第20話 シーズ・ソー・クール(17)

 (1)


 ショーの開催日が差し迫り、衣装合わせやヘアメイクに関する打ち合わせも最終段階に入っていたその日。事務所で打ち合わせを終えたジルは、ビル一階の屋外に設けられた休憩所に向かっていた。


 乗り込んだエレベーターの扉上部に表示される③、②、①と下がっていく階数字を眺め、扉が開くと共に休憩所がある裏口へ急ぐ。しかし、裏口の少し重たい手動扉を開けた瞬間、ジルは休憩所に来たことを後悔した。

 休憩所は裏口から見て右側――、芝生が敷かれた小さな中庭になっていて、ビルの外壁に添うように木造ベンチが二脚並び、ベンチの間に灰皿スタンドが設置されている。

 そのベンチにはすでに先客がいた――、否、それだけであれば、別に問題はなかった。ベンチに座っていたのは、ジルが苦手意識を持つ二人組、パリスとベル・ブルーム、灰皿スタンドを挟んで残るもう一脚に座っていたのがチェスターだったから。

 一気に気分が下がったジルとは反対に、三人は各々煙草を吹かしては楽しげに談笑している。今日のところは引き返そうと思い、扉を閉めようとしたジルだったが、「あれ、ギャラガーさん??」と、よりによってチェスターの方から声を掛けてきた。


「僕、丁度一本吸い終わったところなんで、どうぞー」

 勘弁してよ、と舌打ちしたいジルの内心に構わず、チェスターは立ち上がってベンチに座るよう促した。

「えぇー、チェスターさんてばぁ、もう行っちゃうのぉ??」

 いつにも増してパリスの猫なで声に甘ったるい響きが含まれ、引き留めようとチェスターの腕を絡め取る。

「ほら、レディファーストってやつですよー」

「やっだ、もう!紳士ぃ!!」


 チェスターはさりげなくパリスの腕を引き剥がし、「じゃあ、またー」と、パリスと彼女の隣で大股広げて座っているベル・ブルームに笑いかけ、休憩所をあとにした。

 こんな形で場所を譲られては去ろうにも去れない。ジルは仕方なく芝生の中へ足を踏み入れる。その際、一瞬だけチェスターと擦れ違ったものの、当然素知らぬ振りを決め込んだ。

 ジルがベンチに腰を下ろした途端にパリスの笑顔は消え、無言で新しい煙草に火を点けている。分かり易い反応だな、と呆れながら、ジルもまた煙草ケースから一本取り出して火を点ける。

 チェスターの姿が扉の中へ消えたのを見計らい、パリスは煙を吐き出しながらベルと顔を寄せ合い、クスクスと意味ありげに笑い始めた。どうせ、自分への当てつけに聞こえよがしの悪口でも言い出すつもりだろう。

 ジルは心底げんなりし、煙草を一本だけ吸ったらさっさと退散しようと心に決める。


「レディーファーストォー??カッコつけちゃって、キモ!ちょっと調子こいてんじゃないのぉー、あいつ!!」

 さっきまでの猫なで声から一転、例によってパリスの声が野太く低い声に変わった。すると、それまで憮然と黙っていたベルが小馬鹿にした口調で同調し始める。

「ですよね、ていうか、あいつ三十過ぎてるんすよね??オッサンの癖に若者ぶった喋り方とか長髪とかさー、若作りに必死過ぎな感じでイタくないっすか??トシ考えろよなぁー」

「わかるわかるぅー!!ぜーんぜん長髪似合ってないし!!切れよな、ウザッ!」


 聞くに堪えない、チェスターへの蔭口の数々。

 火が点いたままの煙草を投げつけてやりたい衝動に駆られ、まだ三分の一も灰になっていない煙草の火を衝動と共に揉み消す。苛立ちは最高潮に達しそうなどころか限界値を越えそうだし、激しい怒りが腹の奥から沸々と湧き上がってきてさえいる。

 チェスターへの嘲笑混じりの中傷はまだ当分続くだろうし、これ以上この場に留まるのは精神衛生上危険だ。そう判断したジルが、ベンチから立ち上がろうと腰を浮かせた時だった。


「あいつさー、ヘラヘラしてるから嫁に浮気されて捨てられたんじゃない??アタシなら、仕事できてもあんなチャラそうなダンナなんか絶対イヤー!適当な遊び相手ならいいかもしれけどぉー。そう言えばさ、噂で聞いたんだけど……、あいつの子供の一人って元嫁の連れ子らしいわよ。……ひょっとしたらさ、嫁が出てった後、腹いせで虐待とかしてたりして!」

「うっわ、超引くー!でも、有り得るかも……」


 ここで二人の話は途切れ、代わりに甲高い悲鳴が辺りに響き渡った。

 ジルがベンチから立ち上がりざま、鞄の中から取り出したペットボトルの水を二人にぶちまけたからだ。


「ちょ……、いきなり何なのよ?!」

「はあぁ?!頭おかしいんじゃねぇ??」

 眼前にて仁王立ちするジルに向かって、パリスとベルは即座に批難を浴びせたが、二人を睨み下ろすジルの眼光が鋭さを増しただけだった。

「……あのさ、口に出して言って良いことと悪いことの区別ってもんができない訳??勝手な妄想をさも事実かのように、ベラベラベラベラ大声で喋り散らすなんて馬鹿丸出し。ダサいのはあんた達二人だよ」

「は??別におめーの話じゃないし??関係ないのに何キレてんの??暑さで頭でも湧いたんか??」


 パリスはジルに気圧されて何も言い返せなかったが、ベルはベンチから立ち上がるとジルの頬を平手打ちし、胸倉に掴み掛かってきた。怯むことなく更にきつくベルを睨み据え、彼女の脛を思い切り蹴っ飛ばしてやる。

 予想だにしてなかった反撃、次いで脛の痛みでベルはよろめき、ジルの胸ぐらを掴む手の力が緩む。その隙を逃さず、ベルをベンチへ突き飛ばした。

 ベルがベンチの座面に倒れ込むように尻餅をついた弾みでパリスとぶつかり合う。パリスは悲鳴を上げ、ベルは殺気が籠った目付きでジルを睨み上げる。


「はいはい、お嬢さん方―、そこまでにした方がいいですよー??」


 パン、パン!!と、裏口の扉の方向から手を打ち鳴らす音と、ぴりぴりと張り詰めた空気にそぐわない、間延びした呑気な声が聞こえてきた。


「これ以上はショーにも響くでしょー??下手したらクビ切られるかもしれませんよー??」


『クビ』を持ち出された途端、パリスとベルは急に大人しくなり――、大人しくなったかと思うとやけに素早い動きで揃って立ち上がり、一目散に休憩所から駆け去っていった。


「……何やってるんですか、全く……」

 裏口の扉の向こう側へ去った二人の足音が聞こえなくなると、チェスターは立ち竦むジルの傍にゆっくりと近付いていく。

 すっかり呆れ果てながらもチェスターは、ジルの殴られた頬に手をそっと添えようとした――、が、触れる直前でジルはその手をすげなく払いのけた。

「……触らないで」

「そりゃ失礼しました。でも、叩かれた痕が腫れたらマズいんで、ちゃんと冷やしてくださいね」

 気まずそうに指先で顎をぽりぽりと引っ掻くと、チェスターはジルに背を向け――、背を向けようとしたが、ジルの顔を見てぎょっとした顔で固まった。ジルの薄青の双眸からボロボロと涙が零れたからだ。

「……あー、場所を譲ったものの、そう言えばあの二人とジルさん、あんまり仲がよくなさそうだったしー……、気になって引き返してみたんですよねぇー……」

「……じゃあ、あいつらが喋ってたこと……」


 あぁ、まぁ……、と言葉を濁す様子から、話を聞いてしまったのは明らかだろう。


「……貴方は、悔しく、ないの……」

「……まさかと思うけど、そんな理由で泣いてるんですか??」

「…………そうよ!いけない?!」

 チェスターは僅かに眉を寄せ、ジルに向かって軽く頭を振ると息を吐き出した。

「……気持ちはありがたいですけど……、仕事中に騒ぎを引き起こすのはどうかと思いますよ??この件が企画主催する先生方の耳に入った場合、ショーから降ろされる可能性だって否めない。もう少し後先考えた行動を取ってください」


 ジルは手の甲で涙を拭うとまだ何か言いたげなチェスターに背を向け、休憩所から黙って立ち去っていく。


 何故、自分はチェスターに助けられてばかりなのか。

 でも、多少なりとも彼の助けになりたくても、彼は大人の男だから助けを要する態度は一切見せたりしない。


 それとも自分が見抜けないだけ――??


 しかも、今度は余計なことをしでかして逆に迷惑を掛けてしまうし、至らない己への情けなさ、悔しさで、ジルはただ歯噛みするしかなかった。





 休憩所での一件は誰からも咎められることもなければ、噂にすらならなかったのがせめてもの救いだった。


 そして、いよいよクリエイターズショー本番当日を迎えた。










(2)


 オレンジ、グリーン、イエロー……と、鮮やかなビタミンカラーに、半袖、もしくはノースリーブにホットパンツ、膝上ミニスカート姿のモデル達が舞台上手から中央、中央からランウェイに向かって、飛んだり跳ねたりと元気よくステップを踏んでいく。

 軽快な動きと健康的なセクシーさを意識した衣装を纏うモデル達は全員一〇代。明るい色調の衣装に合わせた暖色系の地灯りの下、露出した手足に塗りつけたラメがきらきら輝いている。

 弾ける若さを存分に発揮させる少女達に客席から歓声が湧き上がり、少女モデル達が一人、また一人と舞台へ飛び出すごとに、巨大風船が一緒に袖から飛んでくる。


 舞台袖奥では、次の出番を待つ二〇代モデル達の出番前最終チェックが行われ、舞台裏は戦場と化していた。

 もっと大規模なファッションショーであれば、出番が終わうごとに舞台裏で各スタッフや他のモデル達が行き来する中でも迅速に衣装を着脱しなければならない。

 今回は小規模なショーなので着替えは控室で行うが慌ただしさは変わりなく、他のモデル達と共にジルのヘアメイクも、舞台裏で出番を待ちながら行われていた。


 少女モデル達全員がランウェイを一巡し、各々が風船を腕に抱えながら舞台上で一列に並ぶ。

 二分間の撮影タイム後一人ずつ下手にはけていき、最後の一人が舞台から去ったところで暗転――、三〇秒後にバックライトが灯され、ジル達のショーが始まった。

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