第20話

 イケメンはいち早く食事を終えると、次の授業の予習があると言ってそそくさと教室を後にした。相変わらずあいつの勉強漬けは続いているらしい。ちゃんと睡眠は取っているのだろうか、と思いながら私は立ち去る背中を見送った。


 それから、まだあまり手を付けられていなかった自分の弁当に向き直る。


 母さんの作ってくれる弁当用のハンバーグは冷えていてもおいしい。私や竜美のために、あの人はいつも朝早く起きてくれてるんだっけ、そういえば。


 テスト前には、夜食だって作ってくれる。誰に見せても恥ずかしくない自慢の母だ。


 そういう母親がイケメンにはいないんだよな。


「……はあ。ったく、あのバカは」


 ため息をつき、センチメンタルな気持ちを振り払う。


 いないからって、だからなんだって言うんだ。それは、私にはあまり関係のないことだ。そのはずだ。


「ほんと、困ったもんだよあいつは。どんだけ人を困らせりゃ気が済むんだっつーの」


 悪態混じりに小毬ちゃんに話しかけたのは、多分気を取り直したかったからだ。


「それにあんなやつに惚れてる女も一体なに考えて……そりゃ、ま、顔は掛け値なしにいいかもしんないけど。……って、小毬ちゃん?」


「え? あ、なに、カズミー?」


「や。別になにってわけでもないけど。黙っちゃってどうしたのかなって」


 話しかけてもボーッとしていた小毬ちゃんに、気遣うように言葉をかける。


「あ、もしかして、イケメンがウザくて気分悪くなったとか?」


「あー、うん、そういうのとは違うかな。あは」


 そう言って小毬ちゃんは笑うけれど、何かをごまかそうとしているようにも見えた。


 彼女がこういう反応を私に見せることは珍しいことだ。悩み事かなにかだろうか。


「無理には聞かないけど、なにか悩んでるんだったらなんでも聞くよ?」


「ううん全然! カズミーが心配してるようなことじゃない。じゃない、んだけど」


 迷う素振りを見せながらも、小毬ちゃんが言葉を続ける。


「心配、ってのは……ほら、その。してもらうようなことじゃなくて。むしろこっちが勝手に、ほら。してたっていうか」


「してた?」


「うん。昨日は、ほら、あんなの来たから、大丈夫かなって」


 昨日、校門での一件のあとのこと。


 イケメンと、どうやら『友達』らしきものになってしまった、ということは小毬ちゃんに朝、話した。


 だけど、それ以外のことは彼女に話していない。いや、正確には、話すことを忘れていた。


 だから、そっか。これまで心配してくれてたんだな、小毬ちゃんは。


「それなら、全然大丈夫。なんか、ほら、割と平気だったみたい。へへっ」


 安心させてあげようと思って、力コブを作ってみせながら笑いかける。すると小毬ちゃんも「へへっ、さすがカズミー」と同じような笑顔を作った。


「あーあ。でもなーんか、つまんないの」


「つまんないって何がよ」


「カズミーを元気にする役割、楠木君に奪われちゃったなーなんて思ってさー」


 そんなこと言って小毬ちゃんが鼻をふんと鳴らしてみせた。


「元気に? って? や、なにそれ。あいつにはむしろ元気どころか思い切り疲れさせられてるんだけど」


「そっかなあ~? あんまりそうは見えないけどお~」


 言いながら彼女が浮かべるのは、いかにも意地の悪そうな含み笑いだ。


「せっかく? ほら、友達なんてものにもなったわけだしぃ? やーもーついにカズミーの牙城も崩されてしまったというわけねー、ふんふんなーるほどー」


「わーうっぜー……」


「そんな照れなくてもいいのにー。あは、まあいきなりな展開で戸惑ってるのも分かるけど、素直に心を開けば楠木君ともきっといい感じにカズ……みぎゃっ」


 よく回る小毬ちゃんの唇を、思わず親指と人差し指で上下から摘む。続けて人差し指を上に弾いて、鼻をピシッと打ち据える。


「やだもー」


 と、可愛らしく鼻を抑えて小毬ちゃんは不満顔。


「鼻とか、マジでないんですけどー? 人体の急所だよ急所! 武道やってる人がそゆことするの反対はんたーい!」


「急所狙いは基本なの。隙を見せるほうが悪い」


「わー体育会系の横暴だー……」


 と、小毬ちゃんが唇を尖らせたものだから、くのくのとばかりに人差し指で突っついてみる。小毬ちゃんは筋肉バカな私と違って体の色んなところが柔らかくて、触れると指が心地よく沈み込む。


 それは彼女の唇も例外ではなかった。


 少し夢中になって突っついていると、


「もー。ちょ、食べにくいんですけど意地悪しないでっ」


 と小毬ちゃんは身を捩り、


「「「くぅぅっ、巨大戦艦め! また小毬ちゃんを弄びおってこの不届き者が!」」」


 といつもの男子アホ共が一斉に叫んだ。


「お前らいちいちうっさ――」


 私は例によって、叫んだ輩を投げ飛ばそうかと席を立ちかける。


 が。


「……ふん」


 浮かせた腰を椅子の上に戻し、再び弁当に向き直る。バカな男子の相手なんて、したところで時間の無駄だ。


 それに私だって、一応、その、女子である。


 あまりスカートで大外刈とか背負投とかは、常識的に考えてするものじゃない。じゃない、んだけど、でも、こんなことをなんでだろう、今まで考えたことはなかった。


 なのになんでか、それが唐突に、すごく、はしたないことのように思えて仕方なくなって……。


「むっふふー」


 机の上に肘ついた小毬ちゃんが、含み笑いをこちらに向ける。


「……あのさ、それさ、行儀悪いよ」


「なにがあ?」


 肘をついたまま両手を組み、その上に小毬ちゃんが顎を乗っけて小首を傾げる。


 ニヨニヨと、まるで囃し立てるような、そんな笑顔で。


「……なによ」


「乙女だねえ、カズミー」


 出し抜けにそう言われ、なぜだか顔が熱くなる。


 私は、


「なんのことだか」


 なんて言いながら、小毬ちゃんから顔を背けるのであった。

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