第224話・希望を疑い、敬愛を疑い、自己を疑った俺は一体「何者」になれば良いのだろうか?(2)




 冷めてしまった食事をゆっくりと口にしながら、再び道行く人々を眺める。

 俺がこの王都を巡回していたのは、近衛隊に配属される前の事だ。

 けれどあの頃も今も人々の生き生きとした表情は変わらない。

 

 あの頃は、俺がこの笑顔を守るのだと考えていたような気がする。


 騎士見習いとなり、隊長に引き上げてもらい近衛隊に配属になり。

 足早に移り行く中でいつの間にか俺の中での優先順位が変わっていってしまった。

 隊長の言う事は絶対だった。

 隊長が陛下の事を話す姿が好きだった。

 懐かしむように、それでいて誇らし気に語る姿は隊長が陛下に深い敬愛を抱いていると考えるに充分で。

 王家を護り民を護るという強い意志を隊長は抱いているのだと。

 そんな隊長についていく事が出来るという事実に胸が震え喜びが常あった。

 隊長を父の様に慕っていた俺は、その盲目さがどれほど危険が分かっていなかった。

 だから隊長が二人の殿下に対して対応が違う所を見ても、何も思わなかった。

 違う……隊長は陛下の命を受けて殿下達を見極めているのだろうとすら思っていたのだ。

 今、考えれば不敬にも程がある。

 確かに隊長は近衛隊の中でも古参にあたる。

 だから陛下に近しいと言えば近い。

 だが陛下に最も近い騎士は隊長では無く騎士団長なのだ。

 そんな当たり前の事実に気づかない程、俺は周囲が見えていなかった。


 盲目さ加減で言えば、キースダーリエ様の側付きと変わらないだろうにな。


 自嘲が胸を過る。

 今の俺が護るべき人――ラーズシュタイン家の令嬢であるキースダーリエ様。

 隊長の騎士としての矜持を叩きのめし、同時に俺達の騎士としての矜持を折った存在。

 かの令嬢は今まで見て来た令嬢とは全く違う存在だった。

 年不相応と言えばよいのか。

 大人びたと言う言葉では言い表す事が出来ない。

 むしろ中身が大人だと言われた方が納得できるような方だ。

 まだ学園に入る事も出来ない年齢の子供に隊長は負け、俺達の矜持は粉々にされた。

 あの幼い外見から紡がれた言葉は敵意を色濃く纏っていたが、理論は破綻してなかった。

 独自の感性と性質を感じてはいた。

 だが、決して狂人の妄言ではなく、幼い子供の癇癪でもなかった。

 だからこそ隊長は……俺達の騎士の矜持は叩きのめされたのだから。

 そんな彼女に盲目とも言える忠誠を誓っている存在が三人いる。

 一人はキースダーリエ様付きのメイドのクロリア。

 冷静で物静か。

 俺は彼女が表情を変えた所を見た事が無い。――ただ俺が信頼されていないためだと思うが。

 きっと彼女もキースダーリエ様のためならば何でもするだろうと少ししか接していない俺でも思うくらいだ。

 そして何よりも恐ろしいのが獣人の二人だった。

 嘗ての俺以上の盲目さでキースダーリエ様に仕えながらも、それが許されている存在。

 獣人の契約の話は俺でさえ背筋が震えた。

 そんな契約をあっさりと結び命すら差し出す獣人達にも、それを受け取り平然としているキースダーリエ様にも。

 

 どうして命も魂すらも捧げ、笑っていられる? ――俺はそこまでの事は出来ない。

 どうして、そんな重たいものを受け取り平然と二人を側においておける? ――その重みを理解しているのに。


 獣人達が【命令】を受けた時の事を思いだし、ため息が漏れる。

 アールホルン様が倒れたとの知らせにキースダーリエ様は大層慌てて、貴族令嬢としてはあまり褒められない行動力を見せた。

 辛うじて同乗する事が出来た俺はキースダーリエ様を止める事こそ必要だと思っていた。

 だからこそ周りが見えなくなっていたキースダーリエ様をお止めした。

 その時だ。

 キースダーリエ様が獣人二人に【命令】したのは。


 【ルビーン! ザフィーア! アズィンゲインを引き剥がしなさい!!】


 と。

 

 何か力を帯びた言葉の通り、俺は物凄い力でキースダーリエ様から引きはがされた。

 その後に廊下の壁に叩きつけられたのは、きっと獣人達の性格の悪さだと思うが。

 主が暴走したならばお止めするのも護衛の役目だ。

 だからこそ背く事の出来ない【命令】だとしても、何の躊躇も無く遂行した獣人達に文句を言いたかった。――そんな怒りも獣人達の顔を見た事で萎えてしまったが。

 あいつ等は見た事の無い事をしていた。

 恍惚とした表情と言えばいいのか。

 【命令】された事を何処までも喜び、快楽すら感じている表情。

 その時、俺は心の底から【契約】の凄まじさを理解した。

 命、魂すら捧げるという事の恐ろしさと少しの悍ましさを。

 同時に、ここまでの盲目さがあるからこそあの二人は共に居る事を許されているのだという事に対する一欠けらの羨望。


 いや、それは勘違いだな。あれは、人である俺には到底真似できない。そして真似をする気もおきない。


 自分が何処までも中途半端な人間であると突き付けられている気分だった。

 きっとあの獣人達はキースダーリエ様が隊長のように取り返しのつかない過ちを犯したとしても、笑って付き従うだろう。

 地の底までついていくに違いない。

 キースダーリエ様からの【命令】を心から悦び遂行して死んでいく。

 

 だから俺とは全く違う。俺はそんな事、欠片も思い浮かばなかった。そして見せつけられても同じ行動をとる事は絶対に無いと言い切れる。


 あれが理想の主従関係だとは思わない。

 だが、究極の形の一つなのではないかとは思う。

 あれ程の熱量を俺が抱く事は出来ない。

 俺がキースダーリエ様に訴えかけて分かって頂く立場だと言うのに、見せつけられて叩きつけられた気分だった。

 

 この事で更に俺の心は不安定になってしまった。ただでさえ、今の俺の心は揺らいでいたのに。


 隊長を敬愛する気持ちは変わっていない。

 今でも隊長は凄い方だと思っている。

 だがその感情からきていた気持ちが揺らいでいる。

 今の俺は前程キースダーリエ様が異常な方だとは思えないし怒りも前程抱く事が出来ないのだ。


 隊長を完膚なきまでに叩きのめし、騎士の矜持を折った冷然とした態度。

 そのくせ、自分が殺されかけたのに、あっさりと加害者である隊長の事を記憶の隅に追いやり、姿さえ忘れ去る軽薄さ。

 厳しいまでの線引きと、その外側にいる存在に対しての無関心さ。

 どれも普通とは言いずらい。

 その性質を俺は危険視していた。

 けれど、今は前程危険だと思う事が出来ない。

 キースダーリエ様の性質が変わった訳では無い。

 彼女にとって顔を名前を知っているだけの存在である俺に何を言われようと彼女の心は変わらない。

 そんな事最初から分かっていた事だ。

 つまり変わったのは俺の方なのだろう。

 ラーズシュタイン家に士官し、キースダーリエ様と恐れ多くも同じテーブルに着く事を許された。

 近くでキースダーリエ様を見る機会が出来た。

 それによってキースダーリエ様の色々な姿を見るようになった。

 

 だから気づいてしまった。


 キースダーリエ様は俺が思っていたよりも「普通の方」なのだと。

 母君や父君、そして兄君と話、笑っている姿。

 使用人達と身分の差など無く和やかにしている姿。

 殿下達と交流している姿。

 そのどの姿もが「普通」だった。

 最初、あの時のキースダーリエ様がまるで嘘だったかのような姿に俺は戸惑いを隠せなかった。

 それほどまでにあの時のキースダーリエ様は苛烈であり、そして恐怖を煽る存在だったのだ。

 今思えば、あの冷酷さと無慈悲は幼い姿だからこそ恐怖したのだと思う。


 きっと、俺はあの姿が印象的過ぎて、キースダーリエ様がそういった存在でしかないのだと刷り込まれていたのだろう。


 幼いからこそ、普段からああいった姿なのだと思っていた。

 だからこそ俺は危険だと思った。

 ……ラーズシュタイン家内で孤立しているとすら思っていた。

 今考えれば、どれだけ浅ましい考えをしていたのだと思う。

 俺は勝手な想像で義憤にかられ、キースダーリエ様を「悪」だと断じて、自分はそれを正すために命をかけるのだと思っていなかっただろうか?

 盲目になったが故に周囲が見えなくなり、生まれ故郷に顔向けが出来なくなった。

 だからこそ故郷に対して一つでも言い訳できる何かが欲しかった。

 そんな俺の浅ましさにキースダーリエ様の苛烈さは丁度よかったのだ。

 

 結局、全ては俺の一人よがりだったという訳だ。俺は俺の事しか考える事が出来ない。なんて愚かな奴なんだ。


 自分の浅ましさに吐き気がする。

 キースダーリエ様は「敵」に対して苛烈で無慈悲な方だ。

 それは隊長に対しての対応で分かる。

 その後無関心まで存在を落とし込む性質も場合によっては危いかもしれない。

 だが、それ以上にキースダーリエ様は人を慈しむ事を知っている方だった。

 懐に入れた者に対して惜しみない愛を注ぎ守ろうとする姿は、時には心で泣いていようと表情では笑わなければいけない貴族の中では好感すら生まれるだろう。

 幼さ故の無知ではない。

 キースダーリエ様は貴族として繕う事を知っている。

 その上で懐に入った者を慈しむ事が出来る。

 幼いからといって侮れば、足元を掬われる怖さこそあれど、決して好戦的では無い。

 守りたいものを必死に守る姿は好ましく映る事だろう。

 そして、そんなキースダーリエ様に心惹かれて集まっている者達も優秀な者ばかりだ。

 

 きっと、キースダーリエ様は俺程度の者には到底計る事の出来ない方なのだろう。


 キースダーリエ様の性質を憎みながらも危いと感じて士官を願った。

 その結果、俺自身の浅はかさを突き付けられた。

 盲目である事を「悪」とし、自分を責め尽くした。

 だが、俺以上に盲目の存在に出逢い、自身の中途半端さを突き付けられた。


 顔を上げると、変わらぬ光景が広がっている。

 目の前の光景に色々な感情が込み上げる。

 生き生きとした人々の表情。

 整理され、住みやすい街並み。

 女性が一人で歩いていようと問題の無い治安の良さ。

 その全てが俺にとって眩しい。

 眩しすぎる。

 

 俺はキースダーリエ様に「否」を叩きつけた。

 隊長に対しての親へ向けるような親愛を抱いていたのは事実だ。

 たとえ隊長が罪を犯しても、あの姿まで嘘だとは思えない。――いや、思いたくはない。

 思いたくないのに、キースダーリエ様と接しているうちに、隊長は俺等を「盲目な人形」にしようとしていたのではないかという疑惑が浮かんでしまった。

 直ぐに否定したものの一度沸いた疑惑は完全には払拭できず、最近は隊長の事を素直に語れなくなっている気がする。

 そもそも王都に来てから、キースダーリエ様と共にテーブルに着く事ないのだから、それ以前の話かもしれないが。


 一体俺は何がしたいのだろうか?


 自分が迷子になってしまったかのような不安感が消えない。

 せめて仕えているキースダーリエ様が恐ろしく、どうしようもない方ならば、なんて。

 そんな事を考えては自己嫌悪に陥って。

 滅茶苦茶で不安定な感情を必死に押し込めているせいか、自分の立ち位置が最近、更に分からなくなっている。

 王都に来てからは殿下達の護衛から疑いの視線を貰い安心する様だ。


 結局、俺には何も無いのかもしれない。


 故郷の出る時の希望も、隊長に引き上げられた誇らしい気持ちも。

 全てがあやふやで、その中にどれだけ「俺」がいたと云うのか。

 後回しにして、誰かに依存していたつけが今きているのだろうか?

 だとすれば、キースダーリエ様の側にいる事は決して良いとは言えない。

 キースダーリエ様もラーズシュタイン家の方達も、殿下達もしっかりとした自己を持ち、生半可な事では揺るがない方々だ。

 そんな方達といれば、俺はまた楽な方へと流れてしまうかもしれない。

 だが、ここでラーズシュタイン家を離れれば、最初にキースダーリエ様に宣言した事が嘘だという事になってしまう。

 幾ら浅はかだったとしても俺がキースダーリエ様を危いと感じた事も隊長を敬愛している事も事実なのだ。

 それをキースダーリエ様にも知って頂きたい気持ちはなくなってはいない。


 ――堂々巡りだな。


 自分のなすべき事が分からず、自分の立ち位置も決められない事が情けない。

 自嘲が漏れ出る。

 さぞかし俺はこの場には似つかわしくはない雰囲気だろうと他人事のように思った。


 最後の欠片を口に放り込み、立ち上がった時、俺はとある人の背を見て固まった。

 あの後ろ姿は。

 まさか?

 人の背を凝視し固まっている俺を給仕の人間が訝し気にみているのが分かった。

 だが、俺はそれを気にする余裕が無かった。

 去っていく背に俺は慌てて動き出す。

 代金を払い、去っていく背を追いかける。

 今、俺の心は滅茶苦茶だった。

 ここにいるはずがないのに。

 見間違えか?

 だが、俺が見間違えるはずもない。

 あの背に追いつく事を俺がどれだけ渇望していたというのか。

 だが、たとえ、今、追いかけている人がその人だとして。

 俺はどうすればいいのだろうか?

 声をかける?

 それとも住む場所を突き止め知らせるべきか?

 俺にその決断が出来るのだろうか?

 

 ああ、そうしている間にもあの背に近づいていく。


 どうすれば良いのか分からない。

 考えが纏まらない。

 だから、これは熟慮の果ての行動ではない。

 ……ただ俺の心の素直な発露だったのだろう。


「待ってください! ――!」


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