第26話 被害者捜査 佐川清正

被害者「佐川清正」は旧日本陸軍に所属。


昭和19年1月15日早朝

兵庫県小野市、青野ヶ原演習場にて夜間訓練中、その訓練を放棄し職務離脱(脱走)が判明。


後刻、教育隊長より姫路師団所属憲兵隊に連絡。

憲兵隊の動きは速く、関係警察署等あらゆる捜査機関を通じ捜索するも行き先、手がかり無く、結果『官給品横領罪』を科せられ、行方不明扱いとなり終戦。


昭和26年4月1日

父母が不承云々ながら地元、善通寺市役所に死亡届を提出、受理され現在に至る。


香川県善通寺市寺前町◯◯親元住所に、当時派遣した足立捜査官の特筆として、母親の佐川スミ子の言葉が書き残されていた。


「忘れもしません。昭和19年1月21日午前2時頃、突然目が覚め足元の障子を見ると其処に陸軍の制服制帽姿の清正が立っており、口を大きく開け、話し掛けてきました。しかし言葉が、はっきりせず、今も覚えているのは『イイド、ノナカ』又は『ノナカ・・ナカノイル』と言っていました。以後このような異変を2-3度経験しました」


さらに四国霊場七十五番札所のある善通寺市に派遣した『藤本、宇都宮』両捜査官は、直接両親から聞き取り調査を行い下記の話を聞かされた。


地元で開業医を行なっていた父親の話によれば

「昭和19年1月15日寒い朝、善通寺第十一師団司令部所属の『憲兵隊員』が訪れ、その話の中で息子の逃亡を知りました。

今後、本人からの連絡、又は発見次第、善通寺部隊に速やかに通報の事。又立ち寄り先等を聞き、捜査に協力するよう強く申し付けられました。以後自宅は終日、私服刑事の監視下に置かれ、家内は心配のあまり毎日泣きじゃくり、身心共に不安な状態が続き辛く苦しい日々でした」


日が経つにつれ、町内の人々もこの話を聞き付け、それとなく患者も遠退いた結果、非国民扱いのレッテルが貼られ、暫く歯科医院も休業に追い込まれた状態が続いた。


そのような状況であるため家庭内は離散家族同様になったと聞かされたが、帰り際、それまで黙って聞いていた母親が、突然

「清正は逃亡などしていません!私には分かります。あの子は其のような意志の弱い子では無く、しっかりした信念と責任感の強い子だから今もどこかで生きている事を信じています」

と力強い言葉で言ってきました。


「詳しく教えて下さい」

と尋ねたら


「何か軍内の重大な事を知り、何処かに幽閉されているのではと色々考えますが、今以ってあの子の言った『ノナカ、又はイイド』という地名にいるものと考えました。しかし幾度となく見知らぬ土地を地図上で調べ、その似通った名前の町と村を探しましたが、全て手がかりが掴めず。これからも探せねばと思うもののもうこの年では、足腰も弱く心のみ焦ります」


「なるほど死者からのメッセージですか」


「はい、思いたくは無いけど、あの枕元に立った息子の姿を思い出すと、もうこの世に生きてなくて死んでいる場所を伝えに来たのでは、と考えています」


「なるほど」


「教育中の若者に学徒動員令を出した国防軍関係者と、多数の国民の尊い命と莫大な建造物の焼失と破壊、国民の生きる気力まで奪った無意味な戦争が、辛く憎く悔しさだけ残り残念です。今はとても言葉で言い尽くせぬ辛い悲しい毎日です。」


このように述べ、落胆され放心状態でした。

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