第40話:撃退、一身上の都合で早退

「オーゥ! ミーチールー!!」

 親父の美しさに凍り付いていた廊下は、リチャード・ダンスタンによってその沈黙から救済された。


『相変わらず綺麗だなぁ。でも見ろよミチル、ルーシーはあんなにビューティフルに成長した!』


 リチャードがそう言うと、親父は暉隆に羽交い締めにされているルーシーを一瞥して、ひとことだけ言った。


『俺未満だな』


『ハッハー! おまえのそういうところが俺は好きなんだよ!』

『どうでもいい。なんでここにいる? 輝に用があるならアポ取って事務所かウチに連絡を入れろよ』

『いや……、俺はおまえとの約束を果たそうとしてここに来たんだ。ちょっとその……手違いはあったが……』

『約束? 手違い? 何の話だ?』

 親父がそう返すと、リッチーはまたガハハと笑って続けた。

『ルーシーと輝を結婚させようって昔約束したじゃないか! どのみちルーシーはこのハイスクールに転入するしな』


『あ? なんで俺の愛しのてるるんがおまえの娘と結婚しなきゃいけないんだ?』


 リッチーは長身で細マッチョな全身で以てじたばたしたが、何しろ身体が大きいのでそのまま廊下を破壊しそうにすら見えた。


『忘れたとは言わせないぞ? 俺が提案したらおまえはイエスと言ったじゃないか!』


 親父はしばし黙り、腕を組んで細長い指を唇にあてた。


「てるるん、俺、そんな約束した?」

「俺が知るかよ!」

 親父はぶっ倒れまくっている生徒たちを見、詩雨の方へ近づこうとしても暉隆に止められているルーシーを見遣る。


「うん、事情は大体分かった」


 適当なように見えて、この親父は本当に分かるからすげえと思う。


『リッチー、俺はその約束を覚えてないが、どうやら違う形で話がまとまりそうじゃないか。ルーシーはあの鼻血を出している生徒に向かってるし、てるるんにはちゃんと想い人がいる。親同士のエゴで結婚を決めるなんて何世紀前の話だよ』


『それは……』


 ルーシーが詩雨に真実の愛を感じた、という現実を受け入れたのか、リッチーはふぅと息を吐いた。


『Alright, 確かに親のエゴだった。子供たちにも相手を選ぶ権利がある。ただし、輝にはここに転入するルーシーの友達になってやって欲しい。これは俺のエゴでもあるが、異国に娘を行かせる親として最低限の懇願だ』


「だって。てるるん、友達になる?」

「それくらいならまったく問題ないよ。それより詩雨の安否が気になる」

「例の子か。あ、暉隆くん、久しぶり〜、相変わらずかっこいいね」

「恐縮です」

「で、ルーシー、きみはあそこで鼻血を出している小柄な男の子のことを好きになったのかな?」

「みちるさん、私は……、あの子を輝だと思い込んで……間違えたのは事実です。でも今は、あのキュートな男の子のことをもっと知って仲良くなりたいと思っています」

「おっけい。詩雨くんに意識はあるかな?」

 俺は別の女子生徒に介抱されていた詩雨のもとに駆け寄った。

「詩雨! 聞こえるか? 返事しろ!!」

「……て、るくん……? なんか僕、頭が沸騰したような気がする」

「むべなるかな、だな。今話せるか? 親父がここにいる」

 俺がそう言うと、詩雨は一気に身を起こした。

「輝くんのお父さんが?!」

「は〜い、てるるんのパパの暁みちるだよ〜初めまして〜」

 詩雨の鼻血は止まっていたが、今度は硬直してしまった。

「詩雨?」

「……輝くん、こんなに美しい人が身近にいて、それでなんであんな変な生物に惹かれたんだよ……」

 俺は苦笑してしまった。

 そして思わず言う。

「詩日さんの話、もういいんだ。失恋っていう線が濃厚。嫌われたみたい、俺」

「はぁぁ!?」

 詩雨が珍しく大声を出した。すると親父が割って入ってきた。

「ここじゃ人が多いし学校側に迷惑をかける。てるるん、二人で移動しよう。リッチーは俺が説得する」

「ついでに教師にも早退するって伝えてくれ」

 親父が頷いて階段の方へ歩き出すと、かろうじて意識を取り戻した白鳥が声をあげた。


「あ、暁みちる様! 俺は、貴方のように美しい人間になりたいんです!」


 すると親父はすっと白鳥を一瞥し、低めの声で言った。


「誰かを目標やロールモデルにしない方がいい。それに悪いけど、きみは俺の美には到達できないよ。俺の真似ではなく、自分自身の道を歩くんだね」


「は、はいっ!!」


『というわけでリッチー、俺は愛しの息子を連れて帰る。ルーシーが本当に転入するならおまえもホテルに帰ればいい。ビジネスの話はあるから、追々連絡するよ』

 

 リチャード・ダンスタンは無言で首肯し、もうひとりの黒いスーツの男と共に階段へ向かった。


「てるるん、帰るよ。たぐたぐ、車回して」

 

 究極にフリーダムなこの親父に、俺は逆らえない。

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