第一話 ぼくときみたち


 


 その頃、「ぼく」はまだ「ぼく」だったし、ただそこら辺にいるいるような子供だったけれど、少しだけ違うことがある。

 それはぼくが一人を好んで、一人遊びをしている事だ。

 友達ともっと元気良く遊びなさい、とお母さんは言ったけれどぼくはそれを話半分に聞いているような、少しだけ捻くれた部分を持っていて、どこか頑固な所がある。

 それを「父親譲りね」とため息をついてお母さんは不安げな表情でぼくを見るのだ。

 雪空学園の初等部が正式名称だけれど、簡単に言えば、ぼくは今小学六年生。

 ぼくたちは春には小学校一年生の子供たちを出迎えて、校内を案内したり折り紙で作ったチューリップ等を贈呈したり、いろんな「おとな」な事をやっていた。

 「ぼく」も小学校六年生に校内を案内してもらい、説明された後にもらった折り紙を見ながら、六年生ってすっごく大きいんだなって思っていたくらい「おとな」というイメージで認識していたけれど、実際そんな事はなく年下の前でだけ「おとな」っぽさを演出した子供にしか過ぎない。

 そう気づいたのはいつ頃だったかは分からないけれど、ぼくはその「おとなごっこ」をしている子供にはなりたくなかった。

 ぼくはその時、多分「おとな」に無数の憧れを抱いていて、悪ぶって親を困らせて、結局は子供にしか成れない事にもどかしさを感じる。

 どこまでも無数の糸に絡みつかれたように何をしてもぼくは子供のままだった。

 別に同級生を見下していたわけじゃないけれど、ただぼくは誰よりも「おとな」になりたくて、その子供らしい輪の中に入ることを拒んだんだと思う。

 けれど結局は子供のままなのか、ぼくは一人で自宅のマンションにある外階段で遊んでいた。

 外階段といっても、完全に外にあるわけでも非常用の階段でもなく、マンションの中にある。コの字型に作られたマンションのコの右上には階段があって、そこは「101号室」とかとにかく「01」がつく数字の部屋の側にある階段で本当に端っこにある。

 通常の階段はエレベーター横に設置された「中階段」だけれど、中階段は壁に囲まれていてどこか圧迫されているような印象を受けるのでぼくはあまり好きじゃない。

 逆に「外階段」は手すりがあって、真ん中は少し空いている。もっと小さかった頃は手すりの外に出ると下まで落ちてしまう錯覚に囚われて、ある時は下を見続けているとその僅かな隙間という穴に吸い込まれてしまいそうで怖かった。

 いつの間にか恐怖は失せ、ぼくはいつものように屋上の七階から手すりの上に乗り、滑るように下までくるくると回りながら降りていく。スパイダーマンごっこだ、とぼくは呼んでいるけれどこれをお母さんに見つかると怒られる。

『もうすぐ中学生なんだから、そんなはしたない事しないの!』

 つまりぼくはこの時点で「おとな」に成れていないわけだけれど、この下まで降りる爽快感と風を切るようなこの感覚がどうしても辞められない。

 七階にあたる外階段の上には屋根がないから雨の日は濡れるけれど、下まで降りた時に壁に囲まれたマンションの端っこから見上げる太陽の眩しさを見るのが好きだった。

 今日も上手く降りれた、ぼくがそう満足な笑みを浮かべると、はち切れんばかりの大きな声がぼくの思考を中断させる。

「すごい!」

 階段の一番下。手すりが終わった場所に男の子がいて、ぼくも驚く。大きく見開かれた瞳。その眼差しをなんというのか、ぼくには分からなかった。

「ぼくもやりたい!」

 その言葉にぼくはふたたび驚く。男の子は、まだ幼稚園の年長か一年生くらいか、そのくらい小さな子だった。

 ぼくはその時、この階段の隙間さえ怖かったのに、ぼくが滑り降りてくるのを見て怖いと思わないのか。

 ぼくはただただ変な子供を見るような目で(ぼくも子供なのだけれど)その場に固まっていた。

 ——こういう時はどうするべきなのだろう。

 ぼくはおとなごっこに参加はしても実際に年下の家族も知り合いもいない。半分パニックになっているぼくに、言う。

「おにーちゃんくらいになったら、あれ、できる?」

 ぼくは軽く頷いた。それくらいしか出来ることが見当たらず、ただただその子を見ている。

「おうちゃんはねー、まだ、おにーちゃんにはなれないから、代わりにおうちゃんとおにーちゃんのひみつきち、教えてあげる!」

 ぼくの手を、その小さな手が引っ張っていく。

 いったい何処へぼくを連れていくと言うのだろうか。分からないまま、エレベーターホールでありマンションの玄関の自動ドアを通ってマンションの外に出た。

「そんなね、とおくないよ」

 ニッコリと笑う。

 マンションを出ると夏の日差しを肌に感じた。

 アスファルトからも熱気が反射してぼくはねっとりとした汗を搔きはじめて階段の隙間から見る太陽の眩しさは好きなのに、肌を照りつける今の太陽には少しだけ苛立ちを感じる。

 いったいなんでこんなに暑いんだろう。

 クーラーがあっても外へ出なくちゃいけない時はたくさんあって、特にぼくたちは外での行事もあるんだからこの先どうなっていくんだろう。そんなことを考えながら子供に手を引かれて歩く。

 迷いもせずに歩いて傾斜の強い坂道を指差した。

「あのね、このうえなんだけど、すっごくいいとろこなんだよ」

 その言葉にぼくは「そうなんだ」と返す。

 こんな坂を登っていくのか。

 こんなにも暑いのに。

 Tシャツに短パン。それでもタオルくらい持って来れば良かったと思えるほど汗が身体にまとわりついて気持ち悪い。

 対して子供は汗も掻かず平気そうな顔で坂道を歩いていく。

 時には走りそうになるので慌てて抑えた。

 目的地はいったいどこなんだろう。っていうか誰なんだか分からない。その気持ちのままぼくは付いていく事しか出来ず、ただアスファルトにしっかりとスニーカーを押し付けて一歩一歩、確実に上がっていく。

 坂を登りきると、平坦な道にあばら家が並んでいてさらにその奥へと進んでいくと大きな空き地があった。

 その空き地には場違いに思う東屋があった。

 木で出来た大きな屋根と六人くらいは座れそうなベンチ。そして横には朽ちた土管と、プレハブ小屋みたいなのが建っている。何よりも驚いたのはその先に見える光景だった。

 その空き地の奥へぼくは思わず走る。

 空き地の奥は手すりがあるもののその手すりに近づくと町全体を見ることが出来るのだ。ぼくたちの町を見下ろせる。あんなにキツイ傾斜の誰も住んでいないようなこんな場所に、こんな綺麗な景色が見渡せる場所があるなんて。

 ここで朝陽や夕陽を見たら——どんなに綺麗なんだろう。

 ぼくはそこで風を感じた。

 いつもはマンションの手すりを使って滑り降りる時に感じる爽快感のある風が、この場所にも存在している。

 町がこんなに小さく見えるなんて思わなかった。

 マンションからそこまで遠いわけじゃない。それなのに。大きなぼくたちのマンションよりも上にこの空き地は存在しているのだ。

 きっと今までぼくがいた場所より、太陽が近いのに、照りつける夏の太陽は暑いのに、それでもそよぐ風にぼくは心地良さを感じてうっとりとする。

「ね、ひみつきち!」

 ニッコリと子供が微笑む。ぼくが「そうだな」と返すと、プレハブ小屋から誰か出てきた。

「なんだ央雅 おうが、勝手に来たのか」

 優しい声からぼくを見るなり氷のように冷たく射るような瞳でぼくを見る。

「——…誰だよ」

 あまりに先ほどと違い冷たい声に、ぼくは声が出すことが出来なかった。

「あのね、マンションの手すりをビューン!って降りてきたの。おうちゃんもね、あれやりたいけどおにーちゃんになるまで出来ないって。だからね、おうちゃんね、代わりにここを案内したの!」

 満面の笑みで答える子供——央雅 おうがを見て、そいつは小さく息を吐く。

「知らない人とは口を利くなって俺、教えたよな?」

 褒められず逆に怒られている状況に気づいたのか、央雅はオロオロとしたような戸惑った瞳でそいつに言う。

「でも、多分、おにーちゃんみたいな人だよ」

 その言葉にそいつもぼくも首を傾げる。

「あったかくて、優しいの!」

 そいつは頭を掻いて仕方なさそうにぼくに向き合う。太陽の光でそいつの髪色が濃い紫のように光って見えた。

「俺は、遊坐 ゆざ 琉玖 るうく。そしてこっちは弟の央雅 おうがだ。弟が巻き込んだみたいで申し訳ない。ちゃんと躾けておく」

 その言葉に少しムッとしながらもぼくは思い出した。

 遊坐 琉玖。確か去年小学五年生部門でこども絵画コンクールでルーブル美術鑑賞に入賞したと校長先生が誇らしげにいつかの終業式に語っていたような気がする。

 絵が上手いけど、他人を寄せ付けないから、あいつの友達は絵だなってクラスの誰かが言っていた。

 そうか。央雅の言うことは尤もだ。きっとぼくも琉玖も「おとな」に成りたいけど、成れないんじゃないだろうか。言葉使いも、瞳も、何もかも、ぼくと同い年のはずなのに全然大人びていて驚きながらも、返事をしなきゃとぼくはしどろもどろに自己紹介をする。

「えっと、ぼくは中村 なかむら 太紀 たいき。えっと、遊坐くんってコンクールで入賞してたよね?」

琉玖 るうくで良い。あんなの別に入賞したって意味ないよ」

 ぼくはなんて返すべきなんだろう。そう思いながら太紀を見る。

「『こどもコンクール』なんだから。大人と張れるくらいの作品を描かなきゃ」

 ぼくは小さく頷く。

「うん。ぼくも『こども』を卒業したいな」

 琉玖は小さな笑みを浮かべた。それも一瞬の。

「こんぺいとう、食べる?」

 急な言葉にぼくは驚いて琉玖を見る。

「口に含むなら、塩分より糖分だろ?」

 そう行ってこんぺいとうを口に放りこんだ。ぼくにも渡されるこんぺいとう。

 ぼくも真似して口の中に放り込んだ。こんぺいとうの甘さが、ぼくの口に広がっていく。

「甘い」

 ぼくの言葉に琉玖は笑う。

「当たり前だろ」


 それがぼくと、琉玖の出会い。



 小学校六年生になったぼくらは、その夏に出会ったんだ。


     ◆

 

 

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