ピアノの熱

みずほ

ピアノの熱

また男子だ。男子がダメだ。全然真面目にやってくれない。


合唱コンクールまで、あと二週間をきったっていうのに……ちゃんと歌詞とか、覚えているんだろうか。

「覚えてねえよ。何言ってるか分かんねえし」

岸くんの言葉に、みんながうなずいた。指揮の高井さんが一生懸命、説明する。


「これは、ジプシーの歌なんです……。『慣れし故郷を放たれて』っていうのは、つまり」

「ハナタレて? 鼻、たらしてんの?」

岸くんが笑うと、みんなが笑った。


「みんな教室に戻っちゃったよ」

わたしはピアノのいすから降りると、高井さんに声をかけた。高井さんがこっそり泣いていることに気づいたからだ。


正直、泣くほどのことかなあ、と思った。合唱コンクールなんて、たいした行事じゃないって気もする。


高井さんが、顔をあげた。涙でいっぱいの高井さんの目を見て、あー、まつげ長くていいなーと、関係ないことを思った。


「小峰さんにだけは言う。私ね。実は転校するんだ」

「えっ」

思いがけない言葉に、息を飲んだ。

「だから、優勝したかったんだ。C組みんなでできることって、多分もうないと思うから……」

うつむきながら、消え入りそうな声で言う。

「みんなに言ったほうがいいんじゃない?」

と私は言った。


「でも、恥ずかしいし。わたしの勝手っていうか、わたしのエゴで勝ちたいだけだし、みんなは関係ないっていうか」

「関係あるでしょ」


わたしは思わず鍵盤を叩いた。じゃーんと大きな音が出て、高井さんが、びくっとする。

「みんなに言うのが恥ずかしいなら、岸くんに言おう。クラスの中心の岸くんが真面目にやれば、きっとみんなまとまるよ」

「分かった。小峰さんから言ってくれる?」

「なんで私?」

「だって、岸くん、小峰さんのこと好きだよね」

「えっ……」

「好きな子の言うことならきくんじゃない?」

思わず頬を押さえてしまう。困ったなーと思った。


昇降口のところで、靴を履いている岸くんを見つけた。呼び止めて、さっそく高井さんの転校のことを伝えた。


「だから、練習がんばろうよ。最後に、指揮者の高井さんに、いい思い出をつくってあげよう」

岸くんは、ぱちぱちとまばたきして、

「だってさあ」

と言った。


「だってさあ、女子はいいよ。楽し気にメインのパート歌ってさ。男子なんて、なんかあ~あ~言うばっかだし。女子は知らないだろうけど、男はな、声変わりとかあんだよ。思ったように声が出ねえの」

気まずそうに、靴ひもを結びながら岸くんは続けた。


「でもまあ、そこまで言うなら、歌ってやるよ。別に高井のためとかじゃねえけど。優勝したら、……なんかほしいなあ」

「なんかって?」

「なんかだよ。なんか、いいもの」


岸くんは、じっとわたしを見つめた。その目つきは、わたしの向こうのわたし、を見るようで、なんだか居心地が悪くなった。


「俺、願掛けしよっかなあ」

「願掛け?」

「うん。優勝したら……告白しよっかなあ」

「こくはく!」

「うん」

岸くんは、そのまま、ばいばいも言わずに、パーッと走っていなくなった。


高井さんの話によれば、岸くんの好きな人はわたしらしい。それが本当なら、優勝したら、好きって言われるのかもしれない。そしたら……。

心臓がどきどきしてきた。深く考えないことにしよう。


岸くんが歌うと、ほかの男子も歌うようになった。

高井さんの指揮に、わたしのピアノに、みんなの声が乗る。練習を重ねるごとに、「流浪の民」は、みちがえるほどよくなった。


「慣れし故郷を放たれて、夢に楽土求めたり」


高井さんはここの土地を離れて、そのあとも、夢で、思い出したりするんだろうか。こんなふうに、みんなで練習した日々のこと。そう思うと、胸がきしんだ。



コンクール本番の朝、女子は、みんなで髪を編み込みにした。わたしの髪は、高井さんが編んでくれた。

「ずるいぜー。男子もやりたい」

岸くんがふざけて、ずいっと頭をわたしのほうに向けてきた。わたしはその頭を笑って叩いた。岸くんの髪は茶色がかっていてやわらかそうで、ちょっと編んでみたい気もした。


「続きまして、一年C組による『流浪の民』です。指揮は、高井菜月さん。演奏は、小峰ゆうさん」


頭をさげると、拍手が体育館に響き渡った。

高井さんを優勝させてあげたい。……このクラスで優勝したい。


黒いグランドピアノに、自分が映る。高井さんが編んだ、編み込みが映る。きれいな編み込み。

高井さんを見る。高井さんも、こっちを見ている。

指先が白鍵に触れる。力強い最初の音。ひんやりとしたピアノの熱。


歌声が重なって、わたしたちが、ひとつになる。

だいじょうぶ。きっとわたしたちは優勝する。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ピアノの熱 みずほ @mizuhooo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ