5.王国最強の英雄とガラス職人の息子の人知れずな攻防について<1>

 その日、自称平凡な平民であるヴァンはいつものように日常を謳歌していた。



 母親にたたき起こされる事から始まり、父親の仕事の手伝いをし、父親にガラス職人としての技術を教わり、いつものように、ありふれたガラス職人の息子としての日常を過ごしていた。



 まぁ、とはいっても時折「もっとナディア様を守るために力をつけるぞ」と妙にやる気を出して、数多いる召喚獣たちと一緒に魔法を磨いたり、新しく契約を結ぶとしたらどんな召喚獣がいいかなどと議論したりといった平凡な平民としてはおかしなことも日常に含まれているわけだが。



 ヴァンの日常とは、そういうものであった。



 やっている事といえば、ガラス職人としての技術を学ぶこととナディアの事を守るための事。ただそれだけだ。しかし前者と後者のギャップは酷く激しい。そもそも普通の平凡な平民はお姫様を守るための行動なんてしないのだが、やっぱり色々と感覚がずれているヴァンはそれを理解していなかったりする。



 さてさて、そんなヴァンの元に一つの知らせが届いた。



 それは召喚獣の一匹である《ブリザードタイガー》のザートからの知らせである。ガラス細工に励むヴァンの足元にすり寄ってきた小型化しているザートはとても言いにくそうに彼の主に言ったものである。



『………主様、ディグ・マラナラ殿が我らの存在に気づきました』

「は?」



 それを聞いたヴァンの反応はといえば、大きかった。驚きを口にして、そして自分の足元で縮こまっているザートを冷たく見下ろす。一見してみると小動物をいじめているように見える。




(気づかれた? え、ディグ・マラナラって、あの『火炎の魔法師』様だろ? 俺王宮に召喚獣を送ったとかで、処刑されたりするんだろうか。困るそれは。どうしよう)




 内心ではそんな心境であるヴァンである。どうしようと内心でおろおろしながらも、足元に居る召喚獣に向かってなんでばれるなんてヘマをしたといった視線も向けている。




『申し訳ありません。あの方とその召喚獣が三の宮に訪れる事はこの二年一切なく、我らは油断しておりました。それゆえにあの方の召喚獣の接近に気づく事が出来ず、此度、我らがナディア様の周りに存在している事を悟られてしまったのです』




 契約者であるヴァンの機嫌を損ねてしまったと、その薄水色の虎は酷く低姿勢であった。



 恐ろしい力を持った召喚獣のはずなのだが、とてもじゃないがその様子を見た限りそうは見えない。

 そもそもの話、召喚獣を王宮に放っておきながら二年もの間相手気づかれない事さえも異常なのだが、そういう感覚は彼らにはない。




「……俺の事、バレてる?」




 不安そうにヴァンは問いかけた。王国最強の英雄で、王国最強の魔法師。そんな存在に自分の存在が知られてしまうだなんて恐ろしい他なかった。国王陛下からの信頼も厚いという『火炎の魔法師』。




 そんな忠誠心の厚い存在が知っているという事は国王陛下にも知られるという事だ―――実際は面白い事が大好きで陛下に報告がどうたらは一切考えずにナディアのまわりに大量にいる召喚獣の契約者について知りたいだけだが―――という思考にいっているヴァンは酷く焦っていた。




(王宮に許可なく召喚獣を忍び込ませているだなんて、そんなのバレたら一家そろって処刑もあり得る! 平民なのにナディア様の事守りたくてバレないからって堂々と忍び込ませていたのが、悪かったのか。でも、ナディア様は危険な立場に居るから心配だし、召喚獣たちの手によって回避された危険もあるわけで、これで召喚獣たちを引かせてナディア様が害されるなんて事があったら―――いや、そんなの耐えられない)




 事実、ヴァンの召喚獣たちの手によって防がれたナディアの危機というのは数多ある。ヴァンは自分の初恋の人が危険な目に合うのはどうしてもいやだった。防げる手段があるのに、それを行わないなど出来ないはずもない。



 動揺するヴァンにザートは告げる。



『はい。主様が我らが契約者であることは悟られてはおりません。しかし彼の方が我らの契約者―――主様の事を探っておられるのは確かです』

「これはセーフなのか……、いや、詰んだ。あの『火炎の魔法師』に知られるなんて、俺死んだ」




 平然と王宮に召喚獣を放ち、侵入するヴァンであるがなぜかそういう思考だけは一般的な思考を持っていた。ヴァンにはこれから『火炎の魔法師』ディグ・マラナラに契約者だという事が悟られ、一家揃って処刑にされる未来が見えていた(そんなものヴァンの思い込みだが)。



 しかもこの自称平凡な平民であるヴァンは、『火炎の魔法師』などと大層な名前で呼ばれる王国最強の英雄が自分なんか片手間に排除できるような圧倒的な存在であると勘違いしている。

 実際の所を言うとヴァンは数多の、それはもう信じられないほどの召喚獣を従えている紛れもない天才であり、幾らディグ・マナラナといえどそれに一斉に襲い掛かられればただでは済まないのだが、そんな事実魔法に関しての知識がそこまでないヴァンが知っているはずもない。




『主様、唯一我らの存在に気づいておられるディグ・マラナラ殿とその弟子フロノス・マラナラ殿を抹殺でもしますか? 多少の犠牲は出るかもしれませぬが、それが主様の平穏のためなれば―—―』



 追い詰めた様子の主を見かねて、ザートは物騒な事を言い放つ。



「ちょっと待て。駄目だ。第一お前らにあの王国最強の魔法師がやれるはずないだろう」

『いえ、主様やろうと思えばできます』

「無理に決まってるだろ、その自信は何処から来るんだ。あの、『火炎の魔法師』だぞ」



 本気でやれば出来るのだが、それを告げてもヴァンは信じないのであった。ザートはあまりにも自覚のなさすぎる主に思わずため息を吐いた。

 ヴァンは思いこみが激しかった。いいから少しぐらい自分の召喚獣の言葉に耳を傾けろとそういう思いがこみ上げてきそうな会話である。




『そうですか、ならば、どうしますか?』




 しかしまぁ、何処までも自覚がなくこれだけの召喚獣を従えて置きながらも只のガラス職人として生涯を終える気満々な主の事がザートは面白いと感じていた。自覚がなさすぎるが故に、これからこの主がどうなるのかわからないからこそ、面白いのだ。




(……主様は我らが主様が只のガラス職人として収まるはずがないと思っているなどと知ったらどう思うのでしょうか)




 ザートはそんな思考にさえなる。只の、一介のガラス職人として生涯を終える気満々なのは主であるヴァンだけであった。数多居る召喚獣たちは契約者であるヴァンはそんな平凡な人生を終えるとは欠片も思っていなかった。




「……よし、召喚獣が居るって事はバレていても俺だってはバレてないんだろ。だったらとことんバレないように貫くしか俺が生き残る術はない。バレないように徹底する!」

『……ディグ・マラナラ殿は主様を見つけても殺さないと思うのですが』




 バレたら一家揃って殺される! それは困る! ならどうすればいい? バレないようにすればいい! ならバレないように徹底する!

 という暴走思考に突入しているヴァンの耳にはザートのつぶやきなど聞こえているはずもなかった。





 ――――王国最強の英雄とガラス職人の息子の人知れずな攻防について<1>

 (こうして、王国最強の英雄とガラス職人の息子の人知れずな攻防が始まるのであった)

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