JK剣客ダイアリー
羽法 伊助
第1話 剣志隊はこうして斬り合う
◆1話
剣志隊はこうして斬り合う
致死性の感染症が発生したという報道は、西暦でいうところの2012年頃にアメリカがスタートだった。
その感染症は苛烈で、治療法を確立する間もなく人々が死んでいったらしい。らしい、というのは、その直後に日本国は鎖国政策を行い、情報も入って来なかったため、今もってはっきりとしたことが分かっていないからだ。
現在、西暦で2805年。まだ鎖国は続いている。
西暦というのはローマで生まれたもので、鎖国したのなら「慶長」やら「元和」やらの年号に切り替えれば良いと考える人もいただろうが、今も西暦が使われている。変える必要が無かったからだろう。
ところで、鎖国というのは外国からの情報が入ってこないというのと同時に、物資が入っていないという事でもある。日本の食糧自給率は、2015年の日本農林水産省が発表したところによれば39%らしい。
併せて、薬の原材料や、医療機器の材料も、外国に頼ることが多い。
日本の食料自給率がゼロということは無いので、日本人が絶滅するということは無かったが、人口は大幅に減った。
もちろん、社会にも大きな変化があった。戦国時代か幕末動乱の再来かというほどの変化であった。
日本が鎖国となってから約150年後に、大阪府とその以西の中国地方、四国地方が「大阪国」として独立宣言を行った。幸いにも、政治家たちによる話し合いが事前に行われていたらしく、戦争が起きて血が流れるということはなかった。
これを皮切りに、京都より以東と東海が「京都国」、九州と沖縄が「九州国」、東北と北海道が「岩手国」として独立した。日本全体で一つの国になったのを江戸幕府が開かれた時とすると、約1200年の時を経て再び国が分裂したといえる。
現東京国、千代田区に住む少女、糸無柚希(イトナシ ユズキ)が母親に「行ってきます」と挨拶をして高校へ向かう時に、教科書などを入れた学生バッグと共に、二尺七寸の日本刀を持って行くというのも、やはり社会の変化にまつわるものだろう。
『剣志隊(けんしたい)』は、東京国で二十二歳までの男女が所属する部隊である。
主な役割は二つある。その一つが市井の治安維持であった。武器は主に日本刀である。銃器もあるにはあるが、海外からの物資の輸入が止まって以来、弾丸は銃本体よりも貴重であった。
もう一つの役割が、二十二歳で東京国の軍への入隊試験を受けるための教育を行なうということだった。教育というと、なにやら勉学に勤しむという印象を与えるかもしれないが、剣志隊の場合はもっぱら戦闘技術の会得であった。
市井には他国の犯罪者が東京国に入っている場合もあり、必要であれば捕縛、あるいは殺害するという必要があるため、そのための技術が必要だった。
その日は、五月。日が傾いても既に寒くはなく、日に日に近づいてくる夏を感じられる気候だった。
柚希は高校の授業を終えると道場へ向かった。平日は剣道の稽古があるためだ。中へ入る前に、制服の胸のリボンが崩れていないかを確かめ、髪を撫でつけた。
剣志隊の道場は、築地本願寺の敷地内にある。
しかし、道場へ入ろうとした時に、他の隊士から、その日は稽古ではなく町の見回りに出てくれと伝えられた。
「平日の夜に見回りを頼むだなんて、白兵隊には何か別の作戦があるのかしらね」
白兵隊というのは、東京国の軍の中に設けられた陸兵隊のうち、刀剣による闘争を目的とした部隊だ。剣志隊の隊員が磨く戦闘技術も刀によるものが中心であるため、この白兵隊が剣志隊の上位にあるといってよい。
「今、ここにに来ているのは誰?」
「糸無様と、志位様です。他の隊士は、既に見回りに出ています」
柚希と話をしているのは、この剣志隊の道場で下働きをしている浅野(アサノ)という男だった。背が高く、あばらが浮きそうなほどに痩せている。十七歳の柚希に丁寧語で喋る浅野の年は二十二歳。この時代、剣志隊のようなものを武士と呼ぶことは無いし、彼らの身分が平民と比べて高いというわけではないのだが、仕事として刀を持つ者は社会的に上の階級に見られやすい。浅野が自分より年若い柚希に丁寧語で喋るのは、この時代においてはごく自然なことだった。
「志位(シイ)を呼んで来て。それと、もし人相書きがあれば、それも持ってきて」
「分かりました」
浅野が志位を呼んでくる間に、柚希は学生服を脱いで着物と袴に着替えた。軽く水で汗を流したかったが、そこまでの時間は無かろう。自分の二尺七寸を抜いて和紙で拭っているうちに、道場で稽古していたらしい志位が汗をタオルで拭きながら現れた。
志位健市(シイ ケンイチ)は、剣士らしい体躯をした青年だった。年齢は十八歳。髪を短めに切り揃えているが、剣を振るのに不利だからという理由ではなく、単にお洒落が目的であろう。隊の中でも、それなりに腕が立つ。
「糸無先輩、見回りってほんとっすか?」
志位の方が柚希より年上であったが、柚希には目上の者として話す。片や平隊士、片や副隊長となれば当然といえば当然だった。
「本当よ。すぐに出れる?」
「汗だけ拭かせて下さい。あと、俺の刀を持ってくるんで」
志位と入れ替わりで、浅野が紙を片手に戻ってきた。どうやら、何かをプリントアウトしてきたらしい(文明の利器というのは、この時代でも一通りは残っている。しかし、数は圧倒的に少ない。PC、プリンターといった家電類は、限られた階層の人々か、あるい剣志隊のような機関にしかない)。
浅野が持ってきた紙には、顔写真が印刷されている他、名前なども記載してあった。
「この男が、お尋ね者なの?」
「へい」
その男は、九州国で根を張っている犯罪者であるらしい。既に辻斬り、強盗などを働いており、九州国内での国家転覆を計画しているようだった。徒党を組んでいたが九州国内で次々と仲間が捕縛されており、この男が最後の一人、というのがこの男に関する情報だった。
名は鈴本源二(ズスモト ゲンジ)。茶屋で茶を飲んでいるところを遠くから撮影した写真だった。猫背だがやたら筋肉質で、万力でもないと背を伸ばすことは出来無さそうだった。剣の腕は確からしい。大阪国でも警察隊は動いたが、逃げ切り、そのまま東京国まで来たわけだ。
九州国が握っている情報としては、岩手国に鈴本の賛同者がいるらしく、その者の協力を仰ぐために東北地方に向かっているらしいということだった。
このように、犯罪者に関する情報は各国で共有されることが多い。国外に逃げられるくらいなら、積極的に情報を外へ出し、誰でもいいから捕まえてくれ、というのが基本姿勢であった。
「待たせたっす。準備できました」
現れた志位は、ジーンズにシャツというカジュアルな格好で現れた。
この時代の服装はというと、柚希のように和装を好む者と、志位のような洋装を好む者に分けられる。手に入りやすいという理由から和装を好む者の方が多いようだ。ちなみに、デニム生地は綿が素材であるため、日本だけでも生産は可能である。2000年時、広島県にカイハラというデニム生地の製造をしている企業があり、日本国内のシェアを50%以上を占めている。
柚希と志位はそれぞれに日本刀を携え、見回りに出発した。
東京国の総人口は約八十万人。2000年時の東京の総人口が約一二〇〇万であるから、およそ七%ほどまで少なくなっているということになる。
人口が少なくなった分、居住地域も狭くなっている。
2000年時の23区の総面積が約六二〇K㎡であるのに対し、現在の総面積は約九十K㎡。江戸時代の享保十年の江戸の総面積は約七十K㎡であるため、この現代の東京国の人の居住面積は、江戸よりも一回り大きいという程度でしかない。地理としては、旧千代田区を中心に、東京湾を囲むようにして旧中央区、旧港区、旧品川区、旧江東区が主な居住地域であった。ここより離れた地区には、犯罪者などの脛に傷があるものしか居住していないという状態だった。
繁華街といえるものもごく限られているため、見回りをしようという時でも向かうべき場所は決まっている。
柚希と志位は築地に向かった。飲み屋も多く、これからの夜の時間では人が多くなる。外から来たよそ者にとっても、紛れやすい場所だった。なんといっても、築地本願寺を出てすぐ歩けば、そこが築地の市場である。手始めに調べるのにうってつけだった。
飲み屋とはいっても、道端に椅子と卓を並べて、屋台で売っている魚やおでんを突きながら酒を呑む、というのがよく見られた光景だった。今はまだ夕暮れ時だが、夜になれば明かりが無くなる。電気は限られたエネルギーであるため、一般家庭や飲食店に電灯は備えられていない。人々は、蝋燭やら提灯やらで明かりを確保して呑む。そういった夜を過ごす予定の無い者は、日が沈むと共に床に就く。
志位は水筒に入れて持ってきた水を飲みながら、大通りをゆったり歩いていた。柚希は手ぶらである。
大通りでほの暗い明かりを頼りに酒を呑む人々の間を柚希と志位が歩くと、彼らは眉を潜めて目を逸らした。若いとはいえ、刀を帯びた人間が外を歩くというのは、要らぬ警戒を持たれてしまうものだ(なお、和装の柚希は腰帯に鞘を差しているが、洋装の志位はベルトに鞘を止める部品を直接連結できるようにしている。この時代、使うものが日本刀だとしても、服装によって刀を帯びる方法にいくつかの種類があった)。
そんな中、ことさらに大きい声をあげている一団があった。男が三人で、いずれも刀を帯びている。金に余裕でもあるのか、男たちは太い蝋燭を三本も用意しており、鯖やらほっけやら大層な皿をいくつも卓に並べている。うち一人は大小を備えており、酒を呑む仕草にも風格があった。
その顔は写真と相違なく、まさに鈴本源二その人であった。大通りで堂々と呑むとは、なかなか肝が据わっている。もしくは、自分の顔写真が出回っているとは思ってもいないのだろうか。
柚希は志位に顔を寄せて小さな声で言った。
「お前は反対側に回って退路を断て。私が奴らに話しかけるから、頃合いを見て、出ろ」
「あっちが刀を抜いたら、どうするんすか?」
柚希は一切の表情を変えず、「斬っていい。できれば生きて捕えたいが、無理はしなくていい」
志位は頷くと、大通りから脇道に入った。建物をぐるりと回って彼らの背後に回るだろう。
柚希は鞘を手元に引きつけつつ男たちに十メートルまで近づいた。
「そこの御仁、鈴本源二ですか?」
男たちが柚希の方に向く。柚希が刀に手をかけているのを見ると、即座に立ち上がり刀の柄に手をかけた。
「おなごがこんな時刻にそんな物を持って何の用だ」
「鈴本氏には、手配が回っている。おとなしく縄につくなら、荒立てはしない。神妙にしろ」
鈴本は黙っている。だが、怯えたり驚いた様子はない。豪胆な男であった。
「こんな所にまで手が回っているとはな。名を名乗れ、おなご」
「糸無柚希。剣志隊副隊長である」
鈴本を除く二人がぎょっと固まった。
剣志隊は、二十二歳以下の少年少女で構成される剣客集団である。
が、その名は少しでも修羅場に身を晒した事のある者なら、大抵は知っているほどであった。
少年少女ではあるが、弱者の集団ではない。
たとえ東京国の軍属である白兵隊という部隊が相手であっても、一個小隊程度であれば、剣志隊の隊員が五人もいれば残らずに斃せる。そういった実力者の集まりである。
剣志隊で死なずに二十二歳まで務めあげることができれば、白兵隊に入隊した時には二等兵ではなく伍長となることができた。実力に関しては、その実力は社会的に保証されているのである。
そのことを、鈴本の共をする男二人は十分に理解していた。
柚希から見て右手側にいる男が抜き打ちで袈裟懸けに斬りつけてきた。柚希を腰をかがめることで危なげなくかわすと、どん、と右足を踏み込む。
次の瞬間には、肩から心臓にかけて切り裂かれた男がどうと倒れた。柚希は、すぐに隣の男へ目を向けて構えた。
隣の男は迷ったようである。抜けば、その刃が鞘を離れるより早く、柚希の白刃がきらめくかもしれない。かといって、抜かずにいて、この場を無事に離れられるわけもない。
が、迷ったことがこの男にとって命取りになった。突然、首から生えた切っ先を不思議そうな目で見降ろしていた。そのまま小さく震えながら、前のめりに倒れた。
その後ろには、突きを繰り出した志位が立っている。音もなく男の背後まで近づいていたのであった。
しかし、柚希は志位を叱責した。
「鈴本を狙え!」
言われるまでもなく、志位はすぐに鈴本へ斬りかける。しかし、柚希の言う通り、志位の最初の狙いは誤りであったし、次の行動へ移るのにも遅すぎた。
鈴本の抜きは速かった。志位が構え直すよりも早く、鋭く斬りかかる。志位はその首を狙った斬り降ろしをかろうじて鍔元で押さえるのが精一杯だった。
動きの固まった志位へ、第二撃が繰り出される。守りに入った志位に、それをしのぐことはできなかった。志位はかろうじて鈴本の斬撃をさばいたが、鈴本の刀の切っ先は志位の右胸から脇腹を裂いた。
斬られた志位はとどめを刺されないために後ろに下がって間合いをとるべきだった。体が整っていない時に、まともな打ち込みは期待できない。腕だけでなく、全身を使うのが剣道というものだ。
志位もそれはきちんと理解できている。だが、功名心が高じた。自分の命よりも。
負わされた傷の痛みを気合いでねじこむと、志位は刀を上段に振り上げた。
「ばか!」
鈴本は志位の挑んだ斬り合いに拘泥しなかった。横っ飛びに志位の面打ちを避けると、そのまま背中を見せて走り出した。
柚希がその後を追う。が、鈴本の方が足が速い。六歩目で逃がすと判断した。
殺《と》ることはできないと分かっていたが、柚希は六歩目を踏み込みにして、突いた。鈴本の背中に白刃が食い込んだ。肺にまでは達してはいないが、筋肉に深々と突き刺さったのを感じた。
それでも、鈴本は走るのをやめなかったのだった。志位を裂いた刀を右手にさげたまま、そのまま突っ走った。
柚希はその後ろ姿を見送った。鈴本が大通りから右の脇道に入っていったところまで確認した。
志位片膝を地面につき、苦しそうな息をなんとか整えようとしていた。しかし、胸の傷は浅手とはいえない。すぐに医者の治療が必要だった。
「しくじったな、志位」
「すみません」
しくじったのは、斬られたことではなく、鈴本を仕留めなかったことである。
あの時、鈴本の共ではなく、鈴本本人から狙えば、あるいは仕留められたかもしれない。だが、
「あいつ、すごい威圧でして。斬りかけても、避けられる気しかしなかったんです」
「だからって、小者を狙ってどうする」
「すみません……」
「お前は目がいい。ちゃんと見れば斬れるし、たとえ外されて斬りかえされても、お前ならさばけたはずだ」
「自信が無くて……」
「ばか」
ここで叱責していても仕方がない。志位のために、一度武道館に戻る必要があった。
柚希は近くで酒を呑んでいた男に対し、今のことを警官に通報することと、逃げた男を追うように警官隊に伝えろと命令した。
刃傷沙汰で酔いの飛んだ男は、すぐに交番へと走って行った。
「戻るぞ、志位。隊長の指示を受ける」
「分かりました」
剣志隊の武道館は、下知を受けてあちこちに見回りに出ていったり、見つからずに帰ってきた剣志隊の隊士たちでごった返していた。そこへ怪我を負った志位が戻ってきたものだから、視線を集めてしまっている。
みな、「どうしたのか」と聞きたいところだったが、副隊長の柚希が怖い顔をしていると、そんな風に聞くこともできない。
柚希はその辺りにいる隊士を捕まえると、
「隊長は来ているか?」
と聞いた。
聞かれた隊士はまだ幼く、年は十四の少女だった。柚希の目に睨まれて、今にも腰が砕けそうに震えていた。
「き、き、来ています。お尋ね者を、みんなで捕まえるって……」
「どこにいる?」
「隊長の、部屋に……」
「分かった」
志位には医務室に行くように伝えると、柚希は本館の隊長室に向かった。
剣志隊の拠点は、築地本願寺の敷地内にあることは前述した。武道の稽古を行う道場、隊士たちの詰所である宿舎、そして隊長や副隊長などの私室がある本館に分かれている。
柚希を含め、隊士たちは家から武道館へ通ってはいるのだが、宿舎で寝泊まることも可能ではある。事実、家を失くしている何人かの隊士は、ここを住処としている。
隊長の執務室は、本館の最上階にあった。他の部屋はみな木製の戸であったが、執務室のそれは鉄の戸であった。もし何者かがこの剣志隊の武道館を攻めるのであれば、隊長を殺すのが最重要となる。自然、守りも固くなる。
柚希が鉄の戸を叩くと、「入れ」という声がした。
中には、剣志隊の隊長である武井初芽(タケイ ハツメ)が机に向かっていた。和風な足の低い机ではなく、洋風の背の高い机である。
初芽は二十二歳の女性で、凛々しい顔をしている。今は座っていてよく分からないが、背は同年代の男性と同じくらいに高かった。墨のような真っ黒の髪が腰まで伸びている。着飾ろうという気は全くないということが、その髪の毛が声高に主張していた。
初芽は二十二歳であるため、次の年には剣志隊での務めを果たし、白兵隊に入隊すると思っている隊士も少なくはないが、それは誤りである。初芽は十五の時に剣志隊から白兵隊へ籍を移し、僅か二十の時に白兵隊の曹長にまでのぼった豪傑であった。その後も戦いを繰り返し、のぼれるところまでのぼれる人物であったが、彼女は剣志隊へ戻りその育成に尽力したいと願い出た。
以降、剣志隊の隊長となり、今に至る。この剣志隊の中では大人と言うべき女性だったが、年がそこまで離れていないせいか、隊士たちからは好かれていた。
ところで、隊長である初芽には常に書類仕事が付きまとっている。ただ、彼女は体を動かす方が好きなため、書類仕事にはまるで熱がこもらない。柚希が入ってきたということは、しばし書類仕事から離れられるという口実ができたということだ。初芽は柚希を見て嬉しそうな顔になった。
「柚希か。見回りから戻ってきたということは、何か成果があったということかな」
「成果はありませんでした。その逆です。鈴本と会っておきながら、逃しました」
初芽は難しい顔をした。
「それは、やっちゃったね。しかし、柚希が敵を逃がすとは、珍しいこともある。敵は大勢いたのか?」
「いえ」
柚希は少し逡巡した。目下の者を庇うのは良い。しかし、嘘をついては規律を保てない。
「志位が、外しました。鈴本の威風に怯え、その部下に手を出したもので」
「ははぁ。斬れそうな者から斬って、斬るべき鈴本を外したか」
「その通りです」
初芽は肘をつくと、楽しそうに笑っている。
しかし、その目の奥は笑っていない。各地で起こる小競り合いに幾度も参戦し、何百という数だけ切り結び、そして今も生き残っている修羅である。その悍ましさに、柚希は少し身を固くした。彼女の恐ろしさをきちんと理解している隊士は少ない。
「志位が役目を果たせなかったのは、これで二度目だったな」
「はい」
「仏の顔も三度まで、だな。さて、これは許される失敗は二度までなのか、三度までなのか。どちらかは私には答えられないが、剣志隊においては二度目までが限界だ」
とんとん、と机を指で叩き、
「志位は、除隊かな」
柚希は、ここで志位を見捨てることができる。しかし、見捨てるような副隊長ではなかった。
「まだ失敗にはなっていません。馬を二頭使わせてもらえますか」
「馬か。もし馬を損なうようなことがあれば、最悪、お前にも責任が生じるが、大丈夫か?」
「覚悟の上です。もとより、斃すべき敵と出会っておきながら、逃がすようなことがあれば、武士の恥。切腹も当然かと」
「武士か」
初芽は豪胆に笑った。高い声なのに、随分と部屋に響く声だった。
剣志隊の隊士は武士ではない。日本刀に提げ、剣士をしているものの、柚希は自身を武士と思っている数少ない人種だった。
「馬を二頭だな。しかし、間に合うのか? 鈴本もどこかで馬を調達したとすれば、既にこの国を離れているかもしれないぞ」
「ご心配なく。逃がしはしましたが、背中を突きました。逃げるにしても、どこかで傷を塞いだ後のはず。今すぐ出れば、十分に間に合います」
「どこで待ち受ける」
「奥州街道の先へ。夜のうちにこの国を抜けるとすれば、徒歩であれば粕壁宿までが限界でしょう」
街道とは、都市と都市を結ぶ道のことで、明治維新以後は「国道」と呼ばれる道路のことである。以後、道路はコンクリートで整備され、往来の多い道は二車線、三車線と拡張もされていた。国道でなくとも道路は次々と作られていき、結果として日本のあちこちに網目状の道ができることになった。
それも、日本国の人口が一億以上もいたからである。今はそこまで人がいないため、往来も少ない。自然、細い道は使われなくなった。「国道」しか使われなくなり、それが遡って街道と呼ばれるようになった。先人の区切った道の選定は優れていたということになるだろう。
奥州国道は、旧東京を東北に向かっていき、旧栃木県、旧福島県、旧宮城県と通過し、今の岩手国へと繋がる。
一方、日光街道は旧栃木県までは道なりはほとんど同じだが、途中で西へと折れて日光東照宮へと繋がる。
「もしも鈴本が馬を使っていたら、宇都宮まで行ってしまうかもしれんぞ。その時は、どちらの道を追う気だ?」
「岩手国へ用事があるのだから、日光ではないでしょう」
初芽の問いに、柚希が毅然と答える。その声音には、確かな自信の色があった。
「根拠を述べよ。鈴本の協力者が日光にはいないという根拠を」
この時代の日光は浮浪の者が多い場所で、初芽が鈴本の向かう場所として疑うのも当然だった。
柚希は懐から紙片を取り出した。ボールペンや鉛筆ではなく、墨と筆で何やら書かれていた。
「鈴本の共の遺骸にありました。志位が斬った男です」
初芽は柚希から紙片を受け取り、その文章を読むと、ふふん、と軽く鼻を鳴らした。
「意地が悪いね。最初からこれを見せてくれれば良いものを。岩手国の、白原十四朗の紹介のようだ。こいつは、なかなかの大物だ」
「失礼しました。志位の手柄なので、少々、出し惜しみをしました」
「お前はいい副隊長さ。すぐに隊長になれる」
本人は軽口だったろうが、柚希は固い表情で首を左右に振った。
「やめて下さい。初芽さんを差し置いて、そのようなことは考えません」
「馬を貸そう。二頭だな。すぐに行け」
柚希は一つうなずくと、初芽に背を向けかけた。そこへ初芽が声をかける。
「誰を連れていく気だ? 志位の傷は深いのだろう?」
「深いですが、そろそろ血は止まっている頃でしょう。それに、ここで手柄を立てれば、前の失敗の一つが帳消しになり、残る失敗は一つだけになる」
「分かった。そうしろ」
柚希の言った通り、志位の止血は止まっていた。骨にまでは達していないので、連れて行く。志位は少しばかり辛そうな顔をしたが、医務室のベッドから降りて、素早く仕度を整えた。
剣志隊に備えられている馬は、全て数えても十指に満たない。ガソリンのような燃料を精製しようにも原料がほとんどない今、自動車の類は希少極まる。馬の価値は高いのだった。いくら腕のいい武芸者が集まるといっても、潤沢に馬がまわされるほど重要な部隊とは見なされていない。あくまで剣志隊は少年少女で構成される位の低い集団なのだった。
柚希と志位は馬を夜通しで走らせた。粕壁の宿場に着いたのは、午前一時頃だった。二人は宿を探し出し、主人を叩き起こすと、聞き込みに回らせた。
まだ鈴本らしき人間はこの宿場を通過していないらしい。
柚希は宿の下男に夜通しで道を見張らせ、自分たちは宿の一室で仮眠を取ることにした。服は着替えず、枕元には刀を置いたままである。
日が上がる頃、部屋の戸を下男が叩いた。「遠くに、男が見えました。三十分かそこらで、ここを通ります」
「分かった」
柚希は、熟睡はしていなかった。柚希は隣で寝ている志位を叩き起こすと、宿の外に出た。
雲が一つもない。朝焼けで宿場が茜色に染まっている。柚希は、まさか大通りの真ん中で待ち受けるようなことはしない。宿場から椅子を持ち出すと、建物の脇に並べて志位と共に座っていた。
三十分が経った。下男の見込みは正しかったようである。
男が、歩いてきた。顔はすっかり疲れきっている。ただ、夜も眠らず徒歩でここまで来れるのだから、背中の傷は大したことはなかったのだろう。片手に提灯を提げている。既に火は消しているようだ。
鈴本源二であった。
柚希と志位が、ゆっくりと大通りに出た。それに鈴本が気付く。
「やあ。あんたたちか」
懐かしそうな声音すらあった。小さく微笑みながら、刀を抜き、提灯を捨てた。ここが自分の死地になる、と観念したのだろう。ただし、死ぬにしても、死出の共として二人を斬り殺す気概である。
志位は柚希の後ろに一歩だけ引いた。鈴本を斬れば手柄となるが、隊士が複数人いる時は、位が最も高い者が前に出ると決まっている。
しかし、柚希は刀も抜かず、後ろに引いて志位の横に並んだ。
「君に譲る」
驚いたのは志位である。
「夜に君がこの男を取り逃したのは、恥であった。ここでその恥をすすげ」
副隊長がそう言うのであれば、従うしかない。
志位は、柚希の一歩前に進み、刀を抜いた。
鈴本は疲れきっているが、剣気はいささかも衰えていない。むしろ、最後の燃焼を行うべく、気合いは充溢していた。
鈴本は八相の構え。
対する志位は正眼。
鈴本が踏み込み、切り下げるが、志位は後ろに引いてかわした。鈴本の威風に負けている。が、志位とて負けるわけにはいかない勝負である。かっ、と裂帛の気合いを入れて踏み込んだ。
鈴本の間合いに深々と入った志位の切っ先を、しかし鈴本は横なぎに打ち払った。刀を打たれて志位の上半身が泳ぐ。鈴本の刃が、下段から猛烈な勢いで振り上げられた。
柚希は動かない。刀に手をかけたりもしない。志位なら勝てる、と信じている。
志位の優れている点は、目である。目が良い。
命を晒しているこの瞬間、体が灰になりそうな切迫感の中、志位は身悶えしそうな恐怖を無理やりに押し込み、鈴本を見た。
志位は、目算で鈴本の刀を二尺四寸二分とあたりをつけた。なおかつ、鈴本の切り上げは踏み込みが浅い。切っ先で顎を斬りつけ、ひるんだ所で留めの一撃を加えようという気だろう。だから、二尺二寸ほど、後ろに引けば避けられると踏んだ。
目算に誤りはなかった。
鈴本の切り上げは空を切った。
「あっ」
鈴本の目が恐怖に歪む。
志位と目があった。その目は、怒っていた。鈴本にではない。後ろに引く時、一寸だけ、引きすぎた。その自分の目算の甘さに怒っていた。
続く志位の一撃は冷静であった。力強く踏み込み、腰を落とし、真っ向から切り下げた。鈴本の肩に刃が食い込むと、前のめりに倒れた。
柚希は志位を伴って隊舎に戻り、事の次第を報告した。それを受けて、初芽は、鈴本を殺したことを大阪国、及び九州国に伝えた。同時に、岩手国に、鈴本が頼ろうとしたのは白原十四朗だという事も伝えた。鈴本の共が持っていた手紙が証拠である。
ほどなくして、岩手国より白原を捕縛したことが伝えられた。のちに白原は獄死している。
剣志隊にとって、このような事件は日常的であると言って良い。
剣志隊の敵は、市井の治安を乱す者である。東京国に害を成すのであれば、それを討つ。
それは、日本国に本当の平和が戻るまで続くであろう。2000年から八世紀ほどが経過している現在、その気配はまだない。
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