E23 せんせいと私
「油揚げみたいねー。困ったわー」
秋の終わりの音は、落ち葉色を踏む度にふしゅふしゅと踊る。
丁度、銀杏の葉を精霊ががんばってぷちぷちと落したみたいだ。
たまたま、そこにいたひなぎくが、どっと被ってしまう。
ミニチュアダックスフンドが小さく刺繍してあるハンカチで、肩からはたいて行く。
埋もれていた黒ぶちメガネがやっとこ見えた。
「モップかい!」
黒樹は、よほどのひなぎくの失態位では笑わないが、モップひなぎくには腹筋が割れそうだ。
「そんなことありません。何故、頭上に銀杏のバケツがあるのですか?」
「知らないわい。俺は平気だったし。中々、油揚げもいいものだよ」
まだ、ちらほらと銀杏の葉が刺さり、かんざしまである。
それを払いながらの質問だ。
「それで、乗り越えなければならない試練とはなんでしょうか?」
これから、師弟の問答が始まる。
黒樹には、ある考えがあった。
二人きりで、古民家の裏辺りの落ち葉をふしゅふしゅと踏みしめる。
「あー、それな。家族と暮らすって、どんなことだと思うんだい? 建築、間取りの上で。ひなぎくちゃん」
何故そのような質問が試練か分からなかったが、ひなぎくなりに考えてみた。
「食事は、一家揃って楽しくテーブルをお台所で囲み、子どもが望むなら、子ども部屋を用意してやる。両親は……。えっと、夫婦の部屋で寝ます。後は、水回りですかね」
「何か、特に希望はないのかい?」
黒樹は、その答え方では甘いと感じた。
「いえいえ、私には、特別な希望などはありません」
ひなぎくは、実際に黒樹の家の間取りを訊いているのかと思い、あれこれと間取りについて話すのはおかしいと思って、遠慮していた。
「では、テーマだ。お風呂はどうしたいのかい?」
「え? 普通でいいのではないでしょうか」
今、黒樹は、何を話したいのかさっぱり分からなかった。
でも、真摯な眼差しでおふざけもなく訊かれるので、追い詰められたうさぎのようになる。
「普通って何? 拘りがないね」
「すみません……」
ひなぎくは、俯いた。
ふしゅふしゅと踏んでいた落ち葉にも、何度も歩けば足跡が見えると知る。
「アトリエ新世紀にしたいのなら、アイデアを出してみたらどうだい?」
「黒樹家のことにですか?」
黒樹の真意を聞いても、中々ぱっと来ない。
それには、ひなぎくの過度の遠慮が関わっていた。
子ども達と会う前は、黒樹の少し丸い背中を見たりやわらかな声を聴く度に淡い恋心の扱いに困っていたのだが、ここへ来て、隠さなくてはならないと思うようになる。
「ひなぎくちゃん、自分のことを深く考えるんだ。それができなければ、人に教えるワークショップは、自己満足に終わるよ」
黒樹が前を行き、足を止めて振り向いた時だった。
ひなぎくは、ドキリとしたのを悟られないかと必死だ。
顔が汗ばんで来る。
化粧が落ちないかと思い、俯いてハンカチでごまかした。
「分かりました。考えてみます」
ひなぎくは、いつものほんわかした感じではなく、鋭い目で考えた。
隣は、パンダ温泉楽々。
温泉特有の香りがする。
別荘地などでは、温泉を引き分けている所もあるらしい。
家庭にも温泉があってもいいのかも知れない。
「ここは温泉地ですから、温泉ですか?」
「俺に訊いてどうする。自分の意見に疑問を持つなよ」
黒樹の厳しい一言が辛い。
しかし、事実だから仕方がないとひなぎくは観念した。
「そうですね。疑問に疑問を持ったことはないです」
「考えは、発展させるんだ。温泉だとしたら、どんな風呂がいいのだ?」
第二問か。
ひなぎくは、更にじっくりと思考を巡らせた。
「えーと、檜は香りがいいのですが、私なら、タイル張りでしょうか」
「うむ」
黒樹の口髭がピリリと動く。
「それで、モザイク画のように、綺麗なタイルだったら、楽しいですね」
「それから?」
黒樹は、少し口の端を上げた。
「それから……」
ひなぎくが、言い淀んでいるのに、助け船を出した。
「それで終わりかい? 家庭にとってお風呂とはどんな存在なのさ」
カフェオレマックスお砂糖がお好みなだけではなく、ひなぎくにも甘い黒樹は、顔をしかめつつ様子を伺っている。
「お風呂の為に家があるのではありませんが、お風呂が好きな方には、ゆとりの時間でしょう。楽しいお風呂にタイルがいいです。消極的理由だと、木のお風呂はお手入れも大変ですね」
つらつらと話せて、ひなぎくは、ほっとした。
「何でもいいんだ。そうやって、少しずつ発展させて行く。その思考力が、アトリエでやりたいことにも繋がるのではないかい?」
「……そうなのですね。プロフェッサー黒樹。真意も分からずに答えあぐねいていて、すみません。気を付けます」
黒樹の包み込むような優しさを感じる。
だから、この人のことが好きなのかと、二人きりで久し振りに語ってときめきが止まらなかった。
「ついでに訊くが、お風呂の仕様は、古民家でもプレハブでもかい?」
「この意見は、揺るぎません」
胸を一つ叩いた。
勿論、持てあますバストはふるるんと揺れた。
黒樹は、口髭をもじゃもじゃと賑わせたかと思うと、楽しそうに笑った。
「ふ、ふはは。いいじゃないか、ひなぎくちゃん」
「何がですか。何も可笑しなことをしていませんよ、プロフェッサー黒樹」
クスリと笑い終えた後、黒樹ははっちゃけた。
「ヤキモキしちゃうEカップ! 湯けむり美人になーれ!」
ダダダ、ダンスダンスダンス!
アラフィフでもキレのいいステップをお披露目した。
「んん、もう! Eカップを取りましょうよ。湯けむり美人ひなぎく学芸員なら、いいかも知れないなあー?」
「Eカップがなかったら、落ち着かないんじゃもん」
ひなぎくの提案は、即時撤回された。
黒樹がワガママを言い出したら、キリがない。
「大丈夫です。落ち着かないのは、プロフェッサー黒樹だけでしょう」
「んー、ないないの蓮花も落ち着かないかも、Eカップ」
♪ ズズチャチャ、ズズチャチャ。
♪ ズズチャチャ、ズズチャチャ。
黒樹にだけ落ち葉の音が、ビートに聞こえる。
ビートと言えば聞こえがいいが、黒樹には音頭だ。
この土地で、農耕用牛のお祭りがあった。
豊作の時には、忙しくとも踊ったものだ。
踊りに行けば、缶ジュースが貰えた。
はっきり言えば、それ目当てだった。
だが、お陰様でリズム感は中々いい。
「蓮花も気になるEカップ! おじさまも気にするEカップ!」
「きゃー。止めてくださいよー。お父様!」
蓮花が、ふしゅふしゅと消えかけの足音で二人の所にやって来た。
「きっと、ないないが好きな方、います!」
「いなーい、いなーい」
黒樹らしく、意地悪に大きく首を振った。
「蓮花、皆の所へ行くよ。用事は済んだ」
ひなぎくは、ほっと一息をついた。
ストレスに弱いタイプで、黒樹との問答は、はっきり言って大変な心労だ。
再び、七人で集まり、次の地へと動いた。
「それは、何?」
「青いバラ」
青いバラへのプレリュードは始まっていた。
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