E24 スキップひなぎく

 次の地は、教会だ。

 温泉郷に、おやしろ、おてらまでは分かるとして、意外かも知れないが、教会きょうかいがある。

 どの宗教も信じる者はどこにでもいるのかも知れない。

 カトリック教会で、小さいながらも神父がいらっしゃるらしい。

 再び、コミュニティバス、おんせんたま号で移動だ。

 ひなぎくは、時折、落ち葉の散り行く車窓を静かに眺めていた。


 ひなぎくは、黒樹に、何でも自分で決めなさいと言われた気がした。

 それで、自分なりに考えていた。

 古民家が物件に出ているのなら、黒樹家の住まいにリフォームしようと思う。

 アトリエにするには、ここは温泉の対策が練れないので、難しいと思ったからだ。

 間取りはまだ決まっていないが、おおよその部屋数からみて、古民家をアトリエにしたら、住まいは別にしないとならない。

 草案を練ってみて、パンダ食堂にアトリエのレストランやカフェの役割も持ってもらえないだろうかと考えた。

 後は、レストランのメニューはいいとして、カフェのメニュー、そして、アトリエをプレハブにするかだ。

 長いまつ毛を揺らした。


二荒神教会ふたらしんきょうかい前だわ、降りましょう」


 ひなぎくが降り立つと、少し涼しいような気がした。


「皆。一枚、上着を着た方がいいわ」


 気遣って案内し、ぐーマップで再確認する。

 バス停は本当に目の前にあり、教会への道は黄色が美しいプラタナス並木で導かれている。

 こぶとり寺前のバス停でスマートフォンで予め連絡を入れていたせいか、少し大きな扉が、ギイイと開いて、優しげな神父と、後ろからもう一人、栗色のゆるいパーマが愛らしい小柄な女性が出迎えてくれた。


「これは、これは。ようこそ」


 黒樹とひなぎくは、神父と握手をして、自己紹介をした。


 この日の為と言ってはおかしいが、パリで取り敢えずの名刺を印刷して来た。

 ひなぎくのは、勿論、花のデイジー、つまりは、雛菊ひなぎくをあしらっている。

 インクを通過させる穴で刷る版画の一つ、シルクスクリーンで、背景には紫のデイジーを配して洒落てみた。


 黒樹のは、日本語バージョンは初めて見たが、またもやブラックチョコレートかと思った。


「一句できた。チョコレート、食べられなくて、残念なり。黒樹一茶くろき いっさ


 おじさまなのに、頭を搔いて冗句を言う余裕がある。

 ひなぎくも負けていられない。

 これからは、もっとがんばらなければならない。

 おとなしくしていては、受け身に取られる。


「私は、白咲ひなぎくと申します。名刺にある花は、雛菊です。ころんとしていて、愛らしいでしょう。私の生まれた五月に咲いていたそうです。祖父が亡くなったばかりのことで、命について深く考えたと父が申しておりました。命名の際に心を込めたことがあるそうで、私も応えたいと思っています」


 しっかり者のひなぎくに少し戻ったと黒樹はほっとする。

 パリを発ってから、調子が狂ったのか、とんちんかんなことを連発しているので、心配していた。


「ここは、隠れ里的な教会なのですよ。本来、東京教会管区に入っていてもいいのですが、信徒が二名と小規模でして。どの司教座聖堂カテドラルに属している訳でもない。形ばかりの結婚式場として生き残っているようなものです」


 神父は、笑顔を崩さないでいる。


「そうなのですか。お二人の信徒と言うのは、お見えでしょうか?」


「家内と私です」


 掌で、隣の女性を示した。

 二人は、飯森さんご夫妻であった。


「私どもには、子どもがおりませんで、犬のシイナを大切にしているのですよ。もう、五十歳を過ぎたら、厳しいですね。妻は、四十二歳で、ギリギリなのですね」


 ひなぎくは、あんぐりとした。

 ああ、それで……。

 プロフェッサー黒樹が、『待つ? もう三十路だぞ。女はな、子どもなんてぽんぽん産むものではないのだぞ』と、先日聞いたばかりだったことを思い出した。

 現実を目の前に突き付けられた気がした。


「まあ、中で、あたたかいものでも如何ですか? 小さなお子様が震えていらっしゃる」


 教会へ入ると、奥様が、上着を脱ぐように話し掛けたり、ココアを入れてくださったりした。

 ひなぎくは、気遣いが足りなくて反省した。

 母親になったら、一年中お世話をしないといけないんだ。

 何でもできると思っても、子どもに遠慮もあるだろう。


「この教会が建つ前は、どちらに教会があったのですか?」


 さて、本題に入ろう。

 パリからのメールでは、確認できていないことだ。

 バッグから、羊のなめし皮を赤い色うるしでうさぎの模様を目立たせた印伝いんでんのカバーの手帳をすかさず取り出し、矢印が特有のブランドのペンをさっと持ち、メモの支度をした。


「こぶとり寺から来たのでしたか。電話で伺いましたよ。あの近くです」


「偶然の香りがすると思っていましたよ」


 黒樹もひなぎくも大層驚いた。

 地図で、元来た道を辿ると、その地はかなりえにしの深い所と感じられる。

 

「このままバスで戻る感じになりますね。パンダ温泉楽々のあった、こぶとり寺前バス停の一つ手前だ。えーと、飯山教会前。……と、これが以前の教会の名前なのでしょうか?」


 ひなぎくは、メモを走らせる。


「そうですね。飯山教会でした。ええ、だから、パンダ温泉楽々が、子宝の湯なのですよ」


「ん? 子宝と教会は関係があったのですか?」


 ひなぎくは、ホテルビュー二荒神の温泉について忘れているようだった。


「ははは、微妙に違いますが。以前は、教会で式を挙げた後に温泉へ行く決まりのようなものがあったのです」


 黒樹の口髭がピリリと動く。

 ひらめきが彼のダンス魂を揺り動かす。

 再び、腰を振り振り踊り出す。


「ハーイ! 一に温泉へ行く!」


 ♪ チャチャチャ。


「ハーイ! 二にしっぽりする!」


 ♪ チャチャチャ。


「ハーイ! 三にお腹が大きくなる!」


 ♪ チャチャチャ。


「そんな感じでしょう!」


 ♪ チャチャ。


「簡単にお腹は大きくなりません!」


 ひなぎくは、黒樹のネタを思い出し、突っ込みを入れざるを得なかった。

 何か、背徳感のある言葉が、ひなぎくに刺さる。

 未だにバージンだからかと、頭が痛くなった。


「そう思っているのは、ひなぎくちゃんだけだよ」


 逡巡した後、やっと絞り出した。


「でも、プロフェッサー黒樹。一夜を過ごしただけで子宝なんて、安直だと思います」


「それは、俺とのベクトルの違いだよ。それはそれで構わないが、拘り過ぎるなよ」


 黒樹は、ひなぎくの苦手とするものを分かっていた。

 男女についてだ。


「分かりました……」


 何か、胸につかえるものがある。


「その飯山教会の建物は、もう、使っておりません」


 神父の奥様が、あたたかくも寂し気でもある。


「まあ! そうなんですか」


「これは、いい話かも知れないぞ、ひなぎくちゃん」


 拾いものの物件が今日だけで二つも見つかり、黒樹とひなぎくは、手応えを感じた。


「建物は温泉郷に町興しをした際に綺麗になりました。それが、こちらの二荒神教会です」


「伝統的に上から見ると十字架の構造になっているようですね。ステンドグラスも綺麗です。お掃除も行き届いていて、神父様ご夫妻のこまめなおつかえ方が垣間見られます」


 ひなぎくは、あちらこちらを見て回っていた。

 黒樹の子ども達は、奥様にあたたかい飲み物をいただいている。

 黒樹は、珍しいお茶菓子に目を奪われていた。


「これは、何ですか?」


 英語の定型文みたいな訊き方をしてしまった。


「これは、諸越もろこし練り切りねりきりの秋を表現したものです。練り切りの方は、手前味噌になりますが」


「では、奥様が作られたのですか? 本物と見まごうばかりですよ」


 蓮花も驚いた。


「うわわ、凄いでぴく」


「すっげ、美味いし、綺麗っす」


「可愛いねー。柿だよ」


「可愛いー。栗だわ」


 ご馳走になった皆は、見た目の美しさと美味しさを兼ねたこの和菓子にときめいている。

 そこへ、一通り教会の中を見せていただいたひなぎくが、お呼ばれした。


「まあ、見事ですわ。菊に、かえでまで」


 ひなぎくは、今がチャンスかも知れないと思い、飯森の奥様に声を掛けた。


「あの、この和菓子を私達がこれから作るアトリエレストランのカフェにご提供いただけないでしょうか?」


 黒樹は、ひなぎくが少し大人になったと思った。

 いつも、言い淀みの多いひなぎくが、意見を持ち、発言をすることに。

 そんな親心にも近い感情が黒樹の中にはある。

 しかし、師弟関係だ。

 恋愛は……。



 黒樹とひなぎくを結わえるものは、アトリエデイジーしかないのか。

 

 仲のいいサクランボのような形にはならないのかと。

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