それぞれの、える・おー・ぶい・いー
第41話:Self-pity
詩雨を置いて帰るのは心配だったが、暉隆とルーシーが面倒を見ると言ってくれたのでそれを信じて俺は車に乗り込んだ。親父が反対側のドアから乗り込み、前の運転席にはたぐたぐが座った。
何しろ親父は美の追究にしか興味がないもんで、この車も普通に普段母が使っているいまいちデザインのさえない軽自動車だ。変なところで庶民派なんだよな、この人。
「てるるん、初恋の件はおうちに帰ってからにしよう。さっき嫌われたとか言ってたけど、言い方が気になった」
「え……、親父、人の傷に塩どころかタバスコ注入するような真似すんのかよ」
「違う。俺は釈然としない。でも俺は移動中に重要な話はしたくない。だからおうちで話そう」
「……分かったよ」
ほぼ無言で車は進み、俺は親父にこのことをどう伝えるかを軽く考えてみた。軽く? 分からない。ずっと考えていたような気もするし、まったく考えていなかったかもしれない。
詩日さん。
俺は諦めが悪いのだろうか。胸中でその名前を唱えるだけで、やはり俺の鼓動は早くなるし、みぞおちの上があたたかくなるように感じる。
「沙智代さーん! ただいまー! てるるん連れて帰って来ちゃったー!!」
「あ、まーくん! おかえりぃ〜、輝もおかえりぃ〜」
……この二人が揃うと、一気にこの建物内の精神年齢が下がる気がする。
俺はハイタッチを続けている両親を尻目に階段を登った。
「たぐたぐ、俺はここでいいよ。例の新人の方行ったら?」
「そうだな。でもみちる、頼むから移動したりする時はちゃんと連絡してくれ。おまえがいくら美しかろうと、スケジュールを守らないと俺は動けないし、即ちおまえの美は誰にも届かない」
「言うねぇ。いいよ、郷に入っては何とやらだ」
「おまえこの郷の出身だろ……」
たぐたぐは小声でツッコミを入れながら振り返って出て行った。
俺は自室に戻って私服に着替え、どうしたもんか、と階下に降りた。
リヴィングに入ると、母の姿はなく、親父がソファに腰かけて台本と思われる冊子に目を落としていた。
「親父、母さんは?」
「なんか、近所の誰々さんとお茶してくるって」
……やっぱり分からないな、我が母。数ヶ月ぶりに会った親父を四分で放置か。
「まあ、おかげでてるるんの話をちゃんと聞けるようになった」
親父が台本を脇に置き、正面の一人掛けのソファに座るよう促した。
「何があった?」
「……色々。俺、自分があんな人間だなんて知らなかった」
「おい、随分深刻な顔で言うな。詩日さんに何かしたのか?」
「……ベロチューと壁ドン」
親父が眼を見開く。
「まあ、両方とも向こうのペースに巻き込まれた、っていうと言い訳みたいだけど実際そんな感じで、詩雨の協力で詩日さんと二人で英会話レッスンできるようになって、詩日さんが”th”の発音について聞いてきて、そんで、そんで……。詩日さんにこう、顔を近づけられて、気づいたら俺、その……キスしてて、しかも舌で”th”の時に舌を置く位置を教えて……」
「そりゃちょっとドン引きするな」
「違うんだよ! 詩日さんはその後も平然としてて、なんつーか、ディープキスの存在意義が泣くほど通常モードで、引き続きレッスンを頼まれて……」
親父が眉間にしわを寄せる。
「キスした直後の反応はどうだったの?」
「よく理解できた、ありがとう、とか」
「その子、頭大丈夫か?」
「正直分からん。でもよく『減るもんじゃない』って言う」
「で、壁ドンはその後なの? 順序的には逆だけど」
俺はあの狭いカラオケルームを思い出して、頬が熱くなるのを感じた。
「凄く狭いカラオケ部屋でレッスンしてる時、向こうから壁ドンしてきて、前々から壁ドンをしてみたかった、と。で、俺が男女逆ですよと言うと、じゃあしてくれって言われて……」
親父は少し呆れ顔だったが、その後赤子がはいはいしているのを眺めるかのような穏やかな顔をした。相変わらずの女神顔だ。
「それで、なんでてるるんの中ではそれ以降失恋ってことになってんの?」
「……ん、壁ドンしたら離したくなくなって、ずっと至近距離だったんだけど、結局詩日さんが脱出してそのまま帰っちゃって……」
「うん……で?」
「え?」
「え? えって、その先は?」
「い、いや、何もない」
「はい?」
親父は少々女性寄りのノリに変化した。
「てるるん、ちゃんと好きだって言ってごめんなさいって言われたんじゃないの?」
「そ、そんなことできるわけねーよ! 詩雨が言うに、その後様子が変だったらしいし、あんなに逃げ出すように帰っちゃったから、俺のこと嫌いになっただろうなって……」
「はぁ?!」
親父はソファから転げ落ちそうになっていた。
「ちょっと待ちなさいよ、てるるん! それって完全にあなたの思い込みじゃないの?! 告白して玉砕なら分かるけど、今のてるるんは、嫌われたと思い込んでチャンスを見逃してる状態よ! あ、すまん、次女性役だから女性言葉になった」
よくあることなので俺はスルーして続けた。
「チャンスを見逃してるって、どういう意味?」
「うーん、詩雨くんに詳細を聞くべきだったな。パパが思うに、詩日さんは恥ずかしくなって帰っちゃったんじゃないかな」
「マジか。ベロチューしても平然としてた人が壁ドンで恥じるか?」
「そのキスをした時と、壁ドンまでの間に、詩日さんの心境に変化があったら反応は当然変わる」
た、確かに一理ある。だけど……。
「でもだからって、今更好きですなんて言えない気がする。今、仮に思い込みだとしても失恋気分なわけで、五臓六腑がボロ雑巾なんだよ。これでダメ押し的に本当にフラれたら、俺……」
思わず涙ぐむと、親父がソファから立ち上がって一歩前に出た。
かと思えば、俺は親父の台本を丸めたもので頭からぶん殴られていた。
「な、何すんだよ!!」
「阿呆かおまえ」
今度はまずいムードになった。親父が男性のヒール役を演じる時の目つきの悪さとドスの利いた声だ。即ち、限りなくマジギレに近い。
「てめえでてめえの心情を、本音をぶつけもしねーで敵前逃亡とか、マジ軟弱な。金玉付いてんのか? 痛みを味わえ。それが恋愛の醍醐味ってもんだ。それに俺は、てめえの気持ちを自己防衛のために隠すような奴の親じゃねえ」
俺が呆然としていると、親父はスマホを取り出した。
「もしもし? たぐたぐ、今やってる仕事全部投げて戻ってきて。てるるんを想い人の所まで送ってやって欲しい」
「はぁ?! 何勝手に……」
「黙れガキ。見ててうぜーんだよ、この自己憐憫大好き童貞が」
……お、親父……流石にそれは結構こたえるぞ……。
そんで、みたび言いたい。俺に選択肢はないのか、と。
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