103 自覚

 握りしめた『身代わり式符』を何度押し付けようとも、そのアイテムは効力を発揮することが無かった。

 それは赤野 玲花の身体に『呪詛』が存在しないということであり、時間経過による自然回復が存在しない状態異常が消えて無くなっているというのが何を意味するのか……苦悶の声も上げずに力なく横たわっている彼女の存在がその答えだった。


「そん、な」


 感情任せに拳を振るい続け、時間の感覚は狂いに狂っていた。

 それでもそこまでしなければ桜井を倒すにはさらなる時間が必要だったと今では確信できる。


 子供のようにキレて、叫んで、ガムシャラに殴って殴られて。

 その全てが無駄に終わったことを突き付けられて、軋む身体が崩れ落ちる。


「……結局」


 結局、自分には何もできなかった。

 主人公であることを意識して行動し続けて、思いつく限りの備えを続けて。

 それでいて幼馴染一人守ることもできず、膝を屈してだらりと無力に垂れた腕では静まり返った彼女を抱きかかえることもできず。


「あ……あぁ……あぁぁっ」


 呆然と眺め続けている内に瞳からは自然と涙が溢れ出し、今まで無意識の内に抑えつけてきたその全てが噴き上がる。

 失敗した何もできなかった助けられなかった……自分を責める万の言葉が脳内を駆け巡り、自分の存在全てを否定したくなる。


「……じゃあ、俺はどうすればよかったんだよ」


 誰に向けた言葉ではない。

 ただ口にせずにはいられなかった。


「俺はどうすればよかったんだよ! 死んだ覚えもないのに起きた時にはこんな世界で! しかもよりにもよって主人公の身体を奪って生まれてきて! 俺はただの一般人なんだよ!」


 家族に就寝を告げて、寝て起きたらこの世界に赤子として生まれ変わっていた。

 自意識は前世から連続性を保っていて、だからこそ精神的な長所も短所も引き継いでいた。


 これが少しでも”死”の経験をしていれば前世を諦め多少なりとも割り切ることができたはずだ。

 しかしそれが無かった為に天内は前世を、現代社会の価値観をずっと引きずり続けてきた。

 故に現代社会ではともすれば美徳とも言われる争うことそのものに対する忌避感はこの世界において明確な欠点へと変化してしまっていた。


 それを「悪い」と「情けないと」言って切り捨てるのは酷だろう。

 彼はレベルがあると理解した瞬間に前世の常識や倫理観諸々を爆速でかなぐり捨てた異常者ではなく、どこにでもいる十把一絡げの凡人なのだから。


「戦うのなんて嫌なんだよ! 殺し合いなんてしたくないんだよ! 人に向けて暴力を振るうなんてやりたくないんだよ!」


 天内にとって不幸なのは彼が原作知識を、この世界のが”先”を知っていたことだろう。

 だからこそ自分が生きている間に起きてしまう危機を認識してしまった。

 そしてそれを解決できる本来の主人公がこの世から居なくなってしまった事実に早い段階で気がついてしまった。


「俺は世界の先を知っていて、そして俺が『天内 隼人』に生まれてしまったなら! 俺がそれをやらなきゃいけないだろ!? やらないと、皆が死ぬってわかってんだぞ!? だったら俺が『天内 隼人』をやるしかないだろ!?」


 生まれ落ちて混乱している時に自分を支えてきてくれた人たちが死ぬと分かっていて、迫る困難から目を逸らすほど無責任にはなれなかった。

 そして原作には無い勝手な行動で失敗して、その被害が拡大してしまった時に失われる命があったとしたら……それを背負う強さが自分にあるとは微塵も思えなかった。


 だから知る限りの『天内 隼人』を演じ続けて、何も変わらぬようにと願うように原作を守り続けてきた。

 そもそも彼が『天内 隼人』その人でない以上はどこかで綻びが起きると気が付かないまま、自分を責め立てるように走り続けてきた。


 やりたくもないことをやり続けなければならない。

 しかし「やらない」という選択肢を取ることはできない。


「俺はどうすればよかったんだ……っ。どうすればよかったんだよ!?」


 現世で死んでしまった赤野とはもう冥府でさえも会うことはできない、取り戻すことはできない。


 赤野 玲花の特別性である魔人化への『完全適性』はその精神性が要だ。

 そしてその精神性とは異物を異物としてそのまま受け入れることができる突出した『受容性』にある。

 だからこそ彼女は自らの死すらもそういうものとして受け入れてしまう。

 だからこそ強い情念が無ければたどり着けない冥府に至ることは出来ないだろう。


 大粒の涙がボロボロと手の甲に落ちていく。

 自分がこうすべきだと信じてきた行動によって幼馴染を死なせてしまったという取り返しのつかない出来事に、天内は嗚咽を上げるしか無かった。


「(……どうすればよかったって、言われてもなぁ)」


 そんな天内の背をポーション瓶片手にクピクピ呑みながら眺めるロクでなしがいた。


 「どうすればよかった」に対して無責任に言いたいことを言って良いのであれば、言えることは幾つもある。

 だがその言葉の殆どは結果論でしか無く天内を更に追い詰めることになるのは間違いない。


 一応、彼にとって救いになるであろう言葉も思いつくには思いつくが……ハッキリ言ってまるで自信がない。 

 そしてそれが仮に救いとなる言葉であったとしても、それを言うのがこのマッチポンプを引き起こしている自分だと説得力も激減するので口にするつもりもない。


 自分にできないことは人任せにする。

 桜井は何時だってそうしてきたし、今回もそうする。

 今の桜井がやらなければならないことは、人任せにしたからこそそれを邪魔しないように沈黙を保つことだった。



 そうして落ちる涙も枯れ始め、泣き疲れた天内の気力が尽きかけた時に。


「そっか、それが隼人の。いや、貴方の本当の気持ちだったんだね」

「…………え?」


 赤野 玲花は身体を起こし、呆然としている天内の頬に手を添えた。

 目の前で身体を縮めて震える臆病な少年に触れた手から体温を伝え、彼を安心させるようにゆったりと優しく――


、になるのかな。不思議ね……今までずっと、こんなに近くに居たのに」


 ――それでいてどこか嬉しさに揺れるような笑みを彼女は向けた。


「玲、花……?」

「抱きかかえられたらバレちゃいそうだなとは思ってたけれど、まさか触りもされないのはちょっと残念だったかな。自信なくしちゃうかも」

「え、そんな……なんで……?」


 困惑する天内に赤野は胸元から取り出した一枚の札を見せる。

 それは使用済みの『身代わり式符』。呪詛を吸い上げ紫色に変じた御札が天内の目に映った。


「桜井、これはどういうっ」

「私が彼に頼んだんだ」


 赤野は桜井に顔を向けようとする天内を言葉で制止する。

 実際には一から十まで桜井の仕込みなのではあるのだが、赤野は嘘を吐いた。

 今この瞬間だけは他ではなく目の前の自分に意識を向けていて欲しかった。


 とっさに出した言葉は「今回の一件の黒幕は自分である」と告白するようなものだと赤野は後から気がついたのだが、彼女はそれを良しとした。

 天内にそう認識されれば仮に彼が怒り狂ったとしてもその矛先は自分に向けられる。失敗の責任は自分一人が取ることができる。


 どうなろうとも人知れず彼が背負い続けてきたものが少しでも軽くなれば良い。

 それにもしも怒りの矛先が自分に向けられたとしたら……それはある意味で彼の情念を欠片とは言え独占できることに他ならない。

 赤野自身、自分の中にこんなにもドロドロと醜いものがあったのだなと思いながらも、だからこそ自分の役割を全うしなければならないと決意を新たにする。


「聞いたの、桜井くんから貴方のこと。『転生者』っていうのが何なのか」

「――っ!?」


 天内が息を呑んだ。

 驚きと、困惑と、そして恐怖から。


「貴方は私達の事が絵物語として語られている世界からやってきて、私が出会うはずだった本当の『天内 隼人』とは別の人で……他にも色々教えてもらった」


 赤野は身を起こしながらそう口にする。

 向き合った天内は目に見えるほどに動揺しており、その中でも特に恐怖の感情が強まっていることが簡単に見て取れた。


 なにせ天内は根本的に自分を『異物』であると断定している。

 転生者である以上、それは他者と異なる点であることは間違いないのだが天内にとっての『異物』とは排斥されてもおかしくはない存在……被差別対象に近しい意味を持っている。


 だからこそ彼は自分がそうであると隠してきた。

 行き場もないこの世界でコミュニティから弾き出されることを彼は強く恐怖していた。


 そしてそれが表沙汰になってしまった、よりにもよって自分が好意を抱いている赤野に。

 自身の頭の天辺からゴソリと音を立てて血の気が引いていく感覚を天内は強く自覚した。


「色んな話を聞いて。貴方は傲慢な人なんだなって私は思った」

「ご、傲慢……?」


 赤野は自分と天内が見ている世界が大きく違うことを桜井を通じて彼女は知った。


 彼女が当然のものだと思っているこの世界は「戦うこと」が日常の中に含まれていて、魔物という殺し合いが前提になる存在が根付いている。

 また外壁によって閉ざされた土地になっているこの国で社会から溢れることがあったならば、自分という最後の武器を手に”賊”になることが多い。

 そういった者たちはそのうち集団を形成し、山賊となり各地を襲い、動き出した騎士団に殲滅される……これが幾度となく繰り返されている。


 人を傷つけることに後ろめたさを感じることはあるだろう、しかし「恐ろしい」と想うことはあまりない。

 なにせ争いになった時点でお互いに生きるためには相手を剣で、槍で、弓矢で、魔法で傷つけて最悪の場合は命を奪うしかないのだから。

 戦うことも、殺し合うことも、時には人を傷つけることも生きるためには仕方のないことだ。


 しかし前世の世界を引きずり続けている天内にとってそれは日常ではなく異常なこと。

 戦うことも、殺し合うことも、人を肉体的に傷つけることも彼の世界では禁忌に等しい扱いを受け、それを行った者は社会から弾き出される。

 天内はそういった価値観で今もなお世界を見ているし、それは黒曜の剣と戦うことを決めた一因にもなっている。


「貴方はこの世界のことを知っていて、分かった上で自分のためだけに目を逸らすことだってできたはず。それでも、戦いを恐れながらも立ち上がると決めたことは誰にも責められる必要もない、とっても偉いことだと思う」

「なら、何で。だって……どうすれば……ごうまん、だって……!」

「うん。だって貴方は自分一人で抱え込んで、自分一人で何とかできると思ってるんだもん」


 顔を真っ青にして葛藤し続ける天内。

 赤野はその心中で絡まり合う感情の糸を、触れ合うことで、言葉をかけることでゆっくりと解していく。


「どんな絵物語の主人公にも仲間が居て、みんなで困難に立ち向かってる。なのに貴方は全部一人でなんとかしようとしてる」

「それは、俺が、主人公を奪ってしまったから……責任が……」

「だったらより一層誰かに頼らなきゃいけないじゃない。主人公の立場についてしまったとしても、貴方は自分をそうだとは思ってないんでしょ? それでいて誰にも何も言わないなんて……傲慢じゃない」

「でも……」

「あ~~もう! この頑固者のわからずや!」


 焦れた赤野がガシガシと頭を掻き毟った後、力強く天内の肩を掴みこんだ。

 痛みはないが突然のことに驚き目を白黒させている彼に向けて、鼻先が触れそうなまでに顔を寄せた赤野がその瞳を真っ直ぐ向けて怒鳴り立てる。


「そこまで言うなら今この場で貴方が一人でも困難に打ち勝てるって証明してみなさいよ! それができるなら私もこれ以上は何も言わない、好きにしなさい! それができないなら身の程を知って、貴方の口から知ってることを洗いざらい全部私に吐きなさい!」

「そ、そんな横暴な! 大体、証明って一体」

「アレ!!」


 身を離した赤野が勢いよく天内の背後を指差した。

 ピンッと張った腕肘を追うように彼はゆっくりと背後を振り向いて、その指が指し示す先に視界を向けて。




 木の枝に糸を使って幹に対して垂直の姿勢を保てるように身体を吊り下げ、歩法を使ってまるでヨーヨーの様に風切り音を立てながら身体を上下させつつ素振りをし続ける奇人を目にした。




「これからも一人で問題ないって言うなら! 今すぐアレを何とかしてみせなさいよッ!!」

「…………無理」

「世の中はアレみたいにろくでもないし、ままならないものなのよ! そんな世界で誰かと協力せずに生きていけるわけないでしょ!」

「……そうかな……いや、そうだな……」


 天内は自分が傲慢であったことを自覚した。

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