える裏地の鮮やかな色や、脹脛の白さなど、普通に見れば色気を感じるのかもしれないが、イサギの頭は恐怖で塗り潰されていた。


「レンさんに呼び出されたから、イイコトかと思うたら、あれやし……どないしよ、怖い女と思われてしもてたら」

「あのぉ、サナちゃん……」

「なんや、イサギ、おったんか。帰ってええで」

「サナちゃんに、俺、聞かなあかんことが、あるんや」


 じっと黒い目で見つめられて、じっとりと冷や汗が滲んでイサギの脇の下を濡らしていく。

 魔術師は、その目で魔術をかける相手を定める。視界に入った時点で、既に不利になるので、魔術師を殺すときには、目標を定める目をまず潰せと言われていた。

 喉がからからで、声も出なくなりそうになりながらも、イサギはサナの視線を受け止める。


「エドさんの、ことや」

「テンロウ領のエドヴァルドはんがどないしたんや? 結婚はお断りされたんやろ」


 どうしてもエドヴァルドと結婚したいと、サナに泣きついた7歳の日、年上の従姉は冷酷にもはっきりと告げた。


「貴族の結婚は、子どもを作ってなんぼや。うちはそんなんどうでもええけど、お前みたいな気の弱いのがエドヴァルドはんに嫁いで、『同性やから子も産めん』『子を作る妾を宛がお』『生産性のない結婚なんか許されへん』て、周囲から責められて、平気でおられると思わへんかったんやろ。断ってくれたんは、エドヴァルドはんの優しさやで。泣かずに感謝しい」


 エドヴァルドは男性で、イサギも男性。確かに子どもを作ることはできない。

 禁呪と言われる魔術を使えば、子どもが作れないこともないのかもしれないが、それを使う能力がイサギにはない。

 子どものいない夫婦など、政略結婚の貴族社会ではどれだけでもいるが、愛人を持ってそちらに子どもを作るというのもイサギには理解のできる話ではなかった。

 好きなひとが男性だった。自分も男性だった。それだけで結婚できないなど、理不尽でしかない。

 あれから8年、世界の仕組みがある程度分かる年になったが、イサギはまだエドヴァルドを諦めきれない。


「俺が男に生まれたんは、俺が決めたことでもないし、エドさんが男に生まれはったのも、エドさんが決めたことやないやん。なんで、自分で決めたことやない方が、『好き』っていう自分で決められることの方より、大事にされなあかんの?」

「恋愛論を語りに来たなら、それを聞くほどうちは暇やないんや。さっさと仕事に戻り」

「ふ、二股、いくない!」

「は?」


 追い出されそうになって、イサギはぐっと堪えて本題を口にした。サナの黒い目が不審そうにイサギを映している。


「レンさんも、エドさんもとか、二股いくない! 俺はエドさん一筋や! サナちゃんも、エドさんを開放するんや!」

「なに言うてるか、分かって口にしてるんか?」

「分かってるで! エドさんに呪い、かけたやろ? 結婚できへんように!」


 この魔王! 人でなし!

 罵ろうとしたイサギの身体がふわりと宙に浮く。

 サナの魔術だと理解するよりも先に、イサギの身体はサナの机の後方の大きな窓から投げ出されていた。


「ぎゃー!? ここ三階ー!?」

「阿呆が治るとええなぁ」


 呆れきったサナの声を最後に、浮遊の魔術が解けてイサギの身体は重力に従って落ちていく。


「あかんあかんあかん、俺は羽のように軽い、軽いんや!」


 必死に編み上げた魔術式は完全に落下しきる前に展開された。それでも相殺しきれなかった衝撃は、植え込みに頭から突っ込むことでなんとか消える。

 顔中引っ掻き傷のようなものを作って帰宅したイサギに、家で晩ご飯の準備をしていたエドヴァルドが玄関を開けて驚きの表情になる。


「どうされたんですか?」

「サナちゃんに、負けてしもた……」


 真相を聞き出すどころか、窓から放り出された。

 情けない自分に涙が出てきそうになるイサギに、エドヴァルドが塗り薬を持ってきてくれる。ソファに座らされて、シャツまで脱がされたイサギは、顔だけでなく上半身にもたくさん傷ができていることに自分でもようやく気付いた。その一つ一つに、丁寧にエドヴァルドが薬を塗って、ガーゼで押さえてくれる。


「私のためにサナさんと戦うことはないのですよ」

「俺、エドさんが好きや……こんなにも、好きなのに、なんもできへん」

「ですから、イサギさんは何か誤解をなさっているのでは」


 説明しようとするエドヴァルドが言葉に詰まるのは、やはり魔術で自分の呪いについて話せないようにされているに違いない。

 完全に勘違いしたイサギは、懲りずに次の計画を練っていた。


「正面から行ってもダメなら、懐柔や」


 美しいものが好きで、着飾るのが好きなサナがかなりの守銭奴だということを、イサギは知っている。以前はエドヴァルドに気があったのかもしれないが、今はレンに惚れているのだ、金で解決できるかもしれない。

 どうやってその金を稼ぐか。

 勘違い勇者の暴走は止まらない。

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