第83話 由々しき問題

 エドナから視線を上げて、食堂を見渡す。

 小さな子供の世話をする子供、隣の子供にコロッケを取られて泣きじゃくる子供、奪い取ったコロッケにご満悦の子供、その行為を咎める子供、マムに甘える子供。

 私が経験した食事の中でこの食卓が最も騒がしいかもしれない。食べるというのは喉を下っていく行為で、喋るというのは喉を上っていく現象のはずなのに、子供たちはそれらを同時に行っている。どうなっているんだろう。人間の身体は不思議だ。

 興味を隠し切れない無垢な子供たちに混じって、最年長のレモアが近づいてきた。


「ヴェルトさん。うくく。ヴェルトさん」

「おう、レモア。ようやくまともに話せるな」

「うくく。待ったよ。とってもとっても。首がながーくなるぐらい」

「嬉しいね。俺がいない間元気だったか」

「うん。ボクはね、とても元気だったんだあ」


 私は視線を向けないように、目の前の肉に集中した。左手のフォークで分厚い部位を突き刺し、右手のナイフを上下に動かす。


「その髪留め」

「うへへぇ。み、みつかっちゃった? ヴェルトさんにもらったもの。ボクの大事な大事な宝物」


 右手のナイフに力が入った。


「ね、ね、後でお話、しよ、ヴェルトさん。ボク、またヴェルトさんに会えたら話したいことがいっぱいあったんだあ」

「そうだなぁ」


 レモア以外にも子供たちが興味を持って口々に質問する。


「お姉ちゃんはどこから来たの?」

「どこに住んでるの?」

「なんで旅してるの?」

「それ知ってる、てーぶるまなーっていうんだよ」


 私は肉を切るのに忙しくて、一つ一つの質問は耳に入ってこない。にもかかわらず、ヴェルトとレモアの会話だけがやけに鮮明に脳に焼き付く。


「うくく。いいよね。だってとっても久しぶりだもん」

「でもな、レモア……」

「うんって、言ってほしいなあ」


 ガチャンと、大きな音が二人の会話を遮った。

 音の正体はフォークが陶器のお皿とぶつかった音で、力を込めて音を立てたフォークを握っていたのは私の左手だった。


「り、リリィ?」

「ダメ! ダメダメ! ヴェルトと私は疲れているの! それに、私も大事な話があるから、今日の夜はダメ!」


 私はレモアを睨みつけていた。ぽかんと口が開いたまま、レモアの視線が私の方へ固定される。縮れた前髪から覗く真っ黒な瞳は、真夏にペンギンでも見たように見開いていた。


「お、おい、リリィ、どうした」

「どうしたじゃないの! もう! どうしてヴェルトはこう……」


 私は続く言葉を飲み込んだ。これ以上をここで言うのは正しくない気がする。

 いつの間にか、食堂中の視線が私に集まっていた。マムが立ち上がって心配そうな声を上げた。

 一触即発の空気の中、一番冷静だったのはレモアだった。


「はあい。わかりましたあ」


 仲裁に入ろうとしたマムも、当事者のヴェルトも、かくいう私も、呆気に取られて声を出せない。


「リリィさんとお話があるなら、ボクは我慢するよ。うくく、待つ。お餅みたいにうにょーんて待ってるよ。うくく」

「……」


 拍子抜け。私はてっきりレモアが食って掛かってくると思っていた。そういうしつこさを、レモアの声色は含んでいたから……。

 でも、レモアは簡単に引き下がった。これでは私が我儘を言って叫んだだけじゃないか。


「……ごめん、ヴェルト」

「いや、いい。疲れているのは俺も同じだ。ちょっとリリィと相談したいこともあったしな」

「うん」


 ゆっくりと席に座ると、心配そうに見つめていたエドナが恐る恐る声を上げる。


「お姉ちゃん、もう怒ってない?」

「怒ってないよ。大丈夫。うん、最初から怒ってなんかいないの」

「そうなの? よかったぁ」


 マムが再び手を叩く。この合図は子供たちをしつける合図になっているのだろう。効果は覿面だ。


「ヴェルトさんもリリィさんも旅で疲れています。あんまり無茶をさせてはいけませんよ」


 マムがそうまとめると、喧騒が戻ってくる。

 執着してるのかな?

 私はそんな言葉が思い浮かんだ。瓦の街のトトルバさんの件から特にそうだ。私はヴェルトが他の人の者になってしまうのが怖い。私はヴェルトと縁が切れることが怖い。

 これは由々しき問題かもしれない。

 私は別に、レモアに敵意があるわけではないのだから。

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