040 それとこれは別の話

 桜井の言葉によって決定的な絶縁は回避することが出来たものの、依然として檜垣の心には罪悪感が重くのしかかっていた。

 それは師匠である『剣聖』佐貫 章一郎に対してのみならず、桜井に対してもまた同様の気持ちを抱え込むこととなった。


 彼女は桜井が立ち去った後、誠心誠意繰り返し謝罪を続けた。

 それに対して佐貫は「もう二度とお嬢に剣を教えるつもりはない」と明確に破門を言い渡した。


 告げられた言葉に今にも崩れ落ちそうな気持ちを必死に押し留める裏で、謝ることができただけでも幾分か良かったのだと檜垣は感じた。

 もしもあのまま謝ることさえも許されなかったら……等と想像すると謝罪というのは被害者だけではなくそれを行った者も救う力があるのだと知ることができた。


「私は……これからどうすればいいのでしょうか?」


 今回の一件は事前に何をするつもりかを佐貫が桜井から聞いていたこともあり、大きな問題にならないようにと彼の手が回されていることもあって「弟子同士の鍛錬中における不幸な事故」として処理されているという。


 それはつまり法の裁きには至らないものの、だからこそ檜垣は自分で考え贖罪を続けなければならない。

 当然、桜井の活動に協力することは大前提としてそれだけでは償いにならないのでは無いかと彼女は考え、思わずそれを口にした。


「あいつ、病院で目覚めてから様子がおかしいんです」


 檜垣はギルドから先に立ち去った桜井の背を思い出しながらそう呟いた。

 その背はいつもの自信に溢れたものとは違い、小さく覇気に欠けているような印象があった。


「先生の下にこうして来るまで。私が病室で荷物をまとめている間も、待合室で呼び出されるのを待っている間も、それにこの冒険者ギルドに足を運ぶ道中さえ素振りの1つもしてなかったんです」


 たった十数秒でも暇な時間があれば、何処からともなく取り出した木刀で素振りを始める桜井が、今日は一度も素振りをしていない。

 病み上がりであることを差し引いたとしても、その様子は彼を知るものからしてみれば間違いなく異常であると言えるだろう。

 現に大抵のことでは動じることのない佐貫さえも、その話を聞いて「ほぅ?」と小さく驚きの声を上げた。


「償うのであれば、まずは桜井に元の調子に戻ってもらう必要があると思っています。ですが、私にはどうすればいいのか……そもそも何かをしていいのか……まるでわからず」

「それを考えて、悩み続けるっつーのがお嬢がやらなきゃならねぇことだわな」

「……そう、ですね。失礼しました」

「つっても坊主が鍛錬を忘れるほどの状態になってるってのは俺にも一因があるだろうし、どれ少しばかり知恵を絞ってやるとするか」

「先生!」


 顎を撫でながら悩み始める佐貫に檜垣は歓喜の声を上げた。


 なお、実のところは桜井の内部で理性と本能が借金返済とレベル上げを巡ってゲーム知識を元に、「あーでもないこーでもない」と行動計画を立てているために一時的に大人しくなっているだけである。

 物事を効率的に進めるには事前の情報と計画が大切。桜井も桜井なりの考えのもとに動いている為、偶にはこうして長考することもあるのだが……普段の行いのせいで檜垣にも佐貫にもそれを察することは出来ないでいた。


「そうさなぁ、あの坊主の覇気に欠けた様子からして……お前さんらどっかでデカイことしてきたか?」

「わかるのですか?」

「デカイ仕事こなした後にダラける連中の姿とちっとばかり重なるもんでな、いわゆる一つの燃え尽き症候群ってやつか? 今の坊主はデカイことで気力を使い切っちまったから覇気に欠けてるんだろうて」


 かと言って佐貫が口にした燃え尽き症候群もまた事実。

 桜井がボンヤリと悩み続けているのも、決断を後押しするやる気が低空飛行しているからでもある。


 なにせ桜井はアイリスを助けるために、それこそ死力を尽くして不眠不休で戦い続けた事実がある。

 その後、休息も兼ねて三ヶ月近く冥府で過ごしていたものの、桜井は何だかんだで塔に通い詰め騒動に巻き込まれたり引き起こしたりと動き続けていた。

 塵も積もれば山となる。彼自身も知らない内に溜まっていた精神的疲労が、ここにきて顔を出していたのだ。


「大体は暫くゆっくりしてればそのうち適当に動き出すようになるもんだが、中にはボンヤリしたまま惰性で動き続けるやつも居る。そういう奴ほど普段は起こさないような凡ミスでぽっくり逝っちまうことがあるからな、そうなっちまったら困りもんだ」


 瞬間、二人の脳裏に映ったのは身体に染み付いた習慣に流されたまま無意識にダンジョンへ踏み込んでいく桜井の姿。

 そしてそのまま視界に入った魔物に誘われるようにフラフラと近づいて落とし穴に気が付かず……そんな光景がやたらとリアルに想像できた。


 アイツならやる、間違いなくやる。そしてまた死ぬ。

 檜垣はそれを確信した。


「せ、先生! どうすれば、どうすれば早急に桜井の元気を取り戻せますか!? このままじゃアイツがまた死にます!」

「おう。否定しきれねぇのが笑えるとこだが。これでまた死にかけられちゃぁ俺の苦労も水の泡ってもんだ。さて、手っ取り早く元気になる方法といやぁ何があったかねぇ……」


 佐貫はグラスをテーブルに置き、わざとらしく口をすぼめては指で顎を撫でた。

 そしてじっくり十数秒も考えた佐貫は、良いことを思いついたとばかりに手を叩いて笑みを浮かべる。


「そうだ。ああいう状態になった男が活力を取り戻す、抜群の手段がある」

「本当ですか!? それは私にも出来ることでしょうか……?」

「むしろこりゃぁお嬢にしかできんことだわな」

「私にしか……?」

「応とも」


 檜垣の問いかけに佐貫は腕を組み、胸を張りながら背もたれに身体を預け。

 そして自信満々に檜垣へとそれを告げる。


「お嬢、坊主と逢引でもして夜は一発決めて来いや! 大体の男はそれで復活するからよぉ!」


 その芯の通ったハリのある声が周囲に広まり、聞き耳を立てていた冒険者たちの何人かが静かに首肯した。

 対して檜垣はその言葉の意味する所を理解するため数秒の硬直を挟み、そして理解すると共に顔を真っ赤に染め上げる。

 そしてその血が頭の上まで上り切ると――


「は、はぁぁぁぁぁ!?!?!?!?!?」


 ――周囲の人目を憚らず、ギルド全体に響き渡るほどに大きな声を上げたのであった。

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