夢ゾンビ牧場

五三六P・二四三・渡

一夜

 僕は尿意を感じたために、ベッドから起きトイレに向かうことにした。時計を見ると起きるべき時まで数時間あり、明日の学校へ睡眠は足りるだろうかと不安になる。明日は重要な試験があり、そのために存分に備えなければならなかった。しかし起きてしまったのは仕方がない。フクロウの声がどこからか聞こえた。そのまま自分の部屋の扉を開ける。

 扉を開けるとそこは踏切だった。赤と青の警告灯が、廊下を走る貨物列車を守っていた。勢いよく進む列車により、夜風が吹きすさび、僕は寒さのあまり身を強張らす。今僕が来ているのはピンク色の寝間着だ。吐く息が点滅する光に合わせてきらめいていた。

 空を見上げると何百の月が僕を見下していた。それぞれ違う色をしており、カラフルで見栄えがある。コバルトブルーの月が、レモンイエローの月を口説いていた。泥濁色の月が、明星と家族を作り、獅子座流星群と交尾をしていた。

 目の前を進む貨物列車は牧場を運んでいる、牛の牧場。四本足の鯨の牧場。子供の頃に捨てた玩具たちの牧場。それらが僕を見ながらドップラー効果の声を響かせながら通り過ぎていった。

 しかし長いな。

 この寒い夜空も合わさって、漏らしてしまいそうだ。

 もしやこれが噂の大名行列という奴なのだろうか。ならば頭を下げなければならない。


「もし」

 

 雀のような声で話しかけられた。顔を上げると、老婆が屋台を開いている。

 二種類の物を売ってるようで、片方は鯛焼きで、もう片方はすき焼きを作っていた。すき焼きからは硫黄のにおいが漂ってくる。

 そこで僕はようやく尿意と共に空腹を覚えていることに気が付いた。


「鯛焼きいらんかね」老婆は言った。

「あ、はい。ください」


 僕は財布を取り出し、お金を払う。すると老婆は鯛焼きをすき焼きの鍋に入れた。鯛焼きの生地が、砂糖醤油の海に沈んでいく。


「なんですそれ」


 僕は面食らって訪ねた。


「台湾の郷土料理だよ」

「へー」


 台湾には鯛焼きをすき焼きに入れる文化があるのか。なかなか美味しそうだ。

 老婆は次々鯛焼きを鉄なべに入れていく。醤油に浸された鯛焼きが重なっていった。

 まだまだ時間がかかりそうだなと思ってふと屋台の端を見ると、本棚が置いてあり、ご自由にお読みくださいと書かれた紙が貼られている。

 どれどれ、と僕は背表紙を眺める。そして一冊の本が目に止まる。

 岡崎隼人の新刊だ! 

 僕はメフィスト賞受賞作の中でも「少女は踊る、黒い腹の中で踊る」が一番好きだった。(二番目には「歪んだ創世記」が好きだった)新刊はあきらめていたが、二冊目が出ていたのか! こんなにうれしいことはない。


「できたよ」


 老婆が回転焼き入りの回鍋肉を差し出してきた。

 なかなかの量だ。溢れんばかりの回転焼きに眩暈がした。こんなに食べきれるだろうか。現に僕は今満腹だった。一口食べただけで嘔吐する自分の姿が想像できた。


「あの、これ持って帰ってもいいですか?」

「いいよ」

「ありがとうございます!」


 見るとちょうど踏切も上がっており、今がチャンスだ。我が家のトイレは廊下の突き当りにある。だがら列車が来ないうちに、線路を突き進まねねばならない。僕は線路に入り手に持った回鍋肉の皿を落とさないように走る。

 線路を走るという行為は当然のことながら校則で禁止されている。だが廊下の突き当りに取りれがある我が家ではそんなことは構っていられない。だから走るしかなかった。

 突然背後から遮断機の警報音が流れてくる。列車が来たのだ!

 このままではまずい。僕は列車の車輪によりミンチにされる上に、ダイヤを乱したことにより、学校でいじめられるかもしれない。それは何としても避けたかった。焦りにより、線路の枕木に足を取られる。それでも何とか転ばずに、前に進む。警報音が大きくなる。

 足を交互に前に出す。

 長い。家の廊下ってこんなに長かっただろうか。いつまで走っても、扉までたどり着けない。泥の中にいるように体が重い。水中にいるように、息ができなかった。車輪が軌条を軋ませる音が、無慈悲にも大きくなっていく。

 もうちょっとなんだ。もうちょっとで、トイレにつく。だから、神様、神様、間に合わさせて。


『お兄ちゃん』


 ふと風と共に、死んだ妹の激励が聞こえてきた。

 それと同時体が軽くなる。目の前にあった扉を開け、中に入り、扉を閉め、便座に座った。

 ため息をつく。

 中は外と違って驚くほど静かだった。

 警報機の音も、夜風が耳をかすめる音もしない。時計の針の音が、響くだけの静粛があった。


「ありがとう。夢実ゆめみ……」


 おかげで僕は漏らさずに済んだ。

 スカートの下から下着を下し、便座に座りなおす。

 そして――


「ハイストップー! はいそこまでー! 何やってんのお兄ちゃん! 撮影中だよ!」


 ――妹がトイレの扉を蹴破り入ってきた。



「いやいや撮影中って言ったよね? 何トイレ入ってんの? 話言聞いてた?」

「いや、夢実……?」僕は戸惑いながらも答える「なんでトイレ使用中に、入ってきてんの? 変態なの?」

「誰が変態じゃ! 変態はおどれやろうがよ!」


 なぜか怒りのあまり変な方言になっていた。

 というか…… 


「死んだはずでは?」

「勝手に殺すな! あーもういい! これは夢! 夢ゆめゆめ夢! はい、明晰夢開始!」


 夢実の言葉により靄のかかっていた頭が晴れた。

 今までのことを考えると、確かに夢としか思えなかった。何となく誰かに操られていたような感覚から、自分で動けるように変化した気分だった。


「ということは岡崎隼人の新刊は……?」


 と僕は現実を元にした夢であってくれと祈りつつ訪ねた。


「ないよ。古泉迦十の新刊も出てないし、りすか0も出てないし双子連続消去事件も出てない」

「そんな……」


 こういうのがあるから夢は嫌いだ。


「ところで」と妹は便座に座った僕を見つめる。「お兄ちゃんってトランスジェンダーだったの?」


 ああ、これかと僕はスカートを見た。


「そういうわけではないよ。ゲームで女キャラばっか使うみたいなものかな。女装に関しては、本当に僕が女性そっくりになるのならやりたいという気持ちもあるけど、あの顔じゃね」

「まあ、あの顔じゃね」と妹は納得した風に頷いた。「つまりジェンダー的なデリケートな問題じゃないってこと?」

「そうだね。だから気にしなくていいよ」

「じゃあ遠慮なく言うけど」妹は咳払いをした「いや、キモイよ」

「え!? どこが」

「いやキモイでしょ。何女に化けてトイレしようとしてんの。どうせそのままエッチなことしてんでしょ」

「人の夢勝手に覗いてなんてこと言うんだ。夢の中なんだから勝手にさせろよ」

「はあ~夢の中だから頭回ってないみたいね。もういいよ。いったん切り上げるから。起きて」


 そういうと妹はその場から、消えた。

 何となく今なら簡単に起きることが出来そうだったので、僕も目を開ける動作をした。

 僕は目を覚ました。

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