ミョーケン 3.11大津波「魔法少年」伝説
とくまるソーヤー
第1話 大津波被災地から来た転校生
不思議なことに、「千葉」という名前の人は、千葉県よりも東北地方の岩手県や
宮城県に多い。なかでも岩手県の一関市周辺にはたくさんの千葉さんが住んでいる。世界遺産の中尊寺金色堂で知られる平泉という町はなんと三軒に一軒が千葉さんだという。
その一関からJR大船渡線で太平洋岸へ出ると、入江また入江のノコギリ状のような地形のリアス式海岸が北へと続いている。気仙沼(宮城県)、陸前高田(岩手県)、大船渡(岩手県)と、漁業が盛んな港町だが、ここにも千葉さんがたくさん住んでいた。
陸前高田駅から海の方へ行くと、太平洋を望む高田松原という浜辺に「奇跡の一本松」と呼ばれる松の木がぽつんと一本、大空へ挑むかのように突っ立っている。かつてここはその名のとおり何千本もの松の木が立ち並ぶ白砂青松の浜だったという。だが今は「奇跡の一本松」たった一本しか立っていない。ほかに何もない。ただ渚の浜が広がり、さざ波が打ち寄せては引きと単調に繰り返して時を刻むばかり。
その海は広田湾という。気仙沼側の唐桑半島、大船渡側の広田半島に囲われて、ふだんは波も穏やかな入江の海である。だから、漁業でもカキやホヤやワカメの養殖が盛んで、特にカキは「広田のカキ」というブランドで東京へ出荷され、全国的にも知られている。
この陸前高田市の広田町から、やはり「千葉」という姓の一人の男の子が千葉市の中央区の吾妻小学校に転校して来た。
「おらのナメエ、ツバワタルというだべ。岩手県陸前高田がら来たど。岩手県だけんど、なぜおらのナメエがツバいうだど、先祖がツバから来たんだど、ぢいやんがかだっとっただ。ほだがら、おらツバのヒドどながよぐなれんだべ、よろしぐおねげえすますっだ」
男の子は一番前の席で立ち、自己紹介すると、ペコリと頭を下げ、着席した。教室は静まり返っていた。が、後ろの席でクスッと女の子の吹き出す声が漏れた。それが合図のように、ワッとばかりに生徒たちの笑い声が爆発した。みんな、笑うのをこらえていたのだ。
「静かにしなさい、みなさん」と、担任の中村裕子先生が両手を広げて制した。
「だって、何て言ったのか、全然わかんねえんだもん。な、みんな」
一番後ろの席で体格のいい男子が皮肉っぽく言ったら、その前の席の小柄な男子が後ろに首を振り、言った。
「今しゃべった言葉、あれ、ズーズー弁っていうんじゃないか」
「んだ、んだ、ズーズー弁だっぺ。だれか、通訳してくれよ。はっはは」
後ろの大きな男子が相槌を打ち、笑い声をあげたのを合図に、また教室中に失笑が渦巻いた。
教壇の真下で転校生はうなだれて、顔を上げられなかった。
「どこから転校して来たって言ってたの」
「岩手県のなんとかかんとか市とか言ってたな」
「名前は何だったっけ」
「シバじゃないか」
「おれにはジバと聞こえたぞ」
「違うよ、ツバだよ」
「ツバ?口からぺっと吐き出すツバかよ。きったねえ名前だな」
またドッと笑いが爆発。
「静かにしなさいったら」と、中村先生がまた制して、黒板に白いチョークで大きく「千葉航」という漢字を書いた。
「チバワタルくんと読みます。いいお名前でしょ。千葉市と同じ名前の千葉くん。ね、みなさん、もう覚えたでしょ」
生徒たちは素直に聞こうとしない。
「へえ、岩手から来たのに、名前は千葉かよ」
「なんでや。変なの」
中村先生は構わずに説明を続けた。
「下のお名前は、船に乗って海を渡るという意味のワタルくんです。ワタルくんはね、岩手県の陸前高田市から来ました。陸前高田をはじめ岩手県には千葉さんというお名前の人が多いんですって。なぜかというとね、ずっと昔、千葉の人たちが東北の方へ行って、町をつくったからと言われているんですよ。おそらく、ワタルくんもその子孫の一人なんでしょうね」
教壇の真下で顔を伏せていたワタルは、中村先生を見上げると、「はい」とうなずいて、もう一度勇気を奮い立たせるように立ち上がった。
「昔、陸前高田がら出た偉人にツバチューサグがいるだ。ツバチューサグは北辰一刀流の剣豪だったべ。その北辰一刀流の千葉道場からは幕末の志士で有名な坂本龍馬も出たんだそうだべ。ほだがら、おらも、ツバチューサグみてえに・・・」
そこまで語ったところで、ワタルの話は尻すぼみになってしまった。
「おらもツバチューサグみたいになるだぞってえのかよ」
一番後ろのガキ大将がワタルの口調を真似て言うと、「んだ、んだ、ツバチューずら」と前の席の男子が同調して、またまた教室が嘲笑の渦になってしまった。
「ちょっと、リョースケもショーマも、いい加減にしなさいよ」
女の子の一喝する声が響き、ガキ大将の大笑いの顔がびっくり顔に変わり、たちまち笑いの渦が消えた。
「みんな、失礼じゃないの。せっかくチバワタルさんが話そうとしているのに、みんな、ふざけちゃって。なんで転校生を温かく迎えてあげようとしないのですか。そんなことだから、このクラスはバラバラなのよ」
中村先生が言ったのではない。真ん中の席で女子が立ち上がり、教室全体をにらみつけるような勢いで発言した。級長の藤代春華だった。
「ハルカさんの言うとおりです」と、中村先生が後押しした。「みなさんもチバワタルくんと仲良くしてくださいね。ワタルくんは遠い遠い岩手県からたった一人でこの吾妻小学校の五年生に転校して来たのよ。だから、みなさんがお友達になってあげなくちゃね」
中村先生は、ワタルのことを「たった一人で」と言った。それはどういうことなのか。ハルカにはそのひと言が胸に刺さった。
吾妻小学校は千葉市の中心市街地に立地して、明治時代の中頃に開校された千葉市立では最も歴史の古い小学校である。今は千葉市中央区中央という地名になっているが、昔はそのあたりは吾妻町といい、その名前が小学校に残された。
吾妻町にはもう一つの名前があって、そのあたりは通称で蓮池と呼ばれていた。昔、明治から昭和の前半にかけては、大人たちがお酒を飲んで遊ぶお店が何百軒も並び、千葉でも一番に賑わう花街だった。
さらに昔の江戸時代には、蓮池はその呼び名のとおりに、本当に蓮の葉が生い茂り、夏の初めには美しいピンク色の花が千葉万葉に咲く大きな池だったという。その池が埋め立てられて、吾妻町ができた。
吾妻町ができる前のまだ蓮池だったころ、そこにはたった一軒のお寺が建っているだけだった。光法寺といい、鎌倉時代に建立された古刹で、蓮池が賑やかな街になってからは区画整理で吾妻通りの向こうに移転して、今は『きぼーる』というプラネタリウムがある千葉市科学館の陰でひっそりと歴史を繋いでいる。
この光法寺に、千葉航少年は引っ越してきた。岩手県陸前高田市広田町から一人で。
「ふーん。そうだったの。そういうわけで、ワタルくんは陸前高田から千葉へ転校してきたのね。・・・悲しいこと、聞いちゃって、ごめんね、ワタルくん」
ハルカは、下校のとき、正門のにして、道すがら、「たった一人で」という訳をワタルにたずねた。ワタルは正直に答えた。だが、彼の口は重く、ポツリ、ポツリと断片的な言葉しか出てこなかった。ハルカにとっても、胸が塞がれるようなワタルの話に、ただ受け止めるだけが精一杯だった。
「おらだけ助かっただ。山の方さ逃げだがら」
2011年の3月11日に起きた東日本大震災――。
あれからまだ一か月しかたっていない。その日にワタルが体験した出来事は、ワタルの脳裏に鮮明な映像で刻み込まれていた。が、その記憶を振り返ろうとしただけでもワタルは震えに襲われてしまい、断片的な場面を話すのがやっとのことだった。ハルカにとっても、ワタルの口から吐かれる言葉をただ受け止めるばかりで、胸が締めつけられる思いだった。
「突然、ドカーンと床が抜けたみてえな衝撃で、おらの体が椅子から放り出され、尻餅ついた。その直後、今度はおらの体が跳ね上がり、教室がグラグラッと揺れて、空さ飛んで行ったみてえだった」
大地震に襲われたとき、ワタルたちは国語の授業中だった。広田小学校は広田湾の海に臨む山の下にあった。一学年一クラスの小さな学校で、校舎は昔からの木造モルタルの二階建てだった。ワタルたち四年生の教室は二階で、南側に海、北側に山が眺められた。山の下に校庭のグランドが広がっていた。
「おらはとっさに机の脚にしがみついただ。そしたら、机ごと、おらの体が吹っ飛んだ。気が付くと、おらはグランドに寝転がっていただ」
校舎が右に左に振り子のように激しく揺れた勢いで、ワタルがしがみついた机が窓を突き破り、落下。空中で机が回転し、地面に激突。ワタルは後頭部に衝撃を受け、気を失った。その背の下で机がつぶれた。
「津波だ。津波が来るぞ。生徒は校庭に全員集合せよ」
先生の大声でワタルは気を取り戻した。
「みんな、集まったか。全員無事だったか。落ち着け。落ち着いて、これから先生が話すことをよく聞くんだ」
校庭の朝礼台に校長が立ち、叫んだ。校庭に出ていた生徒たちが朝礼台へ駆け寄り、学年ごとに整列した。みんな、はだしで、ぶるぶると震えていた。ワタルもはだしで、四年生の列の最後尾に並んだ。
「教育委員会から緊急連絡があり、津波が来ているという。震度6強という大地震だったから、津波も相当なことが予想されます。したがって、今日はもう授業は中止にします。みなさんにはただちに避難し、下校してもらいますが、全員が一団になって、先生の指示に従い、行動してください。いま先生たちが避難の協議をしているので、その指示が出るまでここで待機していてください」
校長の訓辞が続き、その間、ワタルは耳鳴りに襲われていった。耳の奥で、ゴォーーと風の唸りのような音が渦巻いた。はっと、ワタルはその音の実体に気づいた。
「津波だ。津波がすぐそこまで押し寄せているだ」
校庭からは校舎が立ちはだかり、海は見えない。津波は見えない。だが、押し寄せる津波の音がワタルの耳にはとらえられていた。
「校長先生」と、ワタルは朝礼台へ向かって叫んだ。「津波がすぐそこに来とるだ。校長先生。津波が来たら、てんでんこだっぺ」
「千葉くん、あわてるんじゃない、落ち着くんだ。先生の指示に従いなさい」
四年の列の先頭で担任教師が振り返り、ワタルを制した。ワタルは聞かずに列から離れた。
「おらは逃げるだ。みんなもてんでんこで逃げろ」
「待て、千葉、勝手な行動をするな」
担任教師のどなり声がワタル耳をつんざいた。
「てんでんこだァ」
ワタルは背を向け、逃げた。はだしで、一目散に駆けた。その背後で、キャーッという悲鳴が上がった。ワタルが振り返ると、校舎の窓が砕け、荒波が吹き上がり、校庭へ襲いかかってきた。一瞬の出来事だった。アッとワタルが息をのむ間に荒波は朝礼台を押し倒して校庭全体へ広がり、全校生徒を飲み込んだ。
ワタルは山へ向かって必死に逃げた。木につかまり、崖をよじ登った。振り返ると、校舎も校庭も灰色の海原になっていた。
ワタルは、ここまでハルカに話したとき、こらえきれずに目から涙をあふれさせた。あとはもう声を詰まらせて話せなくなってしまった。
「ごめん。ごめんね、ワタルくん。ごめんね、思い出させちゃって・・・」
もらい泣きするハルカ。うなだれて、しゃくりあげるワタル。二人は、白い御影石を積み重ねて造形されたモニュメントの陰で背を向けあってうずくまり、泣き続けた。
そこは、元吾妻町に隣接して建つ千葉神社の鎮守の森をなす通町公園の中だった。
「おい、ショーマ、聞こえるか。だれか泣いてるんじゃねえか」
「ホントだ。女かよ、リョースケ」
「いや、男じゃねえか、ショーマ」
白い御影石のモニュメントをリョースケとショーマが攀じ登り、裏側へまわり、下を覗き込んだ。
「あれっ、ハルカじゃねえかよ」
「ぎょぎょ、男は、な、なんと、ツバチューじゃねえか」
ワタルとハルカはびっくりして立ち上がり、モニュメントを見上げた。その顔にビシャッといやな音とともにヌルっとした液体が当たった。「ウワッ」と、ワタルが頬を拭うと、唾だった。
「おおっ、ツバチューにおれのツバが命中したぞ。やい、ツバチュー、おれのツバを舐めてみろ。ハッハハ」
「ツバチューよ、なに泣きべそかいてんだよ。ほら、いま、お前の大好きなツバをたっぷりくれてやるからな」
リョースケとショーマは口を膨らましてペーッと一斉にワタルの顔へ唾を飛ばした。
「コラッ」
ハルカが見上げ、怒鳴った。
「汚いわね、やめなさい。降りてきなさいよ、二人とも。許さないわよ。ホントにもう困ったイジメッ子なんだから」
怒ったハルカはリョースケとショーマを引きずり降ろそうとモニュメントを攀じ登っていった。
「アッカンベーだ。ヘッヘヘ」
リョースケとショーマはモニュメントの向こう側へ飛び降り、逃げ足す早く走り去っていった。
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