058 異形の逃走

 異形の魔人は夜を駆け、街灯の光へ踏み込む頃には赤毛の青年へと姿を戻していた。


 魔人の名はヤン・ラン。

 かつて盗賊ギルドに所属していた彼にとって、壁内の街は自分の庭と言っても過言ではない。

 誰の目にも写ること無く移動するなど朝飯前だった。


「いやーまさか歌姫様がタイマンで負けるとは。でもまぁ本来やるはずだった戦闘訓練を結構省いてたし、妥当っちゃ妥当か」


 ヤンは戦利品であるエセルのロザリオを弄びながら、街路樹が茂る並木通りを歩き始めた。

 既に人々が寝静まった時間帯だ。並木通りには誰の人影も無かった。


 ヤンは頭の中で『黒曜の剣』にどのような報告をするかの算段を立て始めていた。

 特に作戦失敗の責の全てをルイシーナに被せるための、それとない『言い訳』を組み立てていく。

 まだ『黒曜の剣』には利用価値があり、どうせ抜けるのであれば回収しておきたいアイテムも存在している。

 壁外を含めて行く宛のないヤンとしては、自分に非が無い失敗で切り捨てられるのは御免被るところだった。


 そもそも、自分を含めて魔人としての力を習熟させるための期間を半年近くも省いた時点で、この作戦の成功率は大きく下がっていた。

 それに対する責任を追うのは自分ではなく、それを決定した『黒曜の剣』にあるのが道理だろう。

 だが単純にそれを指摘すれば要らぬ反感を買うばかり。

 故にヤンは『魔人としての力を十全に扱えなかったルイシーナの怠慢に原因がある』という方向で報告内容を練り上げる事とした。


「さて、そろそろ合流できると思うんだけど」


 ヤンはそう呟きつつ視線のみで周囲を探る。

 元々、この作戦には擬態能力を有しているもう1人の魔人が参加していた。

 彼は作戦の進行度や騎士団の動きを確認し、その状況を組織に報告する連絡要員である。

 そして万が一の時にはその魔人の持つ『風景同化』能力を利用し、拠点へと撤退する手はずを整えていた。

 ヤンが逃げ出した時点で作戦の失敗は伝わっているだろう。そうであるならば、その魔人はこの周辺に潜んでいるはずだった。


 故にヤンはその魔人の気配を探り――即座にこの場から離脱することを決めた。


 決断までの時間は一秒にも満たなかっただろう。

 明確な根拠があるわけではない。ただ何となく『嫌な予感がする』という直感だった。


 だがヤンは自身の直感を疑わない。

 優れた人物ほど無意識の内に周囲の情報をキャッチし、何らかの判断している事が多い。そしてそれが直感の正体であると知っているからだ。


 異形へと変ずる時間さえも惜しみヤンは大地を蹴った。

 一足飛びに路地へと入ると、路地を挟む建物の壁面を三角飛びの要領で蹴り上がり屋上へと登る。

 多少目立つとしても、とにかく最速最短でこの場から逃げ出さなければならないと直感が警報を鳴らしていた。


「そんな急がないでもいいじゃねぇか」

「――!?」


 かけられた声に反応しヤンは即座に隠し持っていた剣を引き抜き、声の主の居る方向へと身体を向ける。

 その一瞬の動作の内に僅かな金属音が響き、ヤンが手にしていた剣の刀身がポトリと床へ落ちた。


「最近の若いのは元気だねぇ。そんな急いで振り向いて、腰やらなんやら痛めないってな羨ましいわなぁ」


 ヤンの視線の先、路地を挟んだ向かい側の建物の屋根に居たのは1人の男。

 背に大太刀を担ぎ、手には先程抜き放ったのであろう直剣が一振り。

 その直剣は如何なる理由か熱を帯び、刀身がぼんやりと赤く光っていた。


「(待て待て待て、!?)」


 彼我の距離は10m近くはあるだろう。そして『剣聖』佐貫 章一郎の手にした直剣は刃渡り70cmほどだろうか。

 腕を含めたとしても9mもの距離を潰し、かつヤンの手にした剣の刀身のみを斬り落とすなど如何なる技量があればできることなのか。ヤンには想像がつかなかった。


 ともあれ自身が危機的状況に陥っていることに変わりはない。

 かの『剣聖』の実力は不明瞭だが、明らかに格上。

 魔人となった場合であっても勝利できるか……いや、戦いになるかどうかも怪しいと思ったほうが良いだろう。


 ヤンは自身が強者であると知っている。同時に上には上がいることも知っている。

 素質の差かそれとも努力の質か、埋めきれない実力差というものが明確に存在している事は確かな事実として知っている。


 その上で、『道具アイテム』がその差を埋める手段の一つであるということを知っている。

 ヤンは即座に手持ちの道具を脳裏に浮かべ、『剣聖』に対する行動を思考していく。


「(落ち着け。逃げれば何とでもなる。拠点に戻れば俺よりも強いやつが何人も居るし、『剣聖』を引き連れてでも拠点にさえ戻れば、ソイツらを囮に逃げ出せる)」


 『剣聖』が偶然でこんな場所に居るわけがない。

 先んじて此方の剣を破壊した事から、殺す気は薄いが友好的な態度ではないのは手に取るようにわかる。

 だからこそ今は逃げることを最優先とする。『剣聖』の目的やその背後がわからない以上、捉えられた後に何が起きるか不明だからだ。


「――フッ!」

「おっと」


 ヤンが袖から一枚の紙を投げつけた。

 鋭く宙を駆けるそれには特徴的ないくつかのパターンが刻まれている。


 佐貫の握る直剣が僅かにブレた。

 それとほぼ同時に飛来する紙が両断され、それをトリガーに『風水符:玄武』の効果が発動する。


 『風水符:玄武』とは属性付与アイテムだ。

 四神に擬えた4種類が存在し、それぞれが『火』『水』『風』『土』に対応している。

 原作である『フロンティア・アカデミア』において自分以外を対象にした属性付与の手段は限られており、『風水符』シリーズはその手段の中でも最もメジャーなものだ。


 ヤンの放った玄武は『水』に対応した属性付与アイテムであり、このアイテムを使用した対象は一定時間そのキャラクターに『水』属性が付与される。

 これにより佐貫の振るう『火』の属性を持つ『火剣』に対する相性有利効果が働き、通常よりもダメージが減少する。


 当然、佐貫も『風水符』の存在は知っている。

 故にヤンが属性相性で有利に立つ事で、少しでも生存性を高めようとしているのかと佐貫は考えた。

 自身に飛んできたため反射的に切り裂いたがそれでアイテムの発動が止められるわけもなく、佐貫は『風水符』表層に刻まれたパターンをと人知れず反省した。


「おん?」


 『風水符』から生み出された水が纏わり付く。

 そして一度強く輝いたかと思うと佐貫の身体から青白いオーラのようなものが立ち昇る。

 それは佐貫に『風水符』による属性付与が行われた証拠であり、彼は本来味方や自分自身に使うアイテムを、敵である自分に使用したヤンの意図がわからず小首を傾げ――ヤンの急所へ銀閃を三つ。彼我の距離を物ともしない斬撃を飛ばした。


 次の行動へ移るための一瞬の間隙を突かれたヤンが、受けた斬撃の衝撃と共に屋上を転がる。

 しかしどうにも手応えがおかしい。そう感じた佐貫が屋根から屋上へと飛び移り近づくとヤンがのそりと起き上がるのが見えた。

 斬撃を受けたその体に傷は無く、冷や汗をかきながらも不敵な笑みを浮かべるヤンに佐貫はやや感心した。

 どうやらただの野盗の類では無いようだ、と。


「ほー今のを防ぐかい。こりゃあ驚いた」

「残念だがあんたの攻撃は俺には効かないんだよ。つか、構ってる暇もねーから早々にお暇させて貰うわ」

「まぁまぁそう急ぐなって。手品の種くらい明かしてくれや。このままじゃ気になって夜も眠れないじゃねぇか」


 ふざけんなこのクソ爺、とヤンは内心毒づいた。

 それなりの距離があったはずの状態で真正面から受けた斬撃は、その初動さえも掴む事ができず、自身が斬撃を受けた事に気がついたのは斬撃の衝撃で吹き飛ばされた後だった。

 もしこの手品の種が割れてしまえば一瞬で切り刻まれるという確信がある。

 この状況は本来は自身に使用するはずの『風水符』を敵に使用するという虚を突いた行動で、幸運にも作り上げることが出来たものだ。二度は間違いなく通じないだろう。


「(『天邪鬼水天結界あまのじゃくすいてんけっかい』、水属性を付与された相手が使う水属性の攻撃を防ぐ捻くれアイテム! 『風水符』の効果が続いている間に何としてでも拠点にたどり着かねぇとッ!!)」


 ヤンの首からぶら下がる寄木細工の首飾り、極彩色の彩りに飾られたそれが最上位レアリティに分類される伝説級レジェンダリーアイテム『天邪鬼水天結界』だ。

 ただ、原作においてこのアイテムは高いレア度に反して使用できる場面が殆ど無く、プレイヤー間においてはコレクション以上の価値が存在しなかった。


 その理由は『水属性を付与された相手が使う水属性『以外』の攻撃ダメージを大きく減退する』という効果に対し、『作中に出てくる敵が自身の属性に反した攻撃をしてくることがほぼ無い』という問題点が存在したからである。


 火の属性を持つドラゴンが水の吐息を吐く事はなく、土の属性を持つゴーレムが風を纏う拳を振るうことはない。

 スキルにより『攻撃に属性をもたせる』味方キャラクター達とは違い、作中の敵キャラである魔物や魔人は『そのキャラクター自身』に設定された属性が攻撃に乗るケースが殆ど。

 ごく一部の人型を持つボスキャラだけが、二種から三種の属性を使い分けて攻撃してくる事がある程度だ。


 そんな『自身の属性に反した攻撃をしてくる敵がほぼ居ない』という環境に対して、『水属性を付与された相手が使う水属性『以外』の攻撃を防ぐ』という効果を持ち出してくるのはまさに天邪鬼捻くれ者の発想であり、それ故に当然のごとく失敗した産廃アイテムだと言えるだろう。


 しかしあくまでもそれはゲームにおける話。

 『風水符』が味方ではなく敵対者にも使用できる現実世界において、このアイテムはデメリット無しに相手の攻撃をほぼ無力化できる強力なアイテムへと変貌していた。

 そこに魔人化により手に入れた物理攻撃耐性も加われば『剣聖』の刃さえも通らぬ鉄壁の防御を手にすることが可能であった。


 だがあくまでもそれは防御面に限った話。

 どれだけ『倒されない』ようにしても『倒す』ことが出来ない以上、最終的にリソースが尽きて倒れるのはヤンの方だ。

 だからこそヤンは侮らず、慢心せず、全身全霊を逃走へと向ける。


「『韋駄天いだてん羽衣はごろも』! 『天駆け橋あまがけばし』! 『天馬羽てんまばね!』」


 異形化と共にヤンは次々とアイテムを使用して自身の能力を向上させていく。

 彼は背に羽を生やし、身体のあらゆる動作を加速させる羽衣を身に纏い、障害物を無視して空中に浮かび上がる雲の道へと踏み込んでいく。

 ヤンが駆け抜けた雲の道は、敵対者である佐貫が利用できぬように宙に溶けて消え、ヤンにのみその最短ルートを提供していく。


「鬼ごっこかい? そりゃぁ楽しそうだ、年甲斐もなく胸が高鳴るねぇ」


 必至の形相で全力で駆けていくヤンを見つめ、佐貫はしっかり10秒数えると足に力を込めて屋上から『消失』した。


 いや消えたのではない。たった一足で数十mという距離を移動している。

 その移動速度がまるで消えたかのような錯覚を生み出しているだけだ。


「(んな出鱈目な話があるかよ糞が!? どんな身体能力してやがるんだよ!?)」


 自身の回避率を大きく上昇させる頭装備『裏目視野』により、頭の後ろに第三の瞳を作り上げたヤンが、剣聖のテレポートもかくやと言う移動速度に内心悲鳴を上げた。


 屋根の上の逃走という地続きではない環境が幸いしたか、はたまた道を作り上げる雲のおかげか、速度で言えばヤンの方が僅かばかりに早い。

 このままならば目論見通りに拠点に居る『黒曜の剣』を巻き込むことができるだろうが、楽観視するのは愚かだろう。

 『剣聖』と呼ばれる相手がそんな簡単な相手であるはずがないのだ。


 ヤンは逃げながらも次々とアイテムを取り出し佐貫へと向けて使用する。

 毒霧や酸の雨、召喚獣に呪詛や罠など、彼の必至さを隠そうともしない手札の数々を佐貫は手に持つ直剣一本で切り抜けて行く。それがまたヤンの焦燥を駆り立てる。


「(さて、坊主の言う通り適当に追い立てちゃ居るが、本当に『黒曜の剣』なんて連中がいるのかねぇ。ま、周りの奴らはコイツだけでも満足そうだが)」


 直剣を振るいながら自分のさらに後ろに追従してくる何人かの『影』。

 佐貫は自身の弟子が提供した情報により動き出した盗賊ギルドの存在を感じ取りつつ、適度にヤンを追い立てる。


 決死の覚悟で逃走を続けるヤン・ランと片手間でそれを追い立てる『剣聖』。

 両者の実力差は余りにも大きく、見るものが見ればいっそ酷いとも言える逃走劇が幕を開けた。

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