第173話 物語を作るにあたって

—1—


 8月4日火曜日。

 西城と明智と千代田と海に行く約束をしている前日。

 オレは冷房の効いた部屋で読書を楽しんでいた。


 手にしているのは『文芸誌・翼』。

 『文芸誌・翼』には8年前文芸部に所属していた鞘師先生と保坂先生の作品が載っている。


 火野から文芸部のミーティングをするから部室に来て欲しいとメッセージを貰い、時間通りに部室に着いたのだが、部長の紫龍が生徒会室に向かったらしく戻って来るまでの間に2人の作品を読むことにしたのだ。


「いのりん、作品どれくらい書けた?」


「半分くらい。お盆に実家に帰るからその時に一気に進めるつもり。ちゆは?」


「えっと、まだ設定が決めきれなくてさー」


 あははっと、浅香が空笑いを見せる。

 火野が想像以上に進んでいて焦っているのだろう。

 無理に笑っているのがバレバレだ。

 助けを求めるようにオレに視線を向ける浅香。

 文芸誌に目を落としていても隣で凝視されたら嫌でも視界に入る。


「神楽坂くんは?」


「オレは三分の一くらいのところで止まってる。物語に起伏をつけたいんだが上手くいかなくてな。そのヒントをと思って先輩たちの作品を読むことにしたんだ」


「私が最下位かー」


 浅香がどてーっと机に突っ伏した。

 部室以外の場所では明智に並ぶ統率力を見せているだけに抜けているところを見るのは新鮮だ。

 それだけ火野やオレに心を許してくれているのだろう。


「別に小説は早く書ければ良いってもんでもないだろ?」


「まあ、それはそうなんだけどねー」


「ちゆ、大事なのは中身」


 火野の言う通りだ。

 期限に間に合いさえすれば問題ない。

 それに部活で出してる文芸誌だから誰かと競っているわけでもない。


「よーし、頑張るか!」


 浅香のやる気スイッチが入ったのか鞄からノートを取り出してカリカリと作品の設定を書き始めた。

 オレはオレで鞘師先生の作品を読み終えた。

 高校生の純愛モノで両思いの男女がいくつかの試練を乗り越えて結ばれるという内容だった。


 オレ個人の感想だが男子生徒のモデルは保坂先生のような気がした。性別は違うが要所要所で保坂先生の特徴を捉えていた。

 今度会った時にでも聞いてみよう。


「文化祭の出し物の申請に行ってて遅くなったわ」


 部室の扉が開き、紫龍が入ってきた。

 紫龍はそのままホワイトボードの前に立ち、『9月6日最終締め切り』と大きく書いた。


「ええと、文化祭の話をする前に神楽坂くん、改めてこれからよろしく」


 紫龍の赤い双眸がオレを真っ直ぐ捉えて圧を掛けてくるがオレは表情を変えない。

 ポーカーフェイスは数少ないオレの特技だ。


「よろしくお願いします」


 恐らく集団序列戦でオレが糸巻と戦っている様子を溝端とどこかで見ていたのだろうが、紫龍はオレが気づいたことに気がついているのだろう。

 2年生が1年生の序列戦に介入していたとは考えにくいが、学院側の人間なら話は別だ。

 まあ、今回は結果として何も起こらなかったからオレとしてはどうこうするつもりはない。


「例年通り部活単位の申請だから問題無く受理されたわ。場所はここ、文芸部の部室。文化祭が9月26日〜27日だから原稿を印刷する期間を考慮して9月6日を締め切りにしようと思うのだけど進捗はどうかしら?」


 夏休みは授業が無い分、執筆作業に使える時間も十分確保できる。

 1ヶ月あれば設定の段階でつまずいている浅香も完結まで持っていけるだろう。


「……大丈夫そうね。部室の鍵は職員室で借りられるから夏休みの間は自由に利用してもらって構わないわ。何か分からないことがあればメッセージで、原稿に関してはメッセージにデータを添付して送って貰えれば答えるから」


 物語を作る上で何もかも初心者なオレたちにフォローを忘れない紫龍。

 文芸部の部長としての彼女は意外と面倒見が良い。

 だからと言ってオレの紫龍に対する評価は変わらない。

 倒すべき相手。ただそれだけだ。


 それ以上でもそれ以下でもない。


「3人の作品を読める日を楽しみにしているわ」


 紫龍のその言葉でこの日のミーティングは幕を閉じた。

 それぞれが書いている作品のジャンル、設定、大まかなあらすじを発表し、雑談をしていると気が付けば1時間近く経っていた。


 他の部活に比べると1時間という活動時間は短いが、文芸部は読み書きが中心の部活だ。

 わざわざ部員全員が長期休暇に同じ空間に集まって活動をする必要もない。

 そういう意味でもこの1時間は内容の濃い時間だった。


「火野、ちょっといいか?」


「ん? 神楽坂くん、暑いけどこの扇風機は貸せないよ」


 火野が携帯型の小型扇風機で赤髪を靡かせている。

 この時期は太陽の熱が髪にこもって暑い。

 今や生徒の間では小型扇風機は必需品だ。


「いのりん、多分違うと思うよ」


「そうなの?」


 浅香のツッコミに火野が首を傾げた。

 部室から3人で寮に帰る途中、オレは火野にとある話を持ち掛けることにした。


「夏休み中に訓練ルームで特訓をしようと考えてるんだが火野にも参加して欲しくてな。オレの他に氷堂もいて、もう何人か増えると思う」


「お盆じゃなければいいよ」


 火野がグッと親指を立てる。

 お盆は実家に帰省するって言ってたからな。

 これで氷堂の対戦相手が1人増えた。

 後は千炎寺と西城あたりに声を掛けてみるか。


「私も行っていい? 見てるだけだけど」


「ああ、日にちが決まったら連絡する」


「ありがと!」


 戦闘に関与はしないが浅香の参加も決まった。

 火野が参加して浅香だけ仲間外れにする訳にもいかないからな。

 浅香の治癒能力はサポート的な役割が大きいから1対1の戦闘には向いていない。


 複数人での戦闘にこそ真価を発揮する。

 ただ、この学院での序列システムは基本的に1対1を軸に考えられている。

 浅香には『自分の手の届く範囲の傷ついた生き物を治したい』という明確な目標があるからいいが、浅香のように戦闘向きではない異能力を持っている生徒が序列上位を目指すにはそもそも現実味がない。


 そこで諦めるかどうかは本人次第だが、運命の分かれ目であることは言うまでもない。


 異能は人間が持つ想像力次第で無限の可能性を秘めている。

 譲れない願いがあるのなら自分自身に挑み続けるしかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る