【完結】烏の濡れ羽色と、虚構
空廼紡
前編
「フィア、この子は将来お前の家族になる子だよ」
そう言って紹介されたのは、父親の後ろに隠れている、私と同じくらいの男の子だった。お互い、五歳のときだった。
言葉を選んでいるみたいだけど、父様。それだと義理の兄弟になるとも取れるから、正直に結婚する人だよ、と言っておくれ。
そう思いながら、父親の後ろに隠れている黒髪の男の子を見つめた。 その子はとても怯えていた。父親に挨拶を促されても、頑なに唇を閉ざしていた。
「すまない、お嬢さん。この子は人見知りで」
父親が申し訳なさそうに、息子を庇う。私は首を横に振って、その子の髪を食い入るように見つめた。
失礼なのは分かっているけれど、私の胸は高鳴っていた。
私は興奮していた。子供というのは、興奮に忠実な生き物なもので、抑えることなく声を張り上げてしまった。
「すごーい! からすのぬればいろだー! きれい!」
その子が驚いた様子で、私に視線を向けた。初めて目が合ったその色は、とても澄んだ翡翠色だったと、今でも覚えている。
私こと、フィリアーレ・セレストラルは前世の記憶がある。ここではない別の世界の日本っていう世界に住んでいた記憶だ。
ありふれた一般家庭の生まれで以下中略。今では関係のない話だ。
思い出したのは四歳の頃。まあ、そこら辺も中略。ありふれた話だ。
要約すると、私は上手く取り繕って、両親や周りの人にこれといって敬遠されることなく、普通に愛されて育てられました。ちょっと達観しているなって思われている程度。
前世は一般家庭だった私だけど、今世は貴族。なので、政略結婚をすることになりました。その相手が、ベルトナール・ペルシリア君。
とはいっても、お互いの利益もそこそこに、信頼できる友人の子供に任したら安心だろう、と妥協した結果みたいです。
これには理由があります。ベルトナール君……私はナルと呼んでいるから以後ナルに統一で。
ナルは侯爵家の跡取り息子で、見た目は母親に似て美少年。しかもお金がある。優良物件なのに、女の子は彼に言い寄らない。
何故ならばナルが黒髪だから。理由はこれだけ。だけど、それが最大の謂わば問題だったわけだ。
私からすれば慣れ親しんでいる髪の色だけど、この国の人にとってはそうではない。
何故かというと、黒髪は滅多に生まれないうえ、歴史に残る大悪党が大体黒髪だから、黒髪は忌み嫌われている。黒髪が大悪党になる原因って、そういう悪習のせいだと私は思うけど。
黒髪だけど、ナルの両親はナルのことを愛しているので、できるだけ息子が傷付かないよう、信頼できる友人、つまり父様の娘である私との婚姻を結ばせようとしたのだ。
男の子だし、結婚しなくても一人で生きていけるのでは? と思ったけど、貴族では男女とも結婚していない人は肩身が狭いのだという。この国の貴族って面倒くさいね。
そういう理由もあって、今に至る。
今の私たちは、国の学園に通っている。国一番の教育機関で、有能であれば平民でも入れる学校だ。ただし、有能でなければ貴族でも入学できないというヘビーな面もあって、貴族たちはこぞって自分の子供をここに入れさせよう躍起になったりもする。ここに入学したってことは、なにかが秀でているってことだから、ステータスになるのだ。
「フィー!」
親しい声がして振り返る。そこには十七歳に成長した婚約者ことナルがいた。嬉しそうに駆け寄ってくる姿が、大型犬みたいで可愛い。一房の黒髪が尻尾に見えてきて、笑みを深めた。
ナルは美少年から美青年に変わりました。黒髪のせいで交友関係は狭いけれど、その分深いらしい。うんうん、いいことだ。
「ナル、貴族の子息がそんなに走るものじゃないわよ」
「ごめん。フィーを見かけたらつい」
「しょうがないわね」
可愛いから許してあげる私は、とことん甘いなと思う。
顔を合わせた日から、私とナルはとても仲良しだ。周りの心のない言葉に人間不信になって、私とも距離を置きたかったみたいだけど、私がまさしく烏の濡れ羽色の言葉に相応しい黒髪をベタ褒めし、さらに翡翠のような目のこともベタ惚れしたら、懐いてくれた。いや、同い年の子に言う言葉じゃないけれど、その表現が一番しっくりくる。だって、親鳥の後ろを歩く雛みたいだったんだもん。可愛い。
烏の濡れ羽色とは、つまり烏が雨に濡れているときの毛のことだ。前世、一度だけ見たことあるんだけど、本当に艶があって黒髪なのに、光に反射すると白銀になって輝いていたの。あれは目を奪われた。
以降、烏の濡れ羽色は私の憧れの色になった。だから、その烏の濡れ羽色と同じ色を持っているナルのことが大好きになった。あ、ちゃんと中身も好きよ? 本当よ?
身分と金を重視して黒髪と婚約した卑しい女、って陰口を言われたときにナルが、坊主頭になるって言い出したとき必死に止めたけど、あれは黒髪が好きだったわけじゃなくて、ナルが好きだったから止めたのよ。本当だからね!
「フィー。これからどこに行くの?」
「図書館にこれを返しに行くところだったの」
抱えている本を数冊見せる。
「フィーは本が好きだね。冒険物?」
「ええ。今回の本はね、宝石がたくさん出てくるから、宝石の図鑑も借りていたの」
「ねえ、僕も一緒に行ってもいい?」
「いいわよ」
承諾すると、ナルが嬉しそうに私の横に引っ付いた。
「本、持とうか?」
「それじゃあ半分お願いね」
私が持っている本は五冊。ナルは三冊を持ってくれた。
前にお言葉に甘えて全部持ってもらったら、扱き使っているとか陰で言われたから、それ以降はこうして半分こにしてもらっている。本人は全部持ちたいみたいだけど、我慢してもらう。私のことを悪く言うのはともかく、ナルのことを召し使い呼ばわりするのはすごいムカつくから。
「本、面白かった?」
「キャラはまあまあだったけど、設定と風景の描写が良かったわ」
「フィーってキャラ重視だったよね?」
「それすらも補える設定と描写だったの。ナルも読んでみる?」
「僕はいいや。フィーの話が一番面白くてワクワクするから」
ナルがふわりと微笑む。
私の話、というのは前世の話である。
まだ出会って間もない頃、黒髪に怯えない私にナルが「僕のこと、こわくないの?」と訊いてきた。私は二人だけの秘密っていうことで、前世の話をした。
私には別の女性の記憶があること。それはこことは違う世界で、私が住んでいた国は黒髪が普通だったこと。烏の濡れ羽色も前世の言葉だったこと。そのとき、烏の濡れ羽色のことについても説明した。
私の話を信じてくれたナルは、前世の話をせがむようになった。きっと憧れを抱いていたんだろう。ナルにとって、黒髪が普通な世界はこの世界に比べたら、生きやすい世界だから。
小さい頃は会う度にせがんできたけど、今はそんなことはない。たまに前世の私のエピソードをまた訊きたいっていうことくらいだ。
(多分、腹を括ったんだろうなぁ)
どれだけ望んだって、あちらの世界に行くことは叶わない。この世界で生きていくしかない。だから腹を括って、この世界と向き合うようになったんだろう。
成長したなぁって感動もするけれど、ちょっと寂しい。でも、前世の話をするときに浮かべていたキラキラした目の中にあった、羨望の眼差しを思い出すたびにこれでいいとも思うのだ。あの眼差しを感じるたびに胸が締め付けられたから。
近道だから、と中庭の横を通り抜けようとしたとき、珍しい髪の色が見えて立ち止まった。
「あら?」
「どうかした?」
ナルも合わせて立ち止まってくれた。
中庭に一人の少女と、少年が談笑している。
一人はピンク色の髪の子で、もう一人は金髪だ。
金髪は珍しくないけど、ピンク色って珍しいなぁ。
「あれって、たしか殿下だよね」
「え? ……あ、本当だわ」
金髪の少年は確かに第二殿下だった。名前は……たしかクーリン王子だったかしら?
「あの女の子は見たことないね。噂の編入生かな?」
「そういえば、そういう話があったわね」
最近、どっかの男爵の庶子が学園に編入したっていうのは聞いたことがある。庶子が入学してくるのは、珍しいことだけど気にするほどではない。今回噂になった理由は、その子がけっこう良い見た目をしているからとかなんとか。
「たしかに見た目はいいわね。というか、第二殿下って婚約者がいたわよね? 二人っきりで話していて大丈夫なのかしら?」
「大丈夫じゃないんじゃない?」
「そうよね」
中庭で談笑だなんて、不貞を堂々としているってことよね。たしか第二殿下の婚約者って、とっても有能でこれといった名産がなかった領地に、数多くの名産品を作ったという侯爵家の長女様ではなかったかしら? しかも当主に溺愛されているし、殿下は婿養子の予定だって聞いたことが。
「ん?」
なんかこの展開、聞いたことがあるわ。いつどこで聞いたのかしら? 最近? いや、違うわ。五年くらい前? いいえ。小さい頃? そんな最近のことじゃない。もっと、昔に。
「んんんん?」
前世? 日本? アホ王子? 断罪?
連想ゲームでだんだんと思い出してきた。
(あ、これ、ライトノベルで人気だった、悪役令嬢の展開だわ)
悪役令嬢。乙女ゲームでヒロインを苛めてざまぁされる悪役令嬢の奮闘劇、小説でそんなジャンルがあった。たくさんあった小説の中の一つの世界なのか、ここ。
そういえば、暇潰しに悪役令嬢の小説を読んだことが一時的あったけど、そんな設定のやつあったな。そういえば、ナルと似たような名前があったような。
で、ネット小説って黒髪は忌み嫌われていて的な設定が多かったような。
つまり、ナルはヒーローか攻略対象で、攻略対象だったら逆ハー要員となる設定ってこと?
そういう小説のざまぁ要員って「ヒロインが私を救ってくれた」とかなんとかで後先考えずに恋に酔いきって、ざまぁされるんだっけ?
もしかしたら、ナルざまぁされる?
「どうしたの?」
不思議そうな顔をしたナルが私の顔を覗き込む。
(まあ、それはないか)
もしそうなら、今頃捨てられている可能性があるし、ナルがそんなことするわけない。
設定的なことを考えると、黒髪に対してコンプレックスを抱いているナルがヒロインによってそのコンプレックスを克服するっていう流れだと思う。でも今のナルは、コンプレックスを抱いていない。私が褒めて褒め尽くしたからね。そんな隙はない。
「呆れていただけよ」
「たしかに呆れるよね。それよりも図書室に行こう」
「そうね」
二人から視線を外して、図書館に向かった。
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