007 兄妹弟子
「あぁ~疲れた。全く、あの坊主とんだ重労働をさせやがる」
戯れを終えて、ギルドへと戻ってきた佐貫 章一郎はどさりとソファへと座り込んだ。
桜井 亨によって蹴り飛ばされたテーブルは新品に交換されており、そこには何時も通りの酒とグラスが用意されている。
「あの、剣聖殿?」
「おん? なんでぇなんでぇお前ら、皆してこっち見て。そんなに睨まれると思わず縮こまっちまうよ?」
「睨んでませんよ。それより朝の少年、一体誰なんですか?」
「あー坊主のことか。誰かと言われると……」
朝の騒動を見ていたのだろう、冒険者の問いかけに周囲が佐貫に注目する。
佐貫はグラスに酒を注ぎ込みながら、自分とあの少年の関係性に思いを巡らせる。知人ではあるが友人でもなし。自分にとっても相手にとっても、お互いに利益があるからつるんでいるだけのような関係。
一言で表すなら『
であるならば、言い表せる言葉はそう多くはない。どれもが本質からはやや外れたものではあるが、その中でも一番自分らしいものを選び取り佐貫は口にする。
「あれだ、弟子だよ弟子」
「弟子? 檜垣ちゃんの弟弟子ってことですか?」
「いんや、アイツが先だ。一番弟子っての? なんというか、奇縁でな。弟子と言えども暇つぶし以上の手ほどきはしとらんし、それこそ見てやった時間は碧のお嬢のがずっと長いだろうよ」
「正直、想像できませんね。弟子入りの嘆願をあれほど拒み続け、檜垣ちゃんのしつこさにやっと嫌々ながら承諾した剣聖殿が、一番弟子だなんて」
「弟子って言葉も正確じゃねぇんだが。ま、奇妙な仲なのよあの坊主とはな」
眉をひそめた冒険者の滑稽な顔に、クスリと笑いながら酒を呷る。
一言で済ませるつもりが結局長々と話してしまっている辺り、どうやら自分は上機嫌なようだ。であれば少しばかりあの坊主のことでも語るのも一興だろう。
そう考えた佐貫はグラスの半ばまで酒を注ぎ込み、くるりくるりと回しながら話し出す。
「お前さん、美術館は行ったことあるかい?」
「え? まぁ、何度かは」
「彼処はすげぇよなぁ。たくさんの色をこれでもかと使って、磨いてきた技術全部を注ぎ込んで、『自分』を描いたものが並んでる。一枚一枚に味があって、時折ハッとさせるような気付きを与えてくれる。正直、絵には
「は、はぁ?」
「でよぉ、そこに一枚。変な絵があるんだわ。絵と言って良いかもわからん……真っ白なキャンパスにただ力任せに筆も使わずベタベタと描き殴ったような奴がよぉ。な? お前さん、どう思うよ?」
「それは個性的ですけど、一枚だけなら美術館全体のテーマとズレてるような印象は受けるでしょうね……その絵が、彼だと?」
「応とも。お前さん中々察しがいいじゃねぇか」
佐貫はますます機嫌が良くなった。
人は様々な感情や経験、葛藤に苦悩を通じて極彩色をふんだんに使った自分という一枚の『絵』を作り出す。誰一人として同じ絵はなく、どれもに関心する部分、落胆する部分がある。
これまでの人生を通して出会ってきた人々総てに貴賤はなく、善人だろうが悪人だろうが佐貫はそこに一定の美を見出していた。
「だけどよぉ、何でか皆してテーマが同じなんだよな。悪いとは言わないが、まぁ、食傷気味つーか……正直飽きてたところはあったんだ」
そのテーマこそ『生きるため』。
だがそれは人々の根本に根ざす普遍的なものであり、特にこの世界のような命のやり取りが身近にある世界であれば、否が応でもそれらが全面に押し出されるのは当然のことだと言えるだろう。
それはもうどうしようもないことで、しょうがないことだ。
そう思っていたところに現れたのが、桜井 亨という少年だった。
「俺の知る中であの坊主だけが『楽しむため』だけに絵を描いてたんだなぁこれが。技術や技法、暗黙のルールだとかそんなの知らねぇとばかりにキャンパスの上に欲しい色を1色だけぶちまけて、手足全体でバタつきながら絵を描いてんだ」
「……」
「どんな絵を描きたいのかの方向性さえ掴めないまま、広がり続けるその姿に興味が湧いて。俺の技法を伝えたらどんな風に変わっちまうのか見てみたくなって。そして今ではどんな絵になるんかねぇと年甲斐もなくワクワクしちまってる」
「それはまた……随分と入れ込んでますね」
「だなぁ、俺もびっくりしてらぁね。だから俺はあいつが楽しんで絵を描き続けてる内は気が向いた時にでも手ほどきしてやろうと思ってるわけだ。だから一番弟子ってことよ、一番弟子」
「そうまで言われると檜垣ちゃんが何だか可哀想ですね」
「碧のお嬢? まぁ、人が『一番』の鑑賞中に隣で喧しいから仕方なく付き合ってやったくらいだからなぁ。しかし、それが坊主に発破かける事に繋がってるみたいだし拾いものっちゃ拾いものだったのか?」
興味なさげに語る剣聖の姿を見て、冒険者は檜垣 碧に同情した。
彼女がどれだけ剣聖に執着していたか、どれだけ憧れ恋焦がれていたか。それは少なくはない人数が知っており、それに感動した者たちも居る。
その努力が実を結んだのか、やっとのことで弟子になり薫陶を受け、学園へと巣立って行った彼女のことを――よりにもよって『喧しかったから』と言ってのけた剣聖に僅かばかりの反感を覚える。
だが一番弟子のことをこうも楽しげに語る剣聖の姿は、まるでお気に入りの玩具を自慢する子供のようであり、邪気のない口ぶりに毒気を抜かれていく。後に残るのは、剣聖の無関心さに対する檜垣 碧への同情心だけだった。
「(だがまぁ、彼女は強い子だし。自分の道を真っ直ぐ進める子だから心配は要らないか)」
檜垣の皮の下にあるドロリとした感情を知らない冒険者は、同情しながらも心配はせず。彼もまた檜垣 碧に対する関心を失い剣聖の言葉に耳を傾ける。
珍しく饒舌な剣聖の話に一人、また一人と会話の輪に入り込み。暫くの間、ラウンジの話題は剣聖の一番弟子の話で持ち切りになっていた。
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