E09 ろろろろろろ露天風呂

 バタムとサウナから人が出て来た。


「あーづー」


「蓮花お姉ちゃんの声だ!」


「蓮花お姉ちゃんの声だ!」


 露天風呂入り口左手にサウナがある。

 外からドアを引いて大浴場に入る女性が三人いて、露天風呂のさっぱりとした風が入って来た。

 もやもやーんが薄れ、露天風呂入り口側のサウナの様子がよく見える。

 蓮花は、サウナから這うように出ていた。


「蓮花お姉ちゃんがうだっているわね。そろそろ、上がろうか」


「うん」


「うん」


 ざばりっと上がって、へたり込んでいる蓮花の周りに三人は集まる。


「ひなぎくさーん、露天風呂でらりるれろー」


 らりるれろーがこだますると、大浴場から心配の目線が刺さる感じがする。

 お酒は入っていませんと、ひなぎくは言いたいと思った。


「蓮花さん、どうしたの? 露天風呂はいいけど、こんなに疲れていて、混浴なのに平気なの?」


「いーまさーら、なーにいってりゅのー?」


「はは。今更なんだ、蓮花さん。露天風呂に入りましょうか? 外の空気を吸えるわよ。所で、虹花ちゃんと澄花ちゃんはどうしましょう?」


「へってまえ」


 れろれろのままの蓮花の言葉は、ひなぎくには謎深い。


「へってまえ?」


「露天風呂に、『入ってしまえ』の意味だと思うよ。ひなぎくさん」


「そうなのね。虹花ちゃん」


 ひなぎくの手を借りて、蓮花は起き上がった。


「まんず、へって……」


 れろれろ状態にはサウナでそうなったのか。

 そうなら、皆で上がろうと言う勇気がどうしてないのか、ひなぎくはじわりじわりと自分を責めた。


「今度は、『先ずは入って』の意味だよ」


 ぽつりと澄花も訳す。


「どうしたのかしら? 蓮花さん」


「方言らしいよ。パーパーから小さい頃鍛えられたって言ってた」


「虹花ちゃん、成程。方言ね……。プロフェッサー黒樹からか」


 黒樹がどんな育ち方をしたのかひなぎくは知らなかった。

 日本へ来て、黒樹について知らないことが多いと気が付き、どうして好きになったのかと不思議に思う。

 友達の神崎椛かんざき もみじは、高校を出てから間もなく結婚をした。

 手紙を出しても返信はなく、電話をかけると、宅配便が来るらしい。

 ひなぎくは、友達だと思っていたのに、結婚式には呼ばれなかった。

 邪険にされているのか?

 バージンだから、話題が合わないのかなと、胸に穴がポカリと開いた。

 そんなことをつい考えてしまった。


「ふううーん。……露天風呂に、へってまえー!」


 ちゃんちゃんちゃん。

 がらり。

 蓮花さんが、三歩歩いて天国への扉を開けてしまった。

 外は、きらきらと星が散り降っている。


「ははーん。もう、過去のことよ……」


 蓮花さんの周りが、ゲンジボタルが身を包み隠すように輝いている。

 涙の分だけ舞っているのか。


「虹花ちゃん、澄花ちゃん、露天風呂へ行きましょう。椛さんが行ってしまったから」


「えー? 椛ちゃんって誰? 蓮花お姉ちゃんのことなの?」


「あ、ごめんなさい! 大間違いです……!」


 椛と間違えてしまった。

 珍しく大きめの声を出してしまった。

 蓮花が気が付いていないのをひなぎくは気に病んだ。

 顔をしかめて下後方へと向いた。


「……本当にごめんなさい」


 後悔がじいんとしみた。


「それより、入ろうよー。寒いよー、ひなぎくさん」


「寒いー。ひなぎくさん」


「そうね、そうしましょうか」


 子ども達にばかり気を取られていた。目の前に誰かがいるだなんて関心がなかった。


「はーい、ちゃぽこんしましょう」


 一人一人を温泉に入れた。

 蓮花は、露天風呂を足湯にして、岩に腰かけていた。


「あんなヤツ、忘れてしまえ」


 ぶつっと呟く。

 やけっぱちになっている。


「タオルをどうぞ、蓮花さん」


「どうもー」


 蓮花は、ぼんやりとタオルに気が付いた。


「ひなぎくさん、大胆ですねー」


 大胆って何がかと思った。

 ひなぎくは、やっと気が付いた。

 自分だけ、露天風呂の湯につかっていなかった。

 はっとした時って、声が出ないものだった。


「よー、ばいんばいんのお嬢さん、こっちに来ない?」


 ぱにぱに!

 ぱにぱに!

 ぱにっくひなぎくは、ちょっと怒って口を開いた。


「誰かしら? プロフェッサー黒樹以外でばいんばいんとか遊ぶなんて」


 珍しくぱにぱにになって、頭が真っ白になっていた。


「ばいんばいんはEカップかー? ひなぎくちゃん」


「ええ! プロフェッサー黒樹?」


 向こうでさっと手を挙げる知った顔があった。


「よお、俺だよ」


 ひなぎくは、心の中で、きゃあああと叫ぶ。

 卒倒するかも知れないとも思う。

 何か言いたいのに、ぼうっとしてしまう。


「綺麗だな……」


「さ、最悪! 最悪! 最悪!」


 やっと出た台詞がこれだった。

 後ろを向いて、ざばりと湯で首元まで隠す。


「褒めているのに。ひなぎくちゃん」


「近寄らないで!」


 ぱにぱにが続いた。

 涙目になってパニックになっているのだ。


「俺は、最初からここにいたよ。ひなぎくちゃんが、後から入って来たのだろう。混浴と知ってのことだ」


「わあーん。ろろろろろろ露天風呂? ここここここ混浴?」


 好きな人に裸を見られた。

 なんのムードもない。

 これが私の初めてなのかとひなぎくの鼓動が強く跳ね上がる。


「近寄らないから、大丈夫だよ。もうアラフィフだからね。落ち着いているよ」


 ひなぎくだけ、落ち着いていない。

 うーん、ぱにぱに。

 ひなぎくは、後ろを向いて、うなじを見せた。

 ちゃぽこーん。


「出たら、一緒に部屋へ帰ろうな」


「あの……」


 振り向いて、何と言ったらいいのかわからず、じっと黒樹を見つめている。


「パパ」


「パーパ―」


「お父様」


「お父さん」


「父さん」


 ひなぎくは、一気に冷静になって考え始めた。

 あ、五人のお子さん達がいたのでした。

 和くん、蓮花さんはもうお兄さん、お姉さんだから、説明は要らないとして、小学生の、澄花ちゃん、虹花ちゃん、あどけなさの残る劉樹くんには、難しい問題よね。

 やはり、子ども達は、五人もいるのだと再認識した。

 それよりも何?

 あーあー。

 離れていても、肌をさらしてしまった。

 それ位でぱにぱにになっていたら、子ども達を想う資格がないのかも知れない。


 再婚って……。



 ひなぎくは、声に出せぬ想いをひしと抱き締めていた。

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