第55話 学院を守る責務がある

―1—


 模擬戦が終わり、暗空を含む生徒会メンバーは生徒会室へと戻って行った。

 オレはというと、右腕の痛みが気になる旨を馬場会長に伝え、保健室を訪れていた。


「失礼します」


 扉を開くと保健室特有の消毒の匂いがした。


「いらっしゃ~い。どうしましたか?」


 白衣を着た女性が読みかけの本を机の上に置き、顔をこちらに向けた。

 40歳手前くらいだろうか。いや、もっと若いと言われても不思議ではない。

 胸の辺りに付けているネームプレートには『鳴宮声蘭なりみやせいらん』と書かれている。彼女の名前だろう。


 ベッドを仕切るカーテンがすべて開いていることから他に生徒がいないことがわかる。


「右腕の痛みが引かないので1度診てもらいたいと思いまして」


「あらあら、それは大変ですね。わかりました。制服の袖を捲ってここに座ってくださ~い」


 鳴宮先生は目の前の椅子をポンポンと叩く。

 のんびりとした口調とほんわかとした雰囲気から鳴宮先生の優しさが感じられる。


「青いネクタイってことは1年生だね。名前を聞いてもいいかな?」


「神楽坂春斗です」


「神楽坂くん、これは痛いですか?」


 鳴宮先生がオレの右腕に触れて軽く力を加える。

 すると、ズキンと痛みが走った。


「ごめんね、痛いよね。うん、これは骨が折れてますね。転んだりしたわけじゃないですよね?」


「はい、生徒会の歓迎試合で少し……」


「そうですか。歓迎試合で怪我させちゃったら元も子もないね。今治療しますからジッとしててくださいね~」


 オレは鳴宮先生に言われるがまま真っ直ぐ腕を伸ばす。


「痛いの痛いの飛んでいけ~♪」


 オレの右腕を擦りながら鳴宮先生がそう2回繰り返した。

 一瞬、ふざけているのかと疑いの目を向けてしまったが、どうやら鳴宮先生は本気らしい。


「はい、今日の治療はこれでおしまいです。後4回くらい通えば完治すると思いますよ。それまでは安静にしておいてください」


 鳴宮先生は棚の引き出しから包帯を取り出し、オレの腕に巻き始めた。

 普通であれば骨折の完治には3カ月から半年ほどかかる。

 それを鳴宮先生は5回の治療で完治すると断言した。


「これで完璧っと」


「ありがとうございます。えっと、鳴宮先生の異能力って」


「私の異能力は癒しのボイスって言うの。対象に触れながら私の声を聞かせてあげると強力な治癒効果を発揮するんだ」


「凄い異能力ですね」


「でも、同じ人に異能力を使うには24時間のインターバルが必要だし、自分には使えないっていう大きな欠点があるんだけどね~」


 そう言って鳴宮先生が苦笑する。

 それを踏まえても世間一般的に見れば治癒能力者は貴重な存在に変わりはない。


「保健の先生をするのにはピッタリな異能力だと思います」


「ありがとう。それじゃ、早く治したいなら明日のこの時間にまた来てね」


「はい、そうさせてもらいます」


 鳴宮先生に手を振られ、オレは保健室を後にした。


―2—


 生徒会室に向かう途中、頭の中に浮かんできたのは肉体強化のイメージと癒しのボイスのイメージだ。


 オレは橋場先輩の全力正拳突きフルパワーナックルを正面から受けたことで、肉体強化の異能力をコピーすることに成功していた。


 しかし、学院序列2位の異能力を無料ただでというわけにはいかない。


「参ったな」


 包帯でぐるぐる巻きに固定された右腕に視線を落とす。


 模擬戦の最中に浅香の治癒の異能力で回復させたが、1度や2度の治癒では治らないほど深いダメージを負ってしまった。


 また、治癒の異能力には使用後眠気に襲われるという副作用があるため、1日に複数回使用することはできない。

 新しく獲得した癒しのボイスも自分自身には使えないみたいだし、ここは大人しく保健室に通うしかなさそうだ。


「神楽坂、怪我の具合はどうだ?」


 生徒会室に入ると、馬場会長がオレの右腕を見て心配そうな声を上げる。


「骨折していたみたいです。今週いっぱい保健室に通おうと思います」


「そうか。怪我が悪化しないようにあまり無理はしないでくれ」


「わかりました。業務を覚えることに専念します」


「そうだな。暗空には話したんだが、しばらくは生徒会のメンバーが日替わりで業務を教える予定になっている。明日も今日と同じ時間に生徒会室集合だ」


「はい、わかりました」


 席に座ると橋場先輩がこちらに近づいてきた。


「神楽坂、悪かったな」


「いえ、橋場先輩は謝らないで下さい。あくまで自分の未熟さが招いた結果なので」


 橋場先輩が何か言おうとして口を紡ぐ。

 そして、一瞬目線を床に向けてからオレと視線を合わせた。


「わかった。それじゃあ、怪我が治ったら今後怪我をしないように俺と一緒にトレーニングでもするか」


「うわっ、また出た。ほんと橋場先輩は頭の中筋肉しか無いんですね」


 天童雷葉が呆れたとばかりに両手を上げてみせる。


「そんなことはないぞ天童。体を鍛えることで心にも余裕が生まれるんだ。だから天童も――」


「橋場、もういい。席に着け」


 馬場会長に注意され、橋場先輩が自分の席へ戻る。


「イェーイ、橋場先輩が怒られたー」


「天童さん、会長から大切なお話があるのであなたもいい加減静かにしなさい」


 橋場先輩が怒られたことにはしゃいでいた天童が滝壺に注意され、しゅんと小さくなった。


榊原さかきばら、模擬戦の結果を受けて考えは変わったか?」


「はい、あれだけの試合を見せられたら納得せざるを得ません。いくら橋場先輩が手加減をしていたとはいえ、神楽坂の戦闘技術には光るものがありました」


 やはり、橋場先輩は手加減をしていたのか。

 1度も防御技を使ってこなかったから引っ掛かってはいたが。


「というわけだ。神楽坂、改めて生徒会に歓迎しよう」


「よろしくお願いします」


 オレはその場に立ち、頭を下げた。

 すると、生徒会のメンバーが拍手でオレを迎えてくれた。


 新しいこの場所で、オレは真実に近づくための情報を探っていくことになる。

 敵か味方かもわからない学院の序列1位から序列5位の生徒を相手にどう切り崩していけばいいものか。


 課題は山積みだ。


「1年生の2人にとって今日は初日だから早く終わらせてやりたいところだが、どうしても話しておきたいことがある」


 緩んでいた雰囲気が会長の言葉で一気に引き締まる。


「6月9日の夜に我が学院が襲撃される」


 重い空気がのしかかる。

 橋場先輩、天童、榊原の3人はとうとうこの時が来たかと、思い思いの表情を浮かべる。


 動揺していない滝壺の様子を見るに彼女は事前に馬場会長から話を聞かされていたのだろう。


「会長、見たんですか?」


 榊原が真剣な表情で訊く。「見た」というのは馬場会長の未来視の異能力でという意味だろう。

 馬場会長はそれに答えるように大きく頷いた。


「1年生のソロ序列戦が始まる少し前にな。それはもう最悪の未来だった」


「敵が何者かおおよその見当はついていますか?」


「恐らくだが、だ」


 反異能力者ギルド。

 異能力を悪と考え、異能力そのものをこの世界から抹消しようと活動する超過激派組織だ。


 彼らは、異能力はいずれ世界のガンとなる存在だと声を上げ、度々政府に攻撃を仕掛けている。


 近年では、彼らの牙が異能力を専門的に教える教育機関に向くようになった。


 異能力を受け入れ、さらに技術を磨こうとする異能力者育成学院は彼らからしたら邪魔な存在以外の何物でもないからな。


「反異能力と言っておきながら異能力に頼っている半端者か」


 榊原は反異能力者ギルドについて知識があるらしい。

 まあ、ネットを調べればいくらでもこの手の情報は出てくるか。


「俺が見た未来だとその半端者にこの学院は滅ぼされた。榊原、彼らを甘く見てはいけない」


「勘違いしないで下さい会長。甘くなど見ていませんよ。ただ、異能力をこの世から消すと言っておきながら敵を制圧する手段が異能力では本末転倒のような気がしただけです。彼らのような半端者は個人的に気に入らない」


 榊原の強い言葉に場が静まりかけたが、すぐに馬場会長が口を開く。


「俺は自分の見た未来を変えるために暗空と神楽坂を生徒会に入れた。俺には決められた未来を捻じ曲げる異能力ちからがある。今こそ生徒会が一つになって学院を、生徒を守るときだ。もちろん俺も生徒会長として学院を守る責務がある。全力を尽くすと約束しよう」


 新たな敵の出現。

 オレたち生徒会は、残り少ない日数で敵の攻撃に迎え撃つ準備をしなくてはならない。


―3—


 生徒会室に1人残った馬場は、窓の外に見える夜景をジッと眺めていた。

 この景色を守りたい。先輩たちが代々守り抜いてきた伝統ある学院を自分の代で終わらせるわけにはいかない。


 この学院の序列1位とはいえ、まだ17歳の少年だ。馬場はプレッシャーを感じていた。


「まだいらっしゃったんですね」


 滝壺が長い青髪を揺らし、部屋に入ってきた。

 彼女は馬場の斜め後ろまで足を進める。手を伸ばせば届く距離。ここが彼女のベストポジションだ。


 2人で夜景を眺める。

 聞こえるのは、壁に掛かっている時計の秒針の音だけ。

 たとえ会話が無くても滝壺にとって馬場と2人で過ごせるこの時間は何よりも幸せだった。


「会長、会長が私に1年生を生徒会に入れると話して下さったときは正直なぜ? と思ってしまいました。会長にとって私たちは力不足だったのかなと。でも違ったんですね。会長にはすべてが見えていたんですね」


「いいや、俺にもすべてが見えているわけではない。だからこそ、見えてしまった未来とは異なる選択肢を取り続ける必要があったんだ」


 馬場の異能力は未来視。

 自身の目で見た対象物の数秒先の未来を見ることができる。

 また、極稀にだが、寝ている最中に遠い未来の映像を断片的に見ることがある。本人の意思とは関係なく、何の前触れもないまま映像は流れる。夢とはそういうものだ。


 今回の学院襲撃の出来事も馬場が夢の中で見たことだ。


 未来はそうそう変わらない。

 どれだけ必死に足掻こうと最後には決められた選択肢に収束される。


 だが、これだけは何としてでも捻じ曲げねばならない。


 滝壺が死んでしまう未来なんて俺には耐えられない。


 だからこそ1年生で序列1位の暗空を生徒会に誘った。

 そして、入学式の日に公園で2人の女子生徒を土浦の手から救った神楽坂に声を掛けた。

 彼のコピー能力や戦闘技術は、上級生にも引けを取らない。


 今の生徒会にとって貴重な戦力だ。


 駒は揃った。後は不安要素を潰していくだけだ。

 なんとしてでも未来を変える。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る