#5
前田の葬式が終わった頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。佐伯は夜道の運転を避けたいということで、今日はY町の民宿に泊まることになっている。斎場があの様子だったので少々身構えていたが、少なくとも見た目は普通の民宿だった。それでも、ちょっとした置物や布地など、ところどころにあの鳥よけ模様の意匠が施されている。
「佑香さん、大丈夫? お葬式のとき、何だかびっくりしたような顔をしていたみたいだけれど……」
二年生の男子、遠野がおずおずと声をかけてきたのは遅い夕食のあとだった。風呂に行かなければならないが、葬式での出来事が忘れられず、廊下で躊躇っていたところだ。
「大丈夫……ちょっと目の錯覚というか。ほら、この町って、そこら中に鳥よけみたいな……目玉みたいなマークがあるでしょ? それで変に目を意識してしまったんだと思います」
そう伝えると、遠野は何度も頷いた。
「遠野さんは、このサークルは二年目じゃないんですか? 時々こちらには、それこそボランティア活動で来ていると聞いていましたけれど」
そういえば、遠野のことはサークル活動でもあまり見たことがない。
「うーん、実は僕も正式に入ったのは先月なんだ。元々は運動系の部活をやってて、時々手伝うくらいだったのだけれど、急に前田から形だけでも入部してほしいと言われてさ。大学の認可のために最低人数が必要とか、そういう理由だと思って。前田のことは高校から知っていたし」
「そうなんですね。何なんでしょう、この目玉マーク」
「土着の信仰……みたいなものかもしれないね。この辺りは割と山奥だし、そんな話が古くからあってもおかしくないのかも」
二人ともこの町の知識に乏しいので、なかなか話が広がらない。やがて風呂から上がったらしい佐伯が廊下の奥に見えたので、私はそそくさと風呂に向かうことにした。
——あなたが選ばれたのね。
あの言葉が頭から離れない。あれさえなければ私は日中の出来事を見間違いだと自分に言い聞かせることもできただろうに。
小さな町の民宿の割には風呂はそれなりに広かったけれど、私の他には誰もいなかった。鏡の前に座り、シャワーでまずは髪を流す。
——私が、選ばれた?
——何に?
その疑問と、あの光景が脳裏に何度も浮かんでは消えていく。そして見かけるたびに目の奥に刷り込まれていくあの目、目、目。
そういえば、葬式でも弔問客は死者を見つめるような儀式をしていた。何か見るという行為や目玉というモチーフに随分とこだわりの強い宗教なのだろうか。サークル活動自体は楽しく、他の部員とも高校時代までに味わったことのない種類の連帯感や仲間意識を感じられていたので不問にしていたけれど、改めてとんでもない集団に関わってしまったという後悔の念が襲ってきた。
辞めよう。ちょっとここの人達は、異質だ。
「辞めないよね?」
心臓が跳ね上がる。聞き覚えのある声。シャワーの音がうるさくて、どこから聞こえてきたのかが判然としない。目を開けようとしたら泡が入ってきて目に痛い。慌てて手で泡を拭いながら振り返る。
目と鼻の先に、こちらを見つめる佐伯の顔があった。
深い穴のような黒目に吸い込まれそうになり、ひっ、と思わず声が出てしまう。
「さ、佐伯さん……? もうお風呂から上がったんじゃ……?」
私がいうと、佐伯の顔に生気が戻る。
「ええ。ごめんなさい、ちょっと心配になったものだから。逆に驚かせてしまったみたいね。そうそう、町の人が話したいことがあるそうだから、明日の朝に少し時間をちょうだいね。おやすみなさい」
そう言って、彼女は踵を返して行ってしまった。
私の心臓はまだペースが戻らない。
——彼女はいつから私の後ろにいたのだろう。
そんなことを考えると、もう一度大きな身震いがした。
急いで風呂から上がり、一通りの身支度を済ませ、女子部屋の布団に潜り込む。費用の関係もあり、今回は相部屋で予約していたので、佐伯と一晩を共にしなければならない。襖を開けるときにも緊張で手が震えたけれど、幸い佐伯はまだ戻っていなかった。何をしているのか知らないけれど、今のうちに眠ってしまおう。他の女子が何事か話しかけてきたけれど、体調がすぐれないのだと言い訳をして頭まで布団を引き上げた。
……その夜ほど、夢見の悪かった眠りはこれまで体験したことがない。
私は仰向けに寝そべっている。私の視界を上下左右で区切っている枠のようなものが、棺桶の縁であることは誰に言われなくてもわかっている。昨日、別の視点から見たものだったから。その私を、たくさんの黒い影が覗き込んでいる。顔は影になっていてわからない。服装も黒ずくめなのか判別できない。ただ両目だけが、くすんだ白目と空洞のような黒目だけが、ぎょろぎょろと私を見つめている。正確な感情は読み取れないけれど、大きな怖れと、それに隠れて見下すような気配が感じられる。迷惑そうな。脅されているかのような。体は全く動かせない。恐ろしい状況のはずなのに、心のどこかで、これだけ見られていることに対して受け入れるような感覚がある。いや、むしろ……喜んでいる?
やがて見知った顔が浮かぶ。前田。死んでしまった前田。彼は申し訳なさそうな顔をして遠ざかってゆく。
そして最後に、佐伯の顔が覗き込んでくる。どんどん顔が近づいてくる。息遣いが感じられないのがかえって不気味だ。でも私は目を背けることすら許されない。やがて佐伯の顔が徐々に歪む。頬骨の形が少しずつ変わり、目がジワリと釣り上がり、唇が薄く引き伸ばされ、目が大きく見開かれる。
「私が選んだの」
声が聞こえる。
「だからあなたは辞めてはいけない」
声が聞こえる。
見られている。
翌朝、日の昇らないうちに一人で民宿を出た。息も絶え絶えになりつつ町外れまでたどり着くと、奇跡的に通りがかったタクシーを捕まえ、最寄りの駅まで長い距離を走ってもらった。
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