きのこの山たけのこの里戦争

K

第1話

世の中には2種類の人間がいる

きのこか、たけのこか


有名すぎる文句の一つであろう、しかしこの言葉は真理とさえ言えるのだ。


長きに渡る戦争の歴史をこの本で共に紐解こうではないか

1999〜2046 ス=ギ・ノーコ


序章

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1975年、MEIJI聖菓よりきのこの山が製造、販売開始される。

日乃本国民は天をも震わす拍手でこの新たな菓子を迎え入れる運びとなった。

そしてその平穏な日々に終止符が打たれる1978年同会社よりたけのこの里が発売される。

この2つの菓子が日乃本を二分し、増してや世界を巻き込むなどこの時誰が考えていたのだろうか。

たけのこの里もまた日乃本国民に熱烈な歓迎を受けた。

きのこの山はここで初めて蔑ろにされ、たけのこの里に対する復讐心を燃やし始めたのである。


同年12月22日

きのこの山党より派生された過激派

紅天狗茸(ベニテングタケ)がたけのこの里和歌山支部を襲撃した。

以降も年末までゲリラ的な攻撃を繰り返し、武力を持たぬたけのこの里派は平和主義を唱えながらきのこの山を無理やり食べさせられることに甘んじる他なかった。

たけのこの里(以下T)の完全敗北である。

この紅天狗茸のテロとも言える非人道的行いは国内外から大きな批判を巻き起こし、


これが理由で紅天狗茸を擁護するきのこ派である

過激のこ。


きのこもたけのこも是とする中立組織

たきのこの麓。


たけのこの里を支持する質より量の圧倒的勢力、

〔THH〕(たけのこの里と平和を愛する日乃本国民の会)が設立されるに至った。


1979年のことであった。

その後は平和に両者暮らしていたが過激のこが覇気のこに名前を変えたのは周知の通りである。

覇気のこの版図は南は那覇。北は富山滋賀和歌山と広く雄々しいものとなっており、そこより北はTHHの勢力下となっていた…


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