第112話 純粋な狂気

 またこの構図だった。

 レモアが中心にいて、周りを子供たちが囲んでいる。あの時と違ったのは中心にはバートがおらず、人垣もあの時よりも少ないことぐらいだ。

 レモアの側の机には、エドナのものと思しき裁縫箱が置かれていた。ファンシーなアップリケをあちこちに張り付けた、エドナらしさ満点の裁縫箱。けれど今、その口はだらしなく開け放たれ、いくつかの毛糸玉が転がり落ちていた。

 ふっくらと膨らんだ針山には、何本かのマチ針と縫い針が刺さっている。そのうちの一本に手が伸びて、鋭い針を抜き取っていった。


「レモア……。何をやっているの?」

「ああ。リリィさん」


 人垣の中に私の顔を見つけたレモアの表情が晴れやかになる。昨日恋バナをしたという彼女の記憶が、私に対して仲間意識みたいなものを生み出したのかもしれない。


「今ね、エドナに裁縫箱を借りたんだ。お裁縫をね、しようと思ったんだあ」

「う、うん。それはね、見ればわかるよ。問題はそこじゃなくて」


 私は意識して視界の外に外していたそれを、見ざるを得なかった。

 黒いごわごわした物体。細かな繊維が袋の口からはみ出して異臭を放っている。一本一本はとても細くて縮れており、長さは大人の腕ぐらいのものから親指の先のものまでまちまち。それがまとまって塊を作っているものだから、得も言われぬ重量感がある。


「それは何?」


 尋ねないわけにはいかない。事ここに至っては、もう知らない振りはできそうにない。授業までもう時間がないし、子供たちにも手伝ってもらって片付けもしなければいけないだろう。

 レモアは、一度きょとんとした後、納得したように頷いた。塊の中から長い一本を抜き出して、私の前に突き出してくる。


「見ての通り。髪の毛だよお。この前切ったやつ」

「かみ……の毛……。――っ」


 戦慄が走る。

 それは確かに髪の毛だった。うねり捻じれ、縮れ巻き付いた細くて長い髪の毛の束。部屋の薄い橙色の灯りに照らされて、艶を保ったまま黒光りしている。あの日の雨のせいなのか、まだ少し湿っている。異臭の原因はこれのようだ。

 その一本一本を大事そうに撫でるレモア。私の常識では既に測りきれなくなっていた。恍惚な表情が、恐怖を煽る。


「な、なんでそんなもの……」


 髪を切ってきた日、自分の切った髪の毛を持って帰ってきていたの? 意味が分からない。なんで大事そうに持って帰って来たのかも、それを今になって広げている理由も……。髪の毛が惜しかったのなら、初めから切らなければよかったのに……。

 私が一歩後ろに下がったのを気にする様子もなく、レモアは持っていた髪の毛を愛でるのを止めない。毛先の尖り具合を確かめるように、人差し指でツンツンと突き、その感触を楽しんでいた。


「や、やめなよ、レモア。もう、授業だから。ね? その裁縫道具も、エドナに返さないと。ちゃんと、貸してって言わないとダメだよ? エドナ、盗られたって言ってたし」

「ほんとお? ちゃんと貸してって、お願いしたんだけどなあ」


 自分で言って、違和感を覚える。

 ……裁縫道具? 百歩譲って、髪の毛を持って帰って来たことは納得する。自分の髪に愛着があったのかもしれない。まぁ、それだったらなんで切ったのか、という疑問は残るけれど。

 でも、裁縫道具ってなんだ? なんで、切った髪の毛を愛でるのに裁縫道具がいるんだろう。


「ボクね、実はお裁縫ってあまり得意じゃないんだあ。すぐに指を突き刺しちゃうんだよ。痛いのはいくつになっても嫌だよねえ」

「……レモアは、何をやっているの?」


 その答えが理性的で、納得できるものであったらいいと、願いを込めてレモアに問う。

 レモアの答えは簡潔だった。


「服を作ろうと思ってるんだあ」


 服? 服を作る? 髪の毛で? え?

 私の頭はますます混乱する。


「何を言ってるの、レモア! 髪の毛で服が作れるわけないでしょ!」

「ええ? 出来ないの? ヒツジにだってできるのに?」

「ヒツジ……?」

「先生はいつも言うよ? 信じる力が結果に変わるって。ボクはあまり優秀な生徒じゃないから、頑張らないといけないんだあ」


 レモアは近くにあった童話を手繰り寄せ、胸の前で掲げた。

『歩き真似ヒツジ』。レモアのバイブル。ヒツジ……。


「結末が決まってるって言ったら、自信が出て来るでしょ? リリィさんもそう思わない? あとはね、それを辿るだけなの。ボクの大好きな物語の、その結末を、ボクは味わいたいんだあ」


 結末が決まっている? 結末を味わいたい?

 ……駄目だ、レモアが何を言っているのかわからない。何を考えているかわからない。どうすればレモアを説得できるかも……。


「本当にそんなことマムが言ったの!? 結末が決まっているのは童話の中のお話だからだよ。それを現実で真似ようとしたって無理がある。そんなこと、考えるまでもなくわかるじゃん。よく考えて、レモア!」

「マム? どうしてここでマムが出て来るの?」

「え? だって今……」


 レモアの声は冷静だった。


「マムはそんなこと言わないよ? 変なリリィさんだねえ。マムはいつもボクに厳しいから、たまに童話を取り上げることもあるんだよ。あんまり童話好きじゃないのかなあ」

「ちょ、ちょっと待って……。どういう、こと……? それじゃまるで……」



 マムと『先生』が別人みたいじゃん……。



「……レモア、いつも、マムのこと、『先生』って――」

「ん? そんなこと言ってないよ? やっぱりおかしなリリィさんだねえ。マムはマムだよ」

「じゃ、じゃあ、『先生』って……?」


 狂気を纏った唇が真っ赤な三日月のように開いた。


「『先生』は『先生』だよお。うくく。うくくくく」

「――っ!」


 私は震え出した手足を必死に支えた。

 どういうこと? レモアの慕っている人物は、マムじゃないの? レモアが度々引用に出す教えみたいなものは、マムが子供たちに使っている説法じゃなかったってこと?

 じゃあ、一体誰? 誰がレモアに、バイブルなんてものを教えたって言うの……。

 もしかしたら私は、取り返しのつかない大きな勘違いをしていたのかもしれない……。


「と、とにかく! もう授業が始まるし、みんな困ってる。エドナには裁縫道具を返してあげなくちゃいけない。それはわかる?」


 諭すように言うと、レモアは素直に頷いた。


「それから、人の髪の毛で服は作れない。私も詳しくないけど、服用の繊維を使わないと、今着ているような服にはならないんだよ」

「そうなんだあ。ちょっと残念だね」

「わかったらお片付けしよ。午後の授業に間に合わなくなっちゃう」


 素直に従うレモア。その素直さが今は逆に不気味だ。

 子供たちを散らして、片づけを手伝う間、私はレモアを一歩距離を置いて監視していた。近づいたら私までその狂気に呑まれてしまいそうな気がして、もう心は開けなかった。

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