019 バカ、とんぼ返り
『冥府警護御所』。
その名の通り冥府の秩序を守る人々が集まる施設であり、アイリス・ニブルヘイムもそこに所属し日々業務に勤めている。
本来、冥府の主アヌビス神の姪に当たる彼女はこのような下働きではなく、より管理者に近い立ち位置に座ってしかるべき血筋だ。
しかし彼女はその地位を投げ、こうして日々冥府のために警護役として活動している。自分が選んだ選択に後悔などは無く、充実した生活を送れている自負がある。
「アイリスさん、貴方宛てにお客様です」
「私に?
「例の少年ですよ」
そう聞いてアイリスは桜井のことだと当たりを付けた。
手元の書類を片付け待合スペースへと向かうと、そこにはソファにちょこんと座り込んで編み物に精を出す桜井の姿が見えた。
傍目には暇潰しをしているかのように見えるが、アイリスの魔眼は彼から発せられる『熱意』を視覚的に捉える。
『塔』の時ほどではないものの、その炎は天井にまで届き、その肌にひりつくものを感じさせる。
「輪を作って+1、つなぎ合わせて+1、一列できたら+14……なるほど編み込んだ輪の連なりがボーナスとして加算されるのか。編み物スキルはパズルゲーっぽくてこれはこれで面白いな……」
高まる『熱意』に比例するように止め処無く動き続けるその指先、そこから量産されていく毛糸のマフラーは今や彼の身体の上から床へとこぼれ始めている。
糸が無くなれば何処かから新たな毛玉を取り出し、気がつけば複数種類の毛玉で鮮やかなグラデーションまで描き始めるその姿はもはや一種のパフォーマンスのようにも見えた。
「うひっ、うひひ……いいなぁ、良いなぁこれ……ッ!」
他者からの目を気にすることもなく、そして内心の歓喜を抑えきることが出来なかったが故に作り出される笑みは、『楽しそう』と言うよりも狂気的であり。感じさせる不気味さから変なクスリでも服薬しているのではないかと疑わせる。
「(あの子は……本当にもう……)」
いよいよもって周囲の警護役が警戒の色を見せ始めた所で、頭を抱えていたアイリスは覚悟を決めて桜井に声をかけた。
「あのー、桜井さん? 桜井さーん?」
「……………え? あ? あぁ、アイリスさんどうもどうも」
「熱中するのは良いですが程々にしてください。ここは警護御所ですよ?」
「いや、大して熱中しては……うわ何だこの長さ!?」
全長6mはあるであろうマフラーの山に驚愕する桜井を見てアイリスは少々呆れてしまう。この熱中癖はどうにか矯正してやらなければならないだろう。
「それで今日はどうされましたか?」
「あぁ、その。まずはお礼を言いに。アイリスさんのお蔭で色々省みて……檜垣とはとりあえず手打ちに持っていけました。ありがとうございます」
「それは良かったです。自らの過ちと向き合い前に進む、貴方達ならば出来ると信じていましたよ」
マフラーを抱え込み、ペコリと頭を下げる桜井の姿にアイリスは喜びを感じた。
ちょうどよい位置に頭が来たこともあり、思わず無意識にアイリスは桜井の頭を撫でた。男子特有のゴワゴワとした硬い髪は肌触りが良いとは言えないが、感触としては嫌いではなかった。
「何かむず痒いです」
「っとと。失礼しました、馴れ馴れしかったですね。申し訳ありません」
「いえ、構いません。それでですね、もう一つ用件がありまして」
「はい何でしょう? 私に出来ることであればご協力しますよ」
頭を上げた桜井を見て柔らかな笑みを浮かべるアイリスは誰から見ても上機嫌であり、事実彼女は大概のことには協力してあげようと思うくらいには上機嫌だった。
根本的に世話焼きに過ぎる部分がある彼女にしてみれば、凄まじい『熱意』をその身に宿す桜井の成長は、自分のことのように誇らしく嬉しいものだった。
だからこそ、次に彼が何を言ってくるのか。どんな成長を目指そうとしているのかを期待して、彼女の笑みはどんどん高まっていく。
対する桜井は自分を落ち着けるように小さく息を吐くと、アイリスの目を決意の篭った視線で見つめ、周囲に聞こえるほどにハッキリとした声を出した。
「『塔』に挑戦できないのでナンパに勤しもうと思うんですがアイリスさんはどうすれば口説けますか!!!!」
「ちょっと反省室行きましょうか桜井くん」
周りに居た警護役は後に語った。
それはそれは見事なアイアンクローだった、と。
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