第56話 ネヴァー・イズ・ア・プロミス(10)

(1)

 

 この声を聞いたのが普段通りの日常なら、跳ね上がった警戒心で身を強張らせただろう。だが、緊急事態下で不安に苛まれる今、知った者の声は無条件に安堵を覚えた。

 階段に座ったまま、「モートンさん……??」と呼ぶ声につられて顔を上げる。改めて誰なのかはっきりと分かった途端、僅かに緊張が走る。


「あぁ、やっぱり間違いなかった!なんて酷い顔をしているの、気の毒に……」

「ジョーンズ、さん……??なんで、ここに??」

 色違いの目を見開き、緊張と驚きで固まるエイミーを見下ろすのは、昨年末近所のスーパーマーケットで再会した、かつての同級生カミラ・ジョーンズだった。

「ここは私が通う大学の最寄り駅なのよ。プラットホームで電車を待っていたら爆破された電車が停まって……。逃げ惑う人達に巻き込まれないよう物陰に避難していたら、何だかんだと足止めされてしまってね」

「そう、なの……」

 それにしても、親しい間柄とはお世辞にも言えなければ、頭からストールをすっぽり被っているのに、よくエイミーに気付いたものだ。

「怪我もしてないし警察の聴取も受けたから、そろそろ帰れるかと思って出口の階段まで来たのよ。そしたら、見覚えのあるコートが目に入って……、もしかしたらと声をかけてみたんだけど。ほら、前にモートンさんに会った時も今日と同じコート着てたでしょ??そのゴブラン柄が印象に残っていたの」


 ジョーンズ嬢から自らのコート――、ベージュを基調とした、アンティーク風ゴブラン柄のPコートに視線を落とす。バブーシュカの常連客が経営する、インディーズブランドを扱う店で購入したものだ。一点物だと聞いているし、印象に残りやすい意匠かもしれない。


「…………」


 ジョーンズ嬢が話し終えると今度は沈黙が訪れた。元々、アナイスを通じてしか話したことがないのだし、長く会話が続く筈などない訳で。

 それでも一人でこの場にいるよりも、顔見知りと一緒にいる方が多少は安心するのだろう。ジョーンズ嬢はエイミーの前から一向に立ち去ろうとしない。エイミーもまた、彼女への苦手意識よりも一人でいる心細さ、不安の方が幾らか勝っていた。


「……あの、立っているのも何だし……、良ければ座ったら……??」


 自分の隣を視線で差し示せば、ジョーンズ嬢は意外そうに目を丸くした。余計なことを言っただろうか、と悔やみかけたが、「ありがとう、座らせてもらうわ」とすんなり座ってくれた。沈黙は変わらず続いたが、気まずさは微塵も感じなかった。

 エイミーとジョーンズ嬢含めて階段に座り込む人々の様子も、怪我人の搬送に奔走する救急隊員の動きも徐々に落ち着き始めている。救急隊員の数が減っていくにつれ、警察関係者の数が更に増えていく。


「そういえば……」

「え、なに」

 先に沈黙を破ったのはジョーンズ嬢だった。

「モートンさん、警察の聴取は終ったの??」

「う、うん……、爆発物が置かれた車両の近くにいたから、といっても、前列車両だけど……、割と早くに聴取を受けたよ。怪我の処置も、軽傷だったからすぐその場でしてもらえたし」


 爆発現場近くに居合わせたことを打ち明けると、ジョーンズ嬢は表情を凍り付かせて絶句してしまった。余計な気を遣わせまいとエイミーは無理矢理口角を引き上げ、笑ってみせる。傷が引き攣って顔が痛い。エイミーの笑顔を痛ましそうに見つめた後、ジョーンズ嬢は慎重に口を開いた。


「じゃあ、誰かに……、親しい人とか職場には連絡はしたの??」

「それが……、スマートフォンを落としてしまって……」

「ちょっと……、早く言ってくれればいいのに!!」

 俯いたエイミーの肩を軽く揺すると、ジョーンズ嬢は慌ててハンドバッグの中をまさぐりだした。

「あった、あった!!はい!」

 取り出したスマートフォンを突き出されて面食らっていると、強引に手に握らされた。

「貸してあげるから!」

「…………ありがとう…………」


 ジョーンズ嬢の意外な優しさに戸惑いつつ、エイミーはバブーシュカの電話番号をタップした。







(2)


『ハロー、カフェ&バー バブーシュカ……って、エイミー??エイミーなの?!良かった!!無事だったのね!!テレビで地下鉄爆破の緊急速報が流れてきて……、貴女が通勤に利用する線だし、心配になって電話しても出ないし……、気が気じゃなくて仕事どころじゃなかったわ!ねぇ、今どこにいるの??まだ駅にいるの??怪我は??』


 電話を取ったメアリは相手がエイミーと分かるやいなや、堰を切ったように勢いまくし立ててきた。申し訳なさでいっぱいになりながら、エイミーは小さな声で謝罪と共に、スマートフォンを失くした旨を伝えた。


『そう、スマートフォンを……。あぁ、色々言いたいことは沢山あるけど、とにかく無事を確認できて……、って、ちょっと!!』

『ああぁぁ、エイミー、生きててくれて良かったよ!うん、良かった!!』

 メアリから受話器を奪ったらしいゲイリーはしきりに洟を啜り、声も心なしか震えている。

『仕事のことなら、こっちでうまく調整するし気にしなくてもいいからな!!おい、メアリ、まだ話が……』

『怪我はしてない?!ううん、怪我とかなくても、気持ちが落ち着くまではしばらく休んでもいいからね!!あ、そうそう!!フレッドにもちゃんと連絡するのよ?!何回エイミーに電話しても全然取ってくれない、こっちに連絡きてないかって、何度もうちに電話が掛かってきたわ。平静を装っているけど、声の感じから明らかに気が動転しているし、今すぐに連絡しなさいね!いい?!じゃあ、一旦切るわよ??家に帰ったらまた連絡ちょうだい!!』


 エイミーが言葉を差し挟む隙がないまま、一方的に電話が切られてしまった。二人の声が漏れ聞こえていたのか、呆気に取られるエイミーの横でジョーンズ嬢も呆気に取られていた。


「なんというか……、随分と賑やかな職場なのね……」

「う、うん……、でも、本気で心配してくれてはいるのよ??」

「えぇ……、それはなんとなく伝わってきたわ」

 ジョーンズ嬢の表情や口振りに驚きや呆れはあれど、別段嫌悪はしてなさそうで内心ホッとする。

「ごめん……、ジョーンズさん。もう一人連絡したい人がいて……」

「私のことは気にしなくていいから。それより早く連絡を」


 どうぞどうぞ、と手振りで示され、新たな番号をタップする。

 先程よりも指先の動きが遅く、若干震えているのは電話する相手の反応が怖いからだ。

 呼び出し音が一回、二回、三回……、五回を超えた辺りから、不安と緊張で息苦しさを覚え始める。知らない番号だから警戒して取らないのかもしれない。留守番電話に切り替わる前にもう一度かけ直すべきだろうか、と考え始めた矢先、ようやく『……ハロー??』と怪訝な声が返ってきた。


「……アルフレッド……」


 恐る恐る名を呼べば、大きく息を飲む音がした。

 たっぷりと二十秒程の沈黙の後、『……エイミー??エイミーなのか??』と縋るように名を呼ばれる。

 悲壮感漂う弱々しげな声音に、フレッドが今どんな顔をしているのか、想像するだけでたちまち居た堪れなくなった。


『今どこにいる?!速報ニュース見て何度も電話したのになぜ出なかったんだ?!死人はゼロにしろ重症で病院に搬送されでもしたかと……』

「ごめんなさい……、駅でパニック状態の人達に揉まれている内にスマートフォンを失くしてしまって……、偶然、駅に残っている人たちの中に知り合いがいたから、電話を借りてやっと連絡できたのよ……」

『にしても、なぜ黙って出て行ったりしたんだ!!しかも今日に限って!!」

「本当にごめんなさい……、でも……」


 メモ書きを残して置いたのだから……、と言いかけて、ハッと気づく。

 もしかしたら、黙って家を出たあげく爆破事件に巻き込まれ、連絡が取れなくなったことと、目の前で彼を置き去りにした実母が重なってしまったのだろうか。

 状況は全く違うにしろ、フレッドの取り乱し方から図らずも古傷を抉ってしまった可能性は否めない。


『とにかく無事で、本当に……、良かった……』

「うん……、心配かけて、連絡も遅くなって‥‥…、ごめんなさい……」

『もういい、いいんだよ……、無事でいてくれたんだ……、こうして声が聞けたんだから……』

「うん、うん……」


 罪悪感と同時に、最愛の人の声はエイミーに深い安心感を齎した。

 フレッドも同じように感じているのか、徐々に落ち着きを取り戻し始めていた。

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