第54話 信じられるのは己の筋肉

―1—


『準備が整い次第模擬戦を始めるぞ。試合開始の合図は俺が担当する。いいな?』


『「はい」』


 訓練ルームに設置されているスピーカーから馬場会長の声が聞こえてきた。

 今、訓練ルームにいるのはオレと橋場はしば先輩の2人だけ。他の生徒会メンバーは窓ガラス越しからこちらを見ている。


「意外と広いな」


 誰にも聞こえないボリュームでそう呟き、軽く周囲を見渡す。

 訓練ルームの広さは、バスケットボールコートの半分くらい。15メートル×14メートルといったところだ。


 床、壁、天井の全てが白色で統一されている。

 馬場会長の話によると、この床や壁は特殊な素材を使っているらしく衝撃を吸収する造りに設計されているとかなんとか。


 さて、困った。


 相手は学院の序列2位。

 ソロ序列戦の解説では、かなり的確なコメントを残していた印象がある。

 もしかしたら試合中にオレの動きを分析して対応してくるかもしれない。いや、それくらいのことを軽くこなせないようでは序列2位にはなれないか。


「神楽坂、こっちはいつでもいいぞ」


 視線を前に向けると、筋トレで鍛え抜かれた橋場先輩の肉体が照明によって輝いていた。


「って、なんで裸なんですか?」


 これには、思わずオレも突っ込んでしまった。


「男の戦闘服と言ったら裸だろ。鍛え抜かれた己の肉体はどんな鎧よりも信頼できる」


「そ、そうですか」


 橋場先輩は筋肉至上主義的な考えを持っているみたいだ。

 こうしている間も腕の筋肉に力を入れながら笑みを浮かべている。筋肉との対話を楽しんでいるようだ。

 150KGのバーベルを持ち上げる腕力。あの拳で殴られたらひとたまりもないだろうな。


 高い分析能力と鍛え抜かれた肉体。

 心して挑まなければ一瞬で決着が着いてしまう。


 試合をどう展開していくのか頭の中でイメージしつつ、試合開始の位置まで足を進める。


 榊原さかきばら先輩に認めてもらうためにも、何としてでもこの勝負に勝たなくては。

 しかし、ここでオレが複数の異能力を使ってしまうと、オレの異能力がコピー能力であるということが皆にバレてしまう危険性がある。

 生徒会に入ることができても生徒会メンバーに警戒されてしまっては意味がない。

 できれば生徒会メンバーの異能力もストックしておきたいからな。


 そうなると、手段は一つ。

 入学当初から要所要所で使ってきた身体強化の異能力だけで橋場先輩を倒さなくてはならない。


 身体強化の異能力は、オレの父親の異能力だ。

 オレがこの学院に入る前に唯一コピーした異能力でもある。


「ふぅー」


 橋場先輩と視線を合わせ、体を静止させる。

 深呼吸をすると心が静まり、無になっていくのがわかる。


『試合開始ッ!』


 直後、ドシリと地面が震えた。

 次の瞬間、オレの体は強い衝撃と共に宙に投げ出されていた。


 タックル。

 試合開始の合図と同時に橋場先輩が踏み込んできたのだ。一切スピードを緩めることなく、その頑丈なボディーがオレに襲い掛かる。

 その衝撃はトラックにはねられたのかと錯覚させられるほどだ。危なく意識が飛びかけた。


 橋場先輩は宙に浮いたオレの襟を左手で掴むと、壁に思い切り叩きつけた。

 もう抵抗する暇もない。

 そのまま倒れたオレの肩を掴むと、無理矢理その場に立たせた。そして、右拳を振り上げる。


 ヤバい。何かが来る。

 オレは直感で身の危険を感じ取った。


全力正拳突きフルパワーナックル!」


 刹那、橋場先輩の右腕が巨大化した。

 肩を抑えつけられているため思うように身動きが取れない中、なんとか脇腹に蹴りを入れて身を屈める。


 すると、ズバンッと風を切る音が鼓膜に届いた。

 それと同時にオレの背後の壁がバリバリと悲鳴のような音を上げ、激しく吹き飛ぶ。衝撃を吸収すると言っていた特殊な壁も橋場先輩の一撃には耐えられなかったようだ。


 訓練ルームの中に夕日が差し込み、橋場先輩の顔をオレンジに染める。


「良い反応速度だ」


「ありがとうございます」


 ただの正拳突きでこの威力だ。

 これをまともに食らっていたらと考えると足が竦みそうになる。


 今の攻撃で確信した。

 この勝負は短期決戦になる。


 オレは覚悟を決め、異能力を解放させた。引き出すのはもちろん身体強化。


「おっ、目の色が変わったな。それに纏っている雰囲気まで変わった」


 橋場先輩の目には金色に変化したオレの双眸が映っていることだろう。

 身体強化を発動したことで橋場先輩の動きにもついていけるようになったはずだ。


 先手は取られたがここから巻き返していく。


 生徒会メンバーの異能力は、調べるまでもなく周知の事実として知れ渡っている。

 橋場先輩の異能力は肉体強化。


 鍛え上げた肉体、筋肉を瞬間的に増幅させる異能力だ。

 先ほど巨大化した右腕が良い例だ。


 オレの身体強化と橋場先輩の肉体強化は似ているようでその本質は大きく異なる。

 身体強化は人間の五感や運動能力を極限まで高める異能力だ。

 具体的にどれだけ高められるのかという点だが、オレが試したところ上限、限界は存在しない。


 しかし、常識を超えた範囲まで高めてしまうと自身の肉体が壊れてしまう。

 例えば学院の校舎を全力で殴った場合、校舎を破壊することはできるかもしれないが代償として腕の骨がそれに耐えきれなくなり粉々に砕けてしまうといった具合だ。


 一方、橋場先輩の肉体強化だが、対象に攻撃を加えるインパクトの瞬間に自身の筋肉を増幅させる異能力らしい。

 これを応用すれば防御の際にも筋肉の鎧を纏うことができる。


 橋場先輩本人に聞いた訳じゃ無いから身体強化のような代償があるのかはわからないが、パッと見たところ代償はなさそうだ。

 ベースとなる人間の筋肉量によって左右される異能力だが、橋場先輩の肉体なら十二分に発揮できる相性の良い異能力と言える。


「オオオオオオ!」


 獣のような咆哮を上げ、橋場先輩が怒涛のラッシュを仕掛けてくる。

 オレは後ろに下がりながらその全てを捌いてみせる。


「ぬっ……!」


 試合を決めに来たのに思うように攻撃が当たらずフラストレーションが溜まっているようだ。

 とはいえ、オレにも全くダメージが入っていないという訳ではない。

 攻撃を流している最中に多少の痛みは感じている。生身の拳だというのになんて重さだ。


 そして、ダメージを受けてオレはあることを悟った。

 橋場先輩の肉体強化をコピーすることは難しいかもしれないと。


 オレのコピー能力は自身の体に直接異能力を受けることで発動する。

 しかし、これには例外が存在する。


 異能力の効果が使用者本人しかわからないものに関してはコピーの対象外になってしまう。


 オレが今までコピーしてきた異能力は、属性によるものが多かった。

 氷堂の氷、千代田の風、土浦の土、暗空の影。


 氷堂の氷や千代田の風の異能力は、実際に属性を操り敵に攻撃を加えるタイプのもの。

 また、浅香は治癒の異能力でオレの肉体を回復させてくれた。


 オレは自身の肉体を実験台にしてその効果を確かめてきた。


 だが、橋場先輩の異能力は自身の肉体を強化するというもので、攻撃手段は生身の一択だ。

 千炎寺の物体生成の異能力をコピーできたという前例も過去にはあるが、今回はどうなるかオレにも想像できない。


 そもそもの話、全力正拳突きフルパワーナックルに正面から対抗しようとすればオレの身が持たないだろう。


「どうやら追い詰められたみたいですね」


 橋場先輩の連撃を回避し続けていると、いつの間にかオレは壁際に追い込まれていた。


「背後は壁。さあどうする1年」


「……」


 橋場先輩の筋肉の動きだけに意識を傾ける。

 筋肉の動きがわかればある程度次に繰り出してくる攻撃も読める。


「!?」


 橋場先輩がノーモーションから突きを放ってきた。

 それを読んでいたオレは体を捻りながら橋場先輩の腕を右手で掴んだ。勢いを殺さないように体を回転させながら左手に持ち替える。


 手を持ち替えた瞬間、力を下向きに加えることで橋場先輩の態勢を僅かに崩した。

 オレは足にブレーキをかけ、思い切り踏ん張る。この時点で橋場先輩には背を向けている形だ。


 繰り出すのは裏拳。それを橋場先輩の後頭部に叩き込む。

 ここでオレは自分の読みが甘かったことに気がつく。


 前傾姿勢に崩したと思っていた橋場先輩の足が膨れ上がっていたのだ。

 態勢を崩されないようにと咄嗟に肉体強化を発動させたのだろう。


 橋場先輩が振り返り、オレの拳に照準を合わせる。

 しかし、すでに遅い。

 オレの拳は橋場先輩の顔面に迫っていた。


「フンガッ!!」


 なんと、橋場先輩は自らの頭を突き出して裏拳の威力を相殺してしまった。


 驚異の身体能力。

 これには素直に賞賛するしかない。


 しかし、勝利までみすみす手放すオレではない。


 バックステップで距離を取り、じりじりと間合いを詰める。

 お互い飛び道具が無いことは知れている。


 あるのは肉体と肉体とのぶつかり合いのみ。

 こうして距離を詰めている間にも多くの駆け引きが行われている。


 次で最後だ。

 示し合わせた訳では無いがオレも橋場先輩もほぼ同時に走り出していた。


「終わりだ! 全力正拳突きフルパワーナックル!」


 身の丈ほどに巨大化した拳がオレの拳とぶつかる。

 鈍い音がオレの腕から鳴り響いた。恐らく骨が軋んだのだろう。


 2つの膨大なエネルギーが訓練ルームを大きく揺らす。

 橋場先輩が破壊した壁に亀裂が入り、転がっていた壁の残骸が吹き飛ぶ。

 さらに、こちらの様子を見ていた生徒会メンバーの前にあるガラスにもヒビが入った。


「ぐっ……」


 押されている。このままでは不味い。

 橋場先輩がすかさず一歩踏み込んできた。


 想像を遥かに超える負荷がオレの腕と足に掛かる。


 負けるな。歯を食いしばれ。


 今後、目的を果たすまでにこれくらいのレベルの敵はゴロゴロ出てくるはずだ。


 こんなところで躓いているわけにはいかない。


 全力で腕を押し込め。


「ぐあっ!」


 衝撃に耐えきれず骨が折れた。

 すぐさま治癒の異能力で腕を回復させる。

 だが、これも気休めに過ぎない。


「ぬおおおおおお!」


 橋場先輩が苦しそうな声を漏らす。

 心なしか巨大化した拳の大きさも一回り小さくなっている気がする。


 瞬間的に増幅させる肉体強化にも制限時間という限界はある。

 粘ればオレの勝ちだ。


 体内のエネルギーというエネルギーを絞り出せ。


「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 オレの拳が橋場先輩の腹を捉え、訓練ルームの外まで吹き飛ばした。


『そこまで! 勝者、神楽坂春斗!』


「勝った、のか」


 試合終了のコールを聞き、オレも橋場先輩もその場に大の字に倒れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る