白銀の世界で、君を想う
東洋 夏
第1話 完全世界
私はいつも考えている。
残酷なことで快楽を得るというのは、どんな神経の成せるわざなのかと。
<完全世界>に関わるようになってから、私はずっとその疑問を飲み下せずにいる。
背中を預けるとキャスター付きのデスクチェアが、ギッ、と素っ気ない警告音を発した。
そんなに太ったか?
「ああこれが最後なんですね」
私の横からモニターを覗き込んだ後輩が、コーヒーカップを片手に言った。
湯気をふうふうと吹き散らしている。
「気持ちいいもんじゃないな」
「そうですか?」
「生き死にを見世物にするのは苦手だよ」
ちらつく画面の向こう側では、真っ白な砂漠を彷徨う一個小隊が、今しも餓死しようとしている。
最新鋭の銃器がだらんと彼らの手から垂れていた。
コーヒーカップに薄い唇をつけた後輩は、丸い目を猫のように丸くする。
「でも先輩、古代ローマとかあの辺りから生き死には娯楽でしょう。もっと前からかも。とにかく人間はより弱いものをいじめたい」
「で、強いものを見下したい」
「そう。パーフェクトな主人公はありとあらゆる悪を片手で倒しちゃう。そこに自己投影する。気持ちよくなる。お手軽ですね。誰も正義の主人公を責めないし。あ、先輩」
後輩が開いた右手で画面を指さす。
私が向き直ると、砂漠の兵士たちは半狂乱で銃を乱射していた。
何もない空間に向かって。
やがて弾が尽きると彼らはひとりずつ膝を折り、そして、ノイズになって消えた。
ゲームオーバー、パーフェクトキル。
モニターに湧き上がる文字列。
笑う者、泣く者、喝采する者、嘲笑する者、意味不明の言語の羅列を放り込む者。
弾幕と言うのだったか。
私はそれを見ながら、囁かれる声に耳を傾けている。
「白銀砂漠無双じゃね、か」
「誰も攻略できない砂漠の<完全世界>。カッコいいじゃないですか」
「で、この一戦を終えて本当に攻略不能になったわけだ」
動画の再生を止めて、私はモニターの電源を落とした。
「原因、分かりました?」
「いいや。現地に行かなきゃダメだろう。準備してくれ」
「まっかせといてください! あー、楽しみ」
「そうか?」
「だって超有名人のお宅訪問ですよ」
しかし、その超有名人はいないけどな、と私は思う。
白銀のロレンス。
本名、クック・ネイサン。
二十五歳男性。
本籍は北米、出生地はコスタリカ。
進化系テラリウム<完全世界>の若い育成者の界隈では並ぶもの無き名声を誇り、その評判の湧き出る泉こそは――いや、泉というのは不適当だろう。
私は自分の頭の中の声に訂正を求める。
何故ならロレンスの製作した<完全世界>のタイトルは白銀砂漠。
生命を寄せ付けない不毛の地なのだから。
この頃、開発者の意図せざる用途に<完全世界>は使用されていた。
彼我の<完全世界>を混ぜ合わせて、どちらが生き残るかを競うというおぞましい用途に。
「先輩、タクシーあと十五分で来るそうです」
わかったありがとう、と言って私は立ち上がった。
×
<完全世界>とは何か。
この業界に入らずとも、今や全人類が常識のように知っている。
それはひとつの世界を丸ごと再現したテラリウムだ。
持ち主の手入れ次第で内容が変わる。
生態系すら再現される。
複数のメーカーから栽培キットが販売されているが、ロレンスの使っていた<完全世界>はタイのセン・チャオプラヤー社製で<Rice>というシリーズのもの。
<Rice>はその名の通り米粒型をしている。
縦長のインディカ(これは空のスペースを沢山取りたい場合に向く)と、ずんぐりしたジャポニカ(大地を広くしたい場合はこちらを選ぶ)が展開されており、ロレンスのものはジャポニカ型だった。
<Rice>は本物の米と同じようにまず籾殻を取り除き、世界に光を与えるところから栽培がスタートする。
その神秘的なイマジネーションは、それまであったボール型やドーム型の<完全世界>テラリウムとは一線を画し、全世界で一大ブームを巻き起こしていた。
もうひとつ面白い仕掛けとしては、遺伝子交雑と呼ばれているシステムがある。
ふたつの<Rice>の頭頂部にあるポートを専用ケーブルで繋ぐと、世界が混ざるのだ。
ロレンスが作った白銀砂漠という名の<完全世界>は、異端だった。
彼はそこに何の生命も生み出さなかったのである。
どころか、すべての存在を拒絶するための仕掛けを施した。
砂漠の栽培方法は不明。
ロレンスは動画サイトでこう発信する。
「この砂漠の端に、大いなる存在がいる。あなたの<完全世界>の住人がその神の切れ端でも持って帰れたら、僕はあなたに百万ドル払うよ」
そして百万ドル分の紙幣が詰まったブリーフケースを画面の向こうでかちゃりと開けた。
その様にして、ロレンスは時の人になったのである。
セン・チャオプラヤー社は<Rice>の世界的ヒットによって一躍大企業に昇りつめたわけだが、その勢いに拍車をかけたのがロレンス作品であったことは間違いない。
白銀砂漠の神に辿り着いたものは、まだ誰もいなかった。
×
「ほ」
と、後輩は間の抜けた声を上げてエレベーターの外を眺めている。
確かにブルックリンの建物がどんどん目の下に過ぎ去っていくのは新鮮だ。
最近出来たばかりの高層マンションに、件のロレンスは住んでいる。
――住んでいた。
私は依頼内容を復習する。
依頼主は警察。
ロレンスの友人(ネット上の)たちから、ロレンスが行方不明になったという通報があった。
その根拠としてはネット上に彼が現れないから。
誠に薄い情報である。
が、このご時世ではリアルな交友関係を持たず、家族とも縁の切れた若者など幾らでもいるので、ネット上に気配が感じられなくなったというのも警察では行方不明者情報として取り扱わなければならない。
そのような理由で警察が訪問したところロレンスの部屋は完全に無人だった。
空調だけが動いていて、水道とガスは一カ月前に未払いで止められている。
管理会社はロレンスから半年分の家賃を前納されていたので疑問にも思っていなかったという。
今回は<完全世界>の有名人という事で、うちの会社にも協力要請が来た。
私たち。
すなわち、廃棄テラリウム処理士のことである。
地上五十五階のフロアについてエレベーターを降りると、女性警官が立っていた。
私よりも背が高く、腰回りは二倍くらいありそう。
「あら、テラリウムの人?」
「はい。私がブルーポイント社の主任処理士、こちらが助手です」
私は警官に名刺を手渡す。
彼女はほとんど見もせずにそれをポケットに捻じ込んだ。
シナモンの香りが警官の手の動きに合わせて廊下に広がる。
「ビー・ビー・ドーナッツの新作!」
唐突に私の後ろから後輩が叫んだ。
「当たり!」
私の前から警官がサムズアップして答える。
「お仕事に疲れたときは糖分が要るでしょ? あたしの現場にはいつもドーナツを持ってこさせるのよ」
「申し訳ありませんが」
私は口笛を噴いた後輩を睨んでから、警官に向き直った。
「わが社では勤務中の差し入れはお受け取りできません」
「あらあ」
大げさに腕を広げて警官は笑う。
「差し入れじゃないわよ、あたしがメインに食べるんだもの。おすそ分けは賄賂じゃないわ」
「ですって、先輩!」
「あのさ」
私は跳び上がらんばかりに喜んでいる後輩をじっとりと見た。
「ふたりとも甘いもの好きそうな顔してるじゃない。作業する部屋に持って行ってあげるから、遠慮なく食べなさい」
後輩はキラキラした目で私を見返す。
それから警官に視線を移して、
「ありがとうございます。でも、先輩には与えすぎちゃいけないんです」
「あら、どうして?」
「ちょっと最近体重が増えててですね」
私は口を挟んだ。
「なんで知ってるわけ」
「えっ、入退室管理システムで先輩の体重もモニタリングするようにしといたからです」
「こわっ」
「体重に合わせて椅子も変えてるんですよ。気づいてないと思いますけど!」
「気づきたくなかったよ!」
警官は朗らかに笑っている。
案内されたロレンスの部屋は綺麗だった。
壁紙は単調な無地のもの、家具は最低限。
<完全世界>の乗った机以外にめぼしいものはない。
動画の背景そのままだ。
「何も動かしてないわ」
ドーナツ警官は半ダースのドーナツが入った箱をサイドテーブルに置く。
「あたしもロレンスの動画は見たの。ぞっとした。気をつけなさいね」
私と後輩は神妙にお礼を言った。
警官はグッドラックと手を振って、部屋の外に出る。
防音性の高い部屋の中には沈黙だけが落ちていた。
「さて」
私はバックパックを降ろして、処理用の基本キットを取り出す。
その間に後輩はカメラを構えて全方向からロレンスの<完全世界>の外観を撮影していた。
「傷は?」
「無いです。気になるのはくもりがあるってこと」
「ふむ」
「反応を確認します」
「頼むよ」
私は右肩の生体クリップを外す。
ごりごりと骨の軋む音と共に、腕が体から分離した。
思わず顔をしかめる。
何度やっても、慣れない。
私が機械であることを認識する瞬間は。
肩の断面にあるポートに私の専用ケーブルを接続し、<完全世界>のコネクタへつなぐ。
「水蒸気」
後輩が計測器の数値を見ながら言った。
「生物が住めるようには思えないけどね」
「神、じゃないですか」
「見なきゃわからないな」
そして私は<完全世界>とつながる。
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