第249話 帰城前夜

「明日はお城かぁ」


 童話城への凱旋を明日に控え、今日は城下町の宿屋に泊まることにした。

 旅の始まりの日に寄った宿のおばちゃんは、私たちのことをちゃんと覚えていてくれた。

 軋むベッドに仰向けに寝転んで童話を広げる。

 今日の昼間にねだって買ってもらった古い童話だ。タイトルは『いばら姫』。姫という立場を利用してやりたい放題だった女の子が、クーデターを起こされ、追われる身となり、惨めな思いをしながらも生き抜いていくお話。最後はハッピーエンドになるらしいけれど、私の立場からすると他人事ではない。


「しみじみ言うじゃねぇか、嬢ちゃん」


 ろうそくの揺れる炎に照らされて、浮かび上がったガロンの影が、怪物のように壁に踊っていた。


「うん。なんかね、緊張する」

「緊張? 自分の家に帰るのにかぁ?」

「あ、そう言えばそうだね。なんでだろう」


 私は読んでいた童話をぱたんと閉じて、ふと考える。

 お父様やグスタフに会うのが久しぶりだから、気恥ずかしさを感じるのだろうか。それとも、ヴェルトと旅に出た私が、ちゃんと役割を果たしているか自信がないからだろうか。

 うーん、としばらく考えて、ようやく私はその答えにたどり着いた。

 たぶん、ヴェルトと一緒に帰るからだ。

 ヴェルトと何気ない話をしている姿を、お父様やグスタフに見られるのが恥ずかしいのだ。家族ではないのに、心を許している。それを知られるのが気恥ずかしい。私がヴェルトを意識していると思われるのが恥ずかしい。

 ああ、言葉にするのは難しいな。

 意識し出したら余計に恥ずかしくなってきた。

 私は明日、どんな顔をして二人に会えばいいのだろう……。

 随分と長い間二人で旅をしてきた。からかわれたり、意地悪されたり、助けられたり、馬鹿にされたり……。なんだか悪いことの割合の方が多い気がするけれど、その一つ一つが思い返す大切な思い出で、私は旅を楽しんでいたんだなぁと再認識する。

 一緒にいて退屈しないし、余計な気を遣うこともない。そういうところが居心地がいいと感じて、私はヴェルトのことがす……。


「んぅ!? んんっ! ――けほっ、けほっ!」


 ――っ! 落ち着け、私!

 大急ぎで胸を叩いて詰まった息を口へと送り、大きく深呼吸して新鮮な空気を取り込んだ。

 お、思い出してしまった……。ヴェルトと二人で泊まる宿屋の個室で……。

 持っていた童話で顔の半分を隠し、ちょっとだけずらして、隣のベッドに座るヴェルトの顔を覗き見る。

 目が合った。


「なんだよ」

「べ、べ、別にっ!」


 顔が一気に赤くなる。

 そんな態度も見せまいと、私は童話で顔のすべてを隠して、寝返りを打った。

 ヴェルトと一緒にいるのはいつものことだ。ここにはガロンもいる。二人っきりというわけでもない。というか二人っきりになったところで、どうと言うことはない。ただ居心地がいいだけ! それだけだ!

 ヴェルトがあひるの王子を読んでくれたのが嬉しかったのも、ヴェルトが童話市で興味なさそうにしてるのに落胆したのも、関係ない。いつものこと。そう、いつものこと。

 ……なのに、意識してしまった。

 追い出そう、追い出そうと念じても、この邪念は消えてくれない。私の心に最初からいたはずなのに、いると意識した途端、水を含んで膨れ上がった。

 重傷だ。

 童話の中ではいくつも見たけれど、まさかこんなに厄介な代物だとは思っていなかった……。


「おい、大丈夫か?」

「え? ひゃい!?」


 いつの間にかヴェルトの顔が目の前にある。


「リリィ、顔赤いぞ?」


 そりゃ、顔も赤くなるわ。何してくれてんだ!


「大丈夫! ダイジョーブっ!」


 私は近くにあった枕を、接近したヴェルトの顔に押し付けた。


「私シャワー浴びて来るから!」


 着替えだけ持って、そそくさと部屋を出た。逃げるんじゃない。戦略的撤退だ。

 閉めた扉の裏から、ヴェルトとガロンの声が聞こえてくる。きっと私の態度の理由を探しているのだろう。

 わかられてたまるか。いや、わかってほしい気持ちもあるけど……。

 私は一つ大きく溜め息を吐いた。口元が緩む。

 悪い気分じゃない。

 あの時のアリッサも、レモアも、きっとこんな気持ちを抱いていたのだ。私だけが許されるのはちょっとずるいかもしれない。けれど、譲ることはできそうもない。

 ……私は今、恋をしてるんだ。

 気づいてしまったらなら仕方がない。甘んじて受け入れよう。

 少なくとも、童話を読んでいるときと同じくらい、幸せな気分なのだから。

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