第85話 レモアの受難 その②
石畳の道路が立体的に交差した街の外れ。茶色く濁った用水路の水が腐臭を発しているその橋の下で、レモアは小さく丸まっていたという。ぼろきれの様な服を身にまとい、チリチリの髪の毛で顔を隠し、寒さにじっと耐えていた。
ヴェルトが声を掛けると、作ったような笑顔を見せて「大丈夫です」という。どう見ても大丈夫ではなかったし、冬を越せるとも思えなかった。助けようと手を差し伸べると、その手を避けてさらに奥に逃げる。
「俺は、自分を大切にできな奴が嫌いなんだ。だからどうしても助けたくなった。――近づくと逃げるレモアを何とか捕まえて、暴れる身体を抱きかかえて、そして用水路に放り投げた」
「ほ、放り投げた!?」
「ひゅー。伊達男はやることが違うぜ」
「荒療治以外に方法がなかったんだよ」
レモアは泳げなかった。暴れて沈む体を必死に動かして手を伸ばす。
「助けて」と、聞こえた。
ヴェルトはその手を掴み引っ張り上げる。
用水路はレモアの膝よりも低かった。
レモアは初めて涙を流して泣いた。声をあげて泣いた。自分の中に、まだ生きたいという感情があることが分かって、ただ泣いた。
「で、この孤児院に住まわせることにして、今のレモアが出来上がったわけだ」
両親に愛されなかったレモアが、自分を真剣に思ってくれる人がいることを知った。その恩に報いるため、孤児院の子供たちに優しく接している。
美談だ。私は思った。絵に描いたような、童話に書いたような美談。正しすぎて読む人が読んだら鼻についてしまいかねない。そんな危うさも感じる。
でも。
私は、鼻の頭をかいている朴念仁を盗み見た。
この男と、さっき会った異質な少女の組み合わせだったら、やりかねないし納得してしまうお話だった。
「なるほどね」
「なるほどな」
私とガロンは腕を組んで頷いた。ガロンに腕はないけれど……。
「いいと思う。王道ではあるけれど、丁寧だもん。原石としての魅力は十分だよ。問題はどうやって頂くか、だね」
「それをこれから考えるんだ」
ヴェルトの声は心なしか疲れていた。
たぶんだけれど、ヴェルトが真摯に依頼をすれば、レモアは自分の大切な記憶を差し出してくれるだろう。人生を変えてもらった思い出も、その思い出をくれた人に頼まれれば惜しむことはない。そう考える気がする。
けれど、その記憶を奪ってしまったら、レモアは以前のレモアに戻ってしまう可能性がある。丁寧に補完されれば自分の信念を忘れずにいられるだろうけれど、もし補完できない事態に陥ったら、孤児院の中でまた独りぼっちになってしまう。彼女は親に対して覚えた諦観を、今度は虐め続けるバートに抱くかもしれない。
「これは課題だ。衣食住に困らないこの街なら、多少は長居しても問題ないしな」
私はヴェルトの言葉を聞き終わらないうちに大きな欠伸をしてしまった。慌てて口を塞いだけれど、目ざといヴェルトは見逃してくれず、苦笑を浮かべた。
おやすみを伝えて自室に戻る。廊下に出るとお風呂から解放された子供たちの声が木霊していた。
色々なことに明日でいいやと言い訳して、私はそのままベッドに潜り込んだ。
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