第76話・本当は分かっている事……




「今日はこのくらいだな」

「……ありがとう、ございます」


 今日も今日とてあり得ない運動量に息が上がっている。

 体中が酸素を欲しているみたいだ。

 この時間は運動量が半端ない。

 生きるために仕方無いと分かっていても、時折「逃げてもいいですか?」と考えてしまう程度にはキツイ講義の一つである。


 荒く呼吸をする中、私はなんとか終わりの礼をして頭を下げた。

 ……声が先生に届いているかはちょっと謎だけど。

 多分、大丈夫だろう。

 先生も片付けの体勢になったのだから。

 

「相変わらずよくついてくるよなぁ」


 用具を片付けながら先生がしみじみとした様子で私に言葉を投げかけてくる。

 朗らかに言ってい入るけど、内容な中々酷いと思うのは私の僻みなんだろうか?

 先生の性格を思うに完全に見当違いな僻みなんだろうけど。


「よわねを吐くひますら、くださらないのに、いつせいしすればよろしいんですの? ――トーネ先生?」


 私はようやく息を整えて見上げる……戦闘技術を指導して下さるトーネ先生を。

 トーネ先生は私の言葉に対しても不快感は感じなかったのか、特に笑顔が崩れる事も無く、ただ「その程度の暇はありそうだけどな?」などと言っていた。

 むしろ共に居るシュティン先生の方が私の言葉を皮肉と受け取ってくれたのか呆れた様子でトーネ先生を見ていた。


 トーネ先生も鈍い方ではない。

 だから私が皮肉として言葉を発した事には気づかれているはず。

 その上でこんな風に全く気にしていないし普通の返答をしてくるのだから……。

 つまり私の皮肉なんて小動物に噛まれた程度の認識なんだろう。

 もしかしたら虫に噛まれた程度かもしれないけど。

 手で払い落せる程度って事なんですね、つまり。

 それはそれで少々ショックなんですが。


 シュティン先生ことシュティンヒパル先生とトーネ先生ことツィトーネ先生は私の家庭教師である。

 錬金術や魔法など座学全般を指導して下されるシュティン先生と護身術などの実技全般を指導して下さるトーネ先生。

 お二人はお父様の御友人、多分学友だったんだと思う。


 三人の出会いは聞いていない。

 まぁシュティン先生は絶対に教えてくれないし、お父様は何処まで真実を教えてくれるか分からないから聞いていないってのが正しいけど。

 お父様は面白がって多少盛って話しそうな気がします。

 お父様ってそういう所は意外と愉快犯的な所あるし。

 トーネ先生は素直にそのまんまの事を教えてくれるかもしれないけど、細かい処は「忘れた!」と一言で終わりそうだと思った。

 其処まで詳しく記憶しておく必要も無いだろうから細かい処まで覚えている事はない、そんな気がする。


 どんな出逢いだったかは分からないけど、シュティン先生も家格はあまり高くは無いし、トーネ先生にいたっては平民だけど、お父様はお二人を知己の友として接している。

 私もお兄様も身分はあまり重視していないから、そんなお父様達の関係は少しばかり羨ましいくらいだった。

 特に私は現在リア以外の友人が居ないし、より正確に言うとリアは我が家の使用人だから、私が幾らリアを一番の友人だと思っていても周囲にしてみれば純粋に友人っていうモノが居ないって事になる。

 つまり今の私はぼっちなのだ。

 胸を張って言える事ではないけど、仕方無いと思う気持ちもあったりする。


 だって私は公爵令嬢なのだから。

 家格で言えばほぼ下と言える人しかいない。

 全体的なお披露目パーティーも社交デビューの慣らしのようなパーティーも碌にしていない現状、我が家に来る人間はあからさまに権力に擦り寄る存在しかいない。

 取り巻きのように私を持ち上げるだけ持ち上げて、何かあればもっと高い権力を持つ者や最悪対立関係にあった相手に擦り寄る。

 そんなあまりお友達になりたくない輩ばっかり私と接触しようとしてくるのだ。

 まぁそんな相手お父様が許すはずもなく、柔らかく門前払いが関の山だけど。

 

 結果としてぼっち生活だけど、まぁいっか、と諦め半分で過ごしている。

 パーティーに出る様になれば一人くらい友人が出来るんじゃないかなぁ、と儚い願いを抱いていたりします。

 パーティーに出たからと言って取り巻き候補が減る訳じゃないから本当に儚い願いだけど。


 そんな私の悲しい交友関係はともかくとして……。


 お父様とお母様にも言える事だけど、お二人はかなり高い実力を持っている。

 多分高位の錬金術師であるシュティン先生に二つ名持ちの冒険者であるトーネ先生。

 お父様も高位の錬金術師だし、お母様も高位の魔術師らしいし。

 これもある意味類は友を呼ぶって事になるのかな?

 

 お父様達って学園時代相当目立ってた気がする。

 

 トーネ先生は朗らかな人だから多少の皮肉は笑い飛ばす人だし、私の皮肉なんて皮肉にすら取られないんだろうなぁ。

 まぁ、二つ名持ちとは言え冒険者で平民って事で特権意識の強い貴族なんかにはバラエティに富んだ皮肉を言われているのかもしれないけど。

 むしろ身分に目を曇らせて、実力を図れないような存在なんて同じ貴族として恥に思わないといけないかもしれないね?

 そんな妙な方向に凝り固まった人間を同じ貴族という括りで見てほしくなんかないけど。

 

 一応私にも貴族としての矜持はある訳だし。

 まぁ貴族の矜持というか、家族が馬鹿に去れないように立場相応の振舞いをしているってだけかもしれないけど。

 それを矜持と呼んでいいのか悪いのか……貴族の矜持と言うよりも私自身の信念に近いかもしれない、と思わなくもない。……信念って言う程大袈裟でもないかな?


 疲れているのか妙に自身の思考が散漫になっている自覚はあった。

 けど流れに流れる思考を無理に止めようとは思わなかった。

 今は直ぐに考えなければいけない事は無い。

 思考を巡らせて策を弄する必要も無い。

 ただ動けるまで体を回復させてこの場を去るために此処にいるのだから。

 だから散漫に移り変わる思考に方向性を定める必要は無かった。

 と、言うよりもそんな事をすれば嫌な方向になりそうだからしなかったって言うのもある。


「(今の私はこの時間の反省をするだけでも、苛々と不安が募るだけなんだから)」


 一瞬過った重たいシコリを振り払うように私は手元の武器を亜空間にしまい込むとゆっくり立ち上がる。


「ご指導有難う御座いました」

「おっ。回復も早くなったな」

「一応体力作りは欠かしていませんから」

「そういった一見地味な事を続けられるのもスゴイ事なんだぞ? 特にキース嬢ちゃんの歳ならな」

「……有難う御座います? (それはまぁ前世の記憶の賜物、かな?)」


 前の世で成人した年数分の記憶を持っているからこそ基礎を疎かにする事の愚かしさを私は知っている。

 後はまぁ今楽すると後々どっと降りかかってくるって分かってるからってのもあるかな?

 そこらへんを教訓に自制している結果なんだけど……そんな事言える訳もなく、ただそういった理由から普通に受け取る事も出来ず、こんな変な回答になってしまった。

 トーネ先生気にしてないみたいだけど。

 いいんだ、こんな返答でも。

 あー、じゃあ一応誉め言葉として受け取っておこう。

 その方がお互いに気分が良いしね。

 ただでさえ気鬱な時間なんだから、少しでも気分は向上させておきたい。……どうしたってこの気鬱が晴れる事はないのだから。


 体力は確実についてきている。

 体の動き自体は思考通りに動かせるようにもなってきている。

 常に考えながら戦う癖もついてきている。

 相手を観察する事で得られる情報を整理する方法も何となくやりやすい方法を掴んできている。

 色々な情報と知識を得るための努力もしている。


 手は抜いていない。

 自分の生き死にが掛かっている以上手を抜いて生きていくための道を潰すような事はしない。

 先生との関係だって決して悪いモノじゃない。

 むしろ大分気安くなっているかもしれない。

 

 だから本来はこの時間が気鬱になる理由は無い。


 けど……努力を欠かさず技術を向上させ続けているからこそ気づいてしまったような気がする。

 私自身の持つ矛盾に。

 そしてそれが何処までもこの時間を気鬱なモノしている、という事にも。


「キースダーリエ」

「……なんですか、シュティン先生?」


 かけられた声に少しばかり身構えてしまった。

 思考に入り込んでいたせいか集中が漫ろになっていたみたいだ。

 先生に声を掛けられるまで、二人が私を見ている事に気づかなかった。


 シュティン先生は眉間に皺を寄せて――ある意味何時もと同じだけど、少しばかり付き合いが出来たせいか、先生の目に宿る感情が分かるようになった気がする。

 今の先生は私の内にある“何か”を見極めようとしている。

 しかも無感動な観察対象としてのモノからしようとしているんじゃなく、多分だけど心配などの感情から。

 

 トーネ先生程分かりやすくは無いけど、シュティン先生も私に対しての壁が低くなってきた気がする。

 何が切欠は分からないけど、今のシュティン先生にとって私は内に近づいても多少は許容できる存在なんだと思う。

 有象無象の研究対象よりはよっぽど良い立場だし、これ以上距離を詰める必要も無いのかな? と思っている。

 まぁ後は成り行きに任せるって事で。

 

 もしかしたら今後一緒に悪戯を考える程仲良くなる可能性だってあるかもしれないし?

 ……御免なさい、そんな私とシュティン先生の姿は私自身の想像の範囲を超えるわ。

 満面の笑みのシュティン先生とか見て平常でいられる日はこないと思う。


 とまぁ一瞬飛んだ思考はともかくとして、それはつまり、それなりに距離が近づいた事で先生の感情を私が推測できるようなった反面、先生もまた私の色々な事を推測できるようなったという事だったりする。

 私が隠したいと思っている事を、その思いごと察する事が出来るようになった先生が私に声をかけた。

 それだけで私が身構えるには充分だと思う。


 実際、先生の言った事は私の悩みの真ん中を容赦なく撃ち抜いてくれた訳だし、ね。

 私の危機察知能力も捨てたもんじゃ無いかも? なんて考えが一瞬過ったのは多分現実逃避って奴なんだろうけどさ。


「次の課題は“自らの武器を【錬成】する事だ”――出来るな?」

「出来ない、と言わせても下さいませんのに。――分かりましたわ」


 多分私は隠さず苦笑していると思う。

 私はこの課題の裏にもなんとなく気づいた。

 この課題を熟す事で本当に私が乗り越えないといけないモノにも。


 先生も私の暗澹たる気持ちに気づき、この課題をだしたんだろう。

 もしかしたら原因も……。


「(いや、それは無い、か。分かるはずがない。……だって悩みの元凶は、私に『前世』がある事が根底にあるんだから)」


 だからこそその事を話していない先生に分かるはずはない。

 それでも近しい処まで推測されてそうな事に苦笑しか出来ないのだけれど。


「必ず課題を果たしてみせますわ」

 ――必ず悩みを解消して見せます。どれだけ時間が掛かっても。


 私はもう一つの決意を滲ませ先生方に深々と一礼したのだった。

 ……まぁシュティン先生は其処まで待ってくれるかどうかは分からないんだけどね?



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