第三章 異なる世界で響く音
第1話 後輩ちゃん
夏休みの最終日、俺は七掛と三台のパソコンを挟んで議論を交わしていた。
「C―D遍在ノートパソコンはハブとして使うんだよな?」
「そう」
「A、Bの『ES―D7』もハブとして使うんだよな?」
「そう」
ネリネ会はVR同窓会の形を取る。つまり、同窓会の参加者は各世界から遍在ノートパソコンや『ES―D7』を介して会場であるVR空間に出入りする。
「つまり、問題は二つ。遍在ノートパソコンと『ES―D7』の接続、そしてサーバーをどうするかだ」
「そう」
「どうする?」
「……接続に関しては手立てがない。サーバーも、接続先の世界に置かないとダメ。現状、対策の立てようがない」
「だよな」
たとえば、A世界にサーバーを置き、C―B世界間接続ができた場合、D世界の参加者はD世界から遍在ノートパソコンでC世界へ、そこから何らかの接続方法でB世界へ、続いて『ES―D7』の量子縺れを介してA世界へ、そしてようやく、A世界サーバーにたどり着く。
通信ラグが酷いことになりそうだ。そうでなくとも、下流に行くほど回線が混雑してしまう。参加者数次第では回線がパンクするだろう。
「ただでさえ、VRなんて負荷の大きなものを使うんだ。直列繋ぎなんてやめた方がいいってのは同感だよ」
「サーバーの制作、管理費用はネリネ会の資金で出せる。問題は接続方法」
「さて、どうするかな」
俺は愛機『ES―D7』に七掛が送ってきた3Dデータをプロジェクターに投影させる。
A―B世界間通信は完璧だ。量子縺れによる効果でラグもない。
「凄い」
七掛が呟くのも無理はない。この世に存在するあらゆる通信手段の中でも最速で大量のデータをやり取りできるのだ。
加えて、処理も桁違いに早い。七掛が3Dデータの表示速度に絶句するのも仕方がないことだ。
「やっぱり、本物の量子コンピューターなんだろうな」
「ここまでくると、認めざるを得ない」
七掛がB世界『ES―D7』を色々な角度から観察する。
「中身、どうなってる?」
「写真見るか?」
「写真?」
「定期的に中の掃除するだろ。その時の写真」
「怖いことしてる」
まぁ、七掛にとっては未知の量子コンピューターだ。下手に掃除をして壊れたらと心配する気持ちは理解できる。
だが、掃除をしなければそれこそ壊れる。それに、元々俺は愛機が本物の量子コンピューターだなんて思わずに使用していたのだ。定期メンテナンスくらい中学の時からやっている。
写真を見せると、七掛は興味深そうに観察する。
「この銀色の箱が分からない」
「たぶんそれが量子コンピューター足らしめる部分なんだろうな。筐体そのものにくっついていて、外すこともできないんだ」
「中身を解析して量産できれば……」
「銀色の箱だがブラックボックスだぞ?」
それこそ壊れる可能性がある。
いくら国営の研究所でもあるこのサクラソウの研究員でも下手にいじれないだろう。
功刀さんの顔を思い浮かべながら指摘すると、七掛も素直に提案をひっこめた。
そして結局、議論は振り出しに戻る。
「他国にも同じような遍在者の施設があるんだろう? 遍在ノートパソコンみたいなものってないのか?」
「あったとしても輸送できない」
「あぁ、そうだな。遍在してるんだもんな」
遍在者が公共交通機関を利用できない理由は世界ごとで進む速度が違った場合に座席へと叩きつけられたりするからだ。空路だろうと海路だろうと、遍在している物質を輸送するのは非常に難しい。
「髪の毛で糸電話を作れば世界間通信もできるんだけどな」
一度興味本位で試してみたことがある。髪の毛でA、B、C世界それぞれのティッシュを結ぶ実験。結果として、連動して動いたから、糸電話も可能なはずだ。
まぁ、VR同窓会に使えるわけではない。せいぜい、他世界を認識できない一般人相手にマジックができる程度だ。
「変な発想」
七掛が笑う。
「え、みんなやらないの?」
「やらない、と思う」
マジか。
話が脱線する気配を感じ始めたとき、部屋の扉が叩かれた。
どうぞ、と呼びかけると中に人が入ってくる。
「笠鳥先輩、どうしたんですか?」
部屋にはいてきた笠鳥先輩はノートパソコンと『ES―D7』を囲む俺と七掛を奇妙なものでも見るような目で眺めた後、俺の隣に腰を下ろした。
「今日、新入りこと由岐中を仲葉が連れ出して、オリエンテーションを行うことが極秘に決定した」
どこかの新世紀のロボアニメに登場する総司令官のポーズで笠鳥先輩が宣言する。
懐かしいな。三依先輩と廻ったのはもう半年以上前か。
「極秘と言いますけど、由岐中ちゃん以外は知ってますよね?」
「話を合わせろ、榎舟隊員」
「へい、ボス」
「かみ合ってねぇ」
苦笑した笠鳥先輩が姿勢を崩して楽な格好になる。
「まぁ、そんなわけだから。夕飯は全員で会議室でとることになった。体育館って案もあったんだが、明日始業式だからな」
「了解です。料理の分担とかは決まってますか?」
「ご飯ものは由岐中が作ることになってる。まぁ、俺や七掛ちゃんは食えないわけだが、そのあたりは仲葉が調整して作るそうだ。そんなわけで惣菜系を頼みたい。ほれ、メモ」
笠鳥先輩が差し出してきたメモは揚げ物、サラダ、などで大きくカテゴライズされた枠が書かれ、各自がどの枠を担当して何を作るかを立候補する形になっていた。
「仲葉はチャーハンを提案するつもりらしい。そういうわけで、中華がメインだな」
「それじゃ、俺は春雨サラダで」
「榎舟は三世界分だからあんまり手間のかかる料理は作れないわな。それでいいぞ」
「ありがとうございます。後は七掛の手伝いですかね。七掛の料理を主役は食べられませんし」
「ん、餃子を作る」
割と手間のかかるものを選んできたな。まぁ、手伝うけども。
笠鳥先輩はメモに俺たちの分担を書き込む。
「決まりな。あぁ、だれかエビチリとか作ってくんねぇかな」
「先輩が作ればいいんじゃないですか?」
「俺はエビが苦手なんだわ。なんか虫っぽくて」
「なら何故エビチリなんて」
「由岐中ちゃんがエビ好きらしいから。主役だしさ」
「たしか、招田先輩が酔っ払いエビを作っていたと鬼原井先輩から聞きましたよ」
「なんだ、その料理」
初耳らしい笠鳥先輩が怪訝な顔をすると、博識な七掛先生が答えてくれた。
「紹興酒に生きたエビをつけ込んで生で食べる中華料理。炒めたりする場合もある」
「踊り食いっぽい感じか。俺は絶対無理だわ」
ただでさえエビが苦手ならそりゃあ無理だろうなぁ。
「まぁ、賑やかしにはなるか。お鈴に頼んでみるわ」
「お鈴?」
「招田鈴だろ?」
「凛々しい凛ですよ?」
「え、マジ?」
「マジです」
「勘違いしてたわ。マジましのマジで衝撃だわ」
謝っておこう、と呟きながら笠鳥先輩は部屋を出て行った。
俺は冷蔵庫を開いて中身を確認し、七掛を振り返る。
「早めに食材の注文をしようか」
「餃子の皮と、柚子胡椒」
「柚子胡椒を使うのか?」
「さっぱり風味の変わり種餃子を作る」
「へぇ、材料を教えてくれ。買ってこないとC世界分が作れない」
「分かった」
二人で食材メモを作成し、業者に電話で注文する。
注文を終えた俺は歓迎会の前に遍在者の義務を終わらせておこうとパソコンを立ち上げた。
向かいに専用クッションを敷いて同様に作業を始めた七掛が口を開く。
「由岐中さんってどんな人?」
「足に羽が生えている」
「……靴?」
「いや、比喩表現だ。マイペースで地に足がついていない。でも社交的だし、根はまじめだと思う。仲葉先輩曰く、外国語の勉強も前向きに取り組んでいるそうだ」
ふむふむ、と七掛が聞き入っている。歓迎会とはいっても由岐中ちゃんが見えない七掛は俺のように世界を共有している人間から話を聞く以外に人となりを知ることはできない。
「面白い子だとは思うよ。鬼原井先輩からの又聞きだけど、遍在者になるなりC世界のスマホを手に入れてネットサーフィンを始めたそうだ」
「ネット中毒?」
「趣味って話だけどな。色々と変なことを知っているらしい。外国語はさっぱりだけど、これで海外サイトも読めるようになると意気込んでいるんだとさ」
「やる気があるのはいいこと」
「同感だ」
将来有望な後輩が出来たのは喜ばしい。俺が楽になるから。
世間話をしつつ作業を進めること三時間、頼んでいた食材が到着したことがサクラソウの呼び鈴で知らされ、俺は七掛と一緒に玄関へ出向く。
校内への車の乗り入れが難しいため、配達業者は台車を使ってここまで荷物を運んできている。夏休み最終日とはいえまだまだ暑さは厳しく、配達業者のお兄さんは首にタオルを巻いていた。
「ありがとうございます」
「いえいえ、高校に入ると懐かしさがこみ上げるんで、ここへの配達は結構好きなんですよ。暑さは堪えますけどね」
快活に笑うお兄さんに礼を言って代金を支払い、七掛と一緒に俺の部屋へ食材を運び込もうとした時、女子陣地奥の扉が開き、後輩ちゃんこと由岐中が顔を出した。
「先輩、何かの荷物ですか?」
「食材をちょっとね」
「ちょっとって量じゃないっぽいですよ? パーティーですか? 彼女さんとパーティーですか?」
本日の主役であることを知りもしない由岐中が恋バナ好きを隠そうともしないにやけ顔で歩いてくる。
彼女は俺の隣に七掛がいることも知らないのだ。
「俺に彼女はいないよ」
「え、モテそうなのに」
「モテないんだな、これが。というか、遍在者が恋人を作るのは無謀だろ」
「どうしてです?」
本気で分からないらしい遍在者なりたてほやほや由岐中ちゃん。
俺は先輩風を吹かすことを決めた。いま決めた。
「在自高校からの外出は禁止。つまり、デートができない」
「……うわぁ、どえらいハンデ」
校内デートはできるけどね。あとは在自山の中ならお堂とお寺と海と花見スポットがある。もれなくサクラソウメンバーが遊びに来る場所だ。
由岐中ちゃんははっと閃いたように俺をびしっと指差した。犯人はお前だ、と副音声が聞こえてきそうな様になるポーズである。
「サクラ荘の寮生同士なら無問題ですよ。むしろひとつ屋根の下で一歩リードじゃないですかね?」
「あぁ……」
脳裏をちらりと三依先輩の顔がよぎり、俺は感傷と共に素人遍在者由岐中ちゃんの肩を叩いて頷いた。
「それはガチでやめておけ」
「え、なんで?」
「そのうち分かる」
嫌でもそのうち分かるのだ。俺の口から説明しない。俺が説明されず、実体験で考えて色々な感情と共に飲み込んだように、由岐中ちゃんも自分で折り合いをつけていくべきだ。
七掛が俺の服の袖を引っ張った。会話の全貌が聞こえずとも、俺の発言からなんとなく察したらしい。
心配するような目を向けられて、俺は大丈夫だと笑って荷物を持った。
「七掛、俺の部屋で餃子作るか?」
「作る」
「そこに七掛先輩がいるんですか?」
「あぁ、いるぞ。会話したいなら通訳しようか?」
「うーまだ慣れませんね。見えない人と話すのって」
へぇそうなんだ。
俺はサクラソウにいる人の中で見えないのはただ一人、D世界の研究員である初瀬さんだけだ。研究員らしく干渉してこないから会話の機会もなく、俺は見えない人と話した経験がない。
七掛も心なしかどぎまぎしていた。
「いまは食材を冷蔵庫に入れたいし、また今度にするか。何かわからないことがあったら聞けよ。勉強は教えられないけどな」
「そこ一番重要なとこなんですけど」
在自高校の授業についていける気がしないのか、困ったように笑いながら由岐中ちゃんは玄関で靴を履く。購買にでも行くのだろう。
「七掛先輩によろしくって言っておいてください」
「ほいよ。七掛、由岐中ちゃんがよろしくってさ」
「よろしく。そのうち、女子会に呼ぶ」
七掛の言葉をそっくりそのまま伝えると、由岐中ちゃんは「待ってます」となぜか敬礼をしてサクラソウを出て行った。
食材が入った段ボール箱を持って自室へ帰る。
「女子会とかしてたの?」
「不定期でたまに」
「いつの間に……。男子もたまに集まってゲームとかするし似たようなもんか」
青春は日常が形作るのかもしれない、とか悟った風に言ってみたり。
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