第18話 太眉の少年

「おい、嬢ちゃん!」

「……リリィっ!」


 ガロンが声をあげるのと、ヴェルトの雰囲気が一変するのが同時だった。


「え?」


 眉間にしわを寄せ鋭くとがらせた瞳は、困惑する私など眼中にもなく、私の後ろ、買い物客が行き交う雑踏の中心をキッと睨みつけていた。それは決して私には見せたことがなかった、野生の猛獣のような眼差しだった。

 遅れて振り返ると、今度は私にも見えた。汚らしい布切れに身を包んだ何かがこちらに近づいて来る。


 ――な、なに!? 人?


 そう思う間もなく、目の前にソレが迫る。

 頭を隠すようにフードを被っていて表情は見えない。けれど、これが友好的な流行りの挨拶であるとは思えなかった。


「――……こ、むすめぇぇぇぇええええ!」


 雄叫びを上げる。

 恐怖を覚えてしまった私の足はもう動かない。突き出された右手は私の胸ぐらを掴まんと、すぐそこまで迫っていた。


「ひぃっ!」


 縮こまった私に伸びるその腕は、……けれど私の元に届くことはなかった。

 間一髪、横から伸びてきたヴェルトの腕が掴んで止めたのだ。

 ヴェルトは悪鬼のような怪人の腕を掴んだまま、私との間に身体を滑り込ませる。力を殺すことなく、そのまま身体をくるりと捻り、背中に背負うと、いとも簡単に投げ飛ばした。石畳に叩きつけられた悪漢が汚い呻き声を上げた。


「うが……。ぐ、くそ……」


 かろうじて受け身を取った小汚い少年に、間髪入れずそヴェルトの蹴りが炸裂する。

 まともに脇腹に決まり、今度こそ受け身も取れず転がっていく。さながらバトル童話のワンシーンのようだった。


「ふぅー。リリィ、怪我ないか」

「う、うん……」


 汚れたマントから視線を逸らすことなく、ヴェルトは私に気を配る。いつの間にか私はキャメロンを強く握りしめていた。


 私、今、襲われた? なんで? こんなこと、今まで一度もなかったのに……。


 城の外には、童話の国に居ながら、お父様の政治を快く思わない人もたくさんいる。王女という立場からそういう人間に注意するよう教育は受けていたけれど……。まさか本当に襲われるなんて……。

 悲しい現実を目の当たりにして、胃の辺りがキュッと縮こまった。

 ヴェルトがいなかったらどうなっていただろう。ヴェルトが強くてよかった。


 ……でも、どうしてだろう? 私が王女だってバレることはないはずなのに……。


 ヴェルトは緊張を解かないまま、太ももに括りつけたポーチに手を伸ばす。


「やれやれ。穏やかじゃねーな」

「ヴェルト……」

「リリィ、俺の後ろから離れるなよ」


 悪漢が立ち上がる。よろよろと力なく立ち上がった拍子に、フードが取れてその顔があらわになった。


「ガキかよ……。ますます救えねぇぜ」


 ポツリと漏れたガロンの言葉に、私も驚きを隠しきれなかった。

 私と同じくらいの歳の男の子。

 顔は煤だらけで重量感のある髪は荒れ放題。きつく結ばれた唇と斜めに歪んだ太い眉が、彼の信念と覚悟を物語っていた。

 見覚えのない少年だった。


「お前、昨日から俺らのこと狙ってた奴だな?」

「うるせぇ! ……そっちこそ、誰だよっ……。汚い手でその人に触ってんじゃねぇっ」

「こいつが、誰だか知っていて襲ったのか?」

「当たり前だ! 見間違えるはずがあるか!」


 脇腹を抑えて苦しそうにしながらも、はっきりと意志をもって返して来た。


「……あんたこそ、どっか行けよ。……僕は、そいつに用があるんだ」


 少年の頬がふわりと緩む。途端に私の背筋に悪寒が走った。

 生温かな視線が私を捉えて離さない。


「探したよ。もうどこにも行くな。僕の側にずっといてくれ」

「ひぃ……」

「どうしてそんな顔をするんだ?」

「……いやっ」

「あんなに愛を語り合ったじゃないか! 僕を忘れてしまったのか?」


 感じたことのない不快感が私の心に雪崩れ込んでくる。飴を溶かしたようなねっとりした感情が、逃がすまいと絡みつき、私は自由を奪われる……。


 けれど、少年から紡がれた次の一言で、――私の恐怖は一変した。



「僕だよ、レオンだ! あひるの王子のレオンだ!」

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