第210話 モニカの決意 その②
「一生分の脳みそを使っちゃったかな。悩みに悩みに悩んで、もう一つおまけに悩み抜いて、私は、自分の記憶を童話の国に差し出すことを決めたんだ。誰かに言われたわけじゃない。村のこととか、私たち兄妹のこととか、クリフのこととか、シューゼルさんのこととか。お世話になっているメイリンさんのこととか、支えてもらってるレベッカさんのこととか。考えることはいっぱいあったけど、村中の人の顔を全員分思い浮かべて、頭の中で会話をしたの。そうしたらね、答えはもう出てるんだってわかっちゃった」
「モニカ……」
「我儘を言っているのは、私。みんなが村のために頑張っている中で、私だけが私の為だけに行動してる。アルティ君の時もそう。私だけが我儘言った。私が彼を守りたいと思わなければ、村中がギスギスすることも、歴史の国との交渉が長引くこともなかった」
「そんなの! そんなの我儘でも何でもないよ!」
「私はね、もう、大人なんだ」
「……」
「大人。立派な大人。リリィさんとは二つしか違わないけれど、でも、大人なの。……子供じゃない」
そっと、愁いを帯びた瞳を窓の外にやる。
「私のことだけじゃなくて、みんなのことを考えて行かないといけない。そう思った時、兄さんの頑張りを台無しにしてしまった場合に待ち受ける未来が見えた」
「未来……」
「童話の国に見捨てられ、歴史の国に踏み込まれ、大義名分の整った教典の国が奪いに来る。この村は戦場になって、焼けて、老人も子供も背中から斬られて、苦しんで死ぬ」
「……」
「恐ろしい未来。想像して、震えたの。ここ二日はその想像が頭から離れなくて、ずっと震えていた。眠れなかった」
「それは辛いかもしれないけれど! でも、記憶をあげちゃうことだって十分辛いよ!」
「私が辛い分にはいいの。我慢できるから! でも、誰かが辛い思いをしているのは、見ていられない……」
私も想像した。レベッカ達が撤退した後のこの村のことを。
以前から圧力が強かった歴史の国は、遮るものがなくなって今度こそ横柄に振舞うだろう。建前すらかなぐり捨て、我物顔で蹂躙する。
面白くない教典の国も黙ってはいない。こそこそと嫌味ないたずらをする道理はもうない。冷戦を再加熱させるいい口実となる。
そして、村は火に包まれ、住人たちは巻き込まれる。クリフの自警団だけではどうしようもない戦力差……。
いやだ。そんなものは見たくない。
モニカたちだけじゃない。私も、レベッカも、お父様でさえ、そんな未来を見たいとは思わない。お父様がヴェルトの望みを聞き届けたあの時から、湖の村は童話の国の仲間なのだから。
黙ってしまった私を心配したのか、堅くなっていた私の掌を、モニカの掌が暖かく包んだ。
「大丈夫だよ。私が死ぬわけでもないし、村の誰かが傷つくわけじゃない。それにね、一番辛いのは兄さんだと思うんだ」
「ヴェルト?」
「私はきれいさっぱり忘れられるのに、兄さんは、私から記憶を奪い取ったことを一生背負っていかなきゃいけないんでしょ? 私はそっちの方が耐えられない」
敵わないんだよね、と、儚げに呟いた。
「明日さ、兄さんに合わせてくれないかな? リリィさん、お願い」
「で、でも……」
「お願い!」
合理的だ。
誰もが不幸になってしまう我儘ではなくて、自分と周囲が少しだけ不幸になる未来を選んだ。天秤の上には初めから幸福な明るい未来なんて乗っていない。それに気付いてしまったら、消去法しかない。
どうしてだろう。
私はすぐにうんと言えなかった。
ヴェルトに引き合わせれば、この旅は終わる。ヴェルトの責務も終わり、湖の村は童話の国の庇護下として、未来永劫安寧を保証される。私の旅も終わって、晴れて童話城へと帰還できる。私も合理的に考えられるなら、いいことずくめだ。
……なのに。うんと言えない。
アリッサの時と一緒だ。ヴェルトはアリッサに辛い告白をして、アリッサを泣かし、説得して飲み込んでもらった。泡だて器でかき混ぜられたような、一言では言えない感情がアリッサにもあったはずだ。でも、それを否定してでも、あのときの私は、ヴェルトの隣に立って、童話の原石の回収を優先させた。こういう状況は初めてじゃないのに……。
そしてふと気が付いた。
今回私は、ヴェルトの隣に立っていないのだ。私は今、一人の女性としてモニカの側にいる。モニカの悩みを聞いて、モニカの決意を聞いた。少しでもモニカが幸せになってほしいと、心から願っている。
身勝手だ。あたしが一番我儘じゃないか。
でも、だからこそ、わかったと、その一言が言えなかった。
「あ、あれ? ここで躓くとは思ってなかったんだけどな……」
「……ごめん」
絞り出すのが精いっぱいだった。
「じゃあ、もう一つ。お願いがあったから、先にそれを済ませちゃおうかな」
「お願い?」
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