捨てられた女、それはわたし【8】
「悪いけど、いい? そこの棚の引き出しに使ってないエプロンあるから、使って」
「はい。では、お借りします」
昨晩無理を言って泊めてもらったお礼になるのなら、とわたしはエプロンをお借りして洗い場に向かった。
店内にいるのはすべて女性客で、彼女たちの目当ては眞人さんとクロくんであるらしい。厨房の端っこでお皿の片づけを初めて三十分ほどで、わたしはそれを理解した。
「梅之介くーん、注文お願いしてもいーい?」
「ごめんなさい、こっちが先なんですけどー。あ! 眞人さん! 今日のオススメもすごく美味しいわ」
「眞人さーん。覚えてくれてる? また来ちゃった」
キラキラした声の間に漂う緊張感。これは互いの戦力を計り合っている女性特有の例のアレだ。ウチの仕事場でも時折漂うのでよく分かる。
「こりゃ、クロくんが気配消せって言うよ……」
スポンジを泡立てながら独りごちる。女が厨房にいるなんて分かったら、ちょっとした騒ぎになるんじゃないだろうか。
洗い場は店からは見えない場所にあり、幸いにもわたしの存在が外に気付かれることはなさそうだけど。
「何やってんだ、ブス」
背中に冷えた声がかかり、振り返れば汚れたお皿を持ったクロくんが立っていた。
「お世話になったお礼に、皿洗いをしています」
「そうか。それはいい心がけだな。僕の仕事が一つ減る。だけど、死んでも気配を消してろ。外のブスどもにバレたら面倒だから」
なんて酷い人だろう。さっきまで、「今日のお客様は美人さんばかりで緊張しちゃうな」とのたまっていたのはその可愛いお口じゃないか。
クロくんはお皿を置くと、「もっと手際よくやれよ。まだいっぱい洗い物はあるんだぞ」と言って表に戻って行った。
「二重人格……」
切り替えの早さにびっくりしてしまう。あんなに裏表の激しい人なんて初めて見……、いや、もう一人いたっけ。
ふっと思い出してしまった顔に、胸が痛む。同じ二重人格でも、最初に裏を見せてくれるクロくんのほうがいい。だって、裏切られなくて済むもの。
「なあ、メシ食った?」
ふいに声がかかり、振り返ると眞人さんがわたしの方を見ていた。
「あ、いえ。まだですけど」
「それは悪いことをしたな。あとで食事作るから落ち着くまで待ってくれ。その前に、口開けて」
「? はい」
口を開けると、眞人さんがぽいと何かを放りこんできた。
「んむ。うあ、おいひい!」
それはほこほこに炊かれた里芋だった。もぐもぐと口を動かしていると、「ほら」と眞人さんが里芋をもう一つ摘まんでわたしに向けた。口を開けるとまたも口に入れてくれる。
「んー、おいひい」
とろりとした鶏そぼろ餡がかかった里芋は、味がじっくりしみ込んでいて堪らなく美味しい。あー、この里芋だけでご飯二杯はいける。
うっとりしていると、眞人さんが笑った。
瞳がきゅっと細くなって、目じりに笑いジワができる。整った顔がくしゃりと崩れると、魅力がぐんと増した。うわあ、かっこいい人のそんな顔、破壊力抜群だよ。
「毎回、すげえ美味そうに食ってくれるよな」
「だ、だって、すっごく美味しいでふもん」
動揺してしまって、ちょっと噛んだ。
しかし、この店が大繁盛しているのは当然だな。美味しい料理と共にこんな笑顔を向けられたら、日参したくもなるよ。
「それは、ありがとう」
あとでもっと食わせてやるよ、そう言って眞人さんはコンロの方へと戻っていった。里芋をごっくんと飲み込んで、調理に戻った背中を見つめる。
なんだか、不思議な人。急に現れた変な女に、どうしてここまで親切にしてくれるんだろう。
「餌付けされてるんじゃねえぞ、ブス」
苛立った声に顔を向ければ、クロくんだった。
「眞人にちょっと優しくされたからって、簡単に惚れたりとかすんなよ。迷惑だ」
「あ。そういうつもりは一切ないです」
最低なフラれ方をしたばかりなのだ。すぐに切り替えて他のひとを好きになるなんて器用な真似できない。眞人さんに見惚れてしまうのも、それはかっこいい男に対してよくある弊害のようなものだ。
クロくんだって、間近で微笑まれでもしたらきっとわたしは見惚れてしまう。
「なら、いいけど。ほら、食洗機が止まってるぞ。さっさと片付けろ」
汚れたお皿を置く彼の眉間にはくっきりとしわが刻まれているので、幸いにもそれはないけれど。いくらわたしでも、こんなしかめっ面で毒舌のひとにうっとりはしない。
「すいませーん。梅之介くん、ちょっといーい?」
「あ、はぁい! すぐ行きます、待ってくださいねー!」
表から女性の声がすると、クロくんの声音がコロっと変わった。笑顔すら作っている。このひと、どこかに切り替えスイッチが内蔵されているんだろうか。
「クロくんて、気持ちいいくらいの二重人格なんだなあ」
食洗機の中からジョッキやお皿を取り出しつつ呟いた。小さな声だったはずなのに、それは彼の耳にしっかり届いてしまっていたらしい。表に戻りかけていたクロくんが踵を返した。スタスタとわたしの方へ戻って来たと思えば、「勘違いするな。僕は女が大っ嫌いなだけだよ」と間近で凄まれた。
「は、はあ。じゃあそれはその、やっぱり男性が好きだからとかですか?」
美青年の怒り顔に気圧されつつ訊く。眞人さんとそういう関係なのだろうし、女嫌いってこともあるかなあと思う。
しかしクロくんは益々顔を顰めた。
「短絡的な女だな。女が嫌いだったら男が好きかって? そんな単純じゃないんだよ」
「はあ」
「僕は男が好きというわけじゃない」
あれ? じゃあ眞人さんとは何なんだ?
調理中の眞人さんとクロくんを交互に見ながら、頭には疑問符が湧く。
「だって、眞人さんの飼い犬っていうから、そういうプレイを楽しむような関係なのかなって思ったんですけど、違うんですか? あ、それとも性別とかを超えた愛があるってことでしょうか?」
ぶほ、と吹き出したのは眞人さんだった。体を震わせているところを見ると、笑っているらしい。対してクロくんは、顔を真っ赤にしていた。
「……プ、プレイとか、そんなんじゃねえし!」
クロくんが眞人さんに顔を向ける。
「ていうか眞人。なんでこの女がそんなこと知ってんの?」
「あ、悪い。ついうっかり言ってしまった」
「うっかり⁉ うっかりじゃないよ、なに言っちゃってんだよ! 馬鹿眞人!」
激高したクロくんは、話についていけていない私にギロッと視線を向け、「そのこと、誰かにペラペラ言うんじゃねえぞ」と超低音で言った。迫力に圧されたわたしはコクコクと頷くしかない。
「別に、言う相手もいないですし、大丈夫です。でも、照れなくてもいいですよ。クロくんと眞人さんだと、すごく耽美な感じがします」
眞人さんが再び吹きだした。クロくんがそんな眞人さんに「笑うな、馬鹿眞人!」と声を荒げる。それから、わたしの鼻先に指を突き付けた。
「いいか。絶対に言うなよ。覚えてろよ」
「は、はい」
「約束破ったら、ぶっ殺すかんな。短絡馬鹿ファンキーブス!」
クロくんが吐き捨て、今度こそ表に戻っていった。
「ブスにいろいろ加わった」
しみじみ言うと、眞人さんが「もう無理」と声を上げて笑い出した。
「あんた、面白いね。ええと」
「三倉白路です。白路でいいです」
「白路……シロ、か。クロとシロだから相性がいいのかな。面白い。クロがあんなに動揺してるとこ、初めて見た」
楽しそうに笑い、目じりに滲んだ涙を拭う眞人さん。
「ええと、あの、お二人の関係について、わたしは勘違いをしてますか?」
「そうだね。あいにく、耽美なものは一切含まれていないな」
「はあ」
本当に、よくわからない。首を傾げながら食器を片づけるわたしに、眞人さんが「後で説明するよ」と言う。
「ちゃんと誤解を解かないと、俺がクロに殺されそうだ」
「あ、お願いします」
それからわたしは、閉店まで黙々と食器洗いに勤しんだのだった。
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