俺が信じたのは自分の心でした。

まよ

第1話 やっちゃえ広海。仮病早退!

――水に包まれた俺は、加速をしながら輪転(りんてん)していく。

ぐるぐると、果てしなく回り続ける。

俺は姿だけではなく、存在も残らないほど粉々になる。何もかもが塵芥(じんかい)と化す。

そこに澄(す)み切った輝きと、全てを融解(ゆうかい)させる熱が込められてくる。

水はさらに加速を続ける。

今度は壊すのではなく、成(な)すために躍動(やくどう)する。

ちりぢりになった物を、全て掻き集めるように、ごしゃごしゃと回り続ける。

それを待ち望んでいたかのように、俺だったものや、輝きや、熱が混じり合っていく。

やがて、それらは一つになる。

とても歪な形ではあるけれど、それは様々なものと混じり合ったが故(ゆえ)の強さを持っている。


然(しか)して、新たな俺は相成(あいな)った。



俺は今日も教室ではなく、トイレの個室で昼食を済ませた。

高校二年生の春頃から、高校三年生の冬。つまり今日の日まで、ずーっとこんな感じだ。

「ほんっと、いやになるぜ」

ついつい愚痴をこぼしてしまう。……まあ自業自得だから、仕方ないんだけどな。

俺はトイレの便座に座りながら、碇ゲンドウがとるポーズ、通称『ゲンドウポーズ』をとりながら昼休みが終わるまで、益体(やくたい)もないないことを考えている。

例えば、ミリメートルの目盛りが刻まれたまな板があれば、料理下手には嬉しいなーとか。短髪黒髪の男性が黒いタオルを頭に巻いていると、遠目に見ればポニーテール女子に見えるなーとか。筋肉痛と風邪が同時に起こると、インフルエンザの疑似体験ができるのでは? とか。ほんとくだらない事を考えている。意外と楽しい。

俺はそれらを、ノートに記録しておく。

平日の学校で書きためたアイデア達を土日に振り返ってみるのも、それなりに楽しいので休日が暇な奴はやってみるといい。すぐに飽きるけどな。

昼休み終了のチャイムが鳴るまで、あと十分はある。休日の俺を笑わせるためにも、あの姦(かしま)しい異界(俺の教室)から隔離(かくり)されている、この静寂(せいじゃく)に満ちた思考の空間(今いるトイレ)で、もう六個ぐらい何かネタを考えよう。

俺が決意を固めて『遊びのゲンドウポーズ』から、『本気の一休さんポーズ』にフォームチェンジしようとしたところで、トイレに二人の男子生徒が入ってきたみたいだ。

「午後の授業は数三だよな?」

「そだよ。……あー、午後の授業かったる」

「ほんとそれ。もう受験まで数日もないのにな」

同じクラスの飯田(いいだ)と山本(やまもと)だ。飯田に山本も苗字しか分からん。ごめんね!

彼らとは、去年の理数選抜科クラスで一緒になった。今年も理数選抜科で、同じクラスだ。そんな顔見知り程度の二人が談笑(だんしょう)しているのを聞いていると、俺はふと疑問に思う。

「……あいつらって二人でトイレ行くほど、仲良かったのか?」

飯田と山本は入学当初から二年の春頃まで、いじめる側といじめられる側の関係だった。

その関係性を変えたのは、俺だ。俺がいじめられていた山本を庇(かば)った結果、山本へのいじめは、無くなった。まぁ、厳密には……いじめの対象が、俺にシフトチェンジしただけでした。……飯田、いじめ、だめ、絶対。ほんとに止めてね?

俺がトイレの個室を哀愁(あいしゅう)で満たしていると、飯田が山本に話しかけていた。

「そういえば最近、久瀬(くぜ)を全然見ないよな。……同じクラスなのに」

突然、俺の名前が告げられた。

飯田がいう久瀬(くぜ)。久瀬(くぜ)広海(ひろみ)とは、俺の名前だ。

突如(とつじょ)として自分の名前が挙げられた驚きもあるが、それ以上に嫌な感じがする。こういう時に挙げられる名前は、おおよそ陰口の対象となる奴の名前だろう。

「あー。いたねー、そんな奴」

山本が、気怠(けだる)げに答える。……おいおい、一応君を助けたのは俺なんだけど、なんか冷たくない?

「久瀬とつるむのは止めたの?」

「つるむもなにも、あんなおせっかい野郎知らねーよ」

あれ? なんか俺、山本に嫌われてる?

「そもそも久瀬が善人ぶって、勝手に俺を哀(あわ)れんできたんだぞ」

山本は嫌悪感をひしひしと放ちながら、口角(こうかく)泡を飛ばす勢いで言い募(つの)る。

「いったい何様だよ、あの野郎。……あんな偽善者(ぎぜんしゃ)なんて、どーでもいいわ!」

「まー、たしかにな。久瀬は真面目って言うか、重いって言うか、鬱陶(うっとう)しいんだよな。鬱陶(うっとう)しさに関してみれば世界一だろ。……そもそもお前へのあれは、いじりだもんな?」

「あっ……あぁ。そうだよな」

山本は少しぎこちないが、飯田の言葉をしっかりと肯定していた。

その後、彼らは用を足し終え、トイレから出て行った。

「……」

そうだったのか。山本は俺のことを、あんな風に思っていたのか。

確かに、山本の視点から見てみれば、俺はそう映るのかも知れない。

自分より立場の弱い人を勝手に哀れんで、独りよがりな善意を押しつけ、助けもしないのにズカズカと深入りし、自身を優しい人間なんだって誇張(こちょう)する為の道具にする。

そんな偽善者(ぎぜんしゃ)に、俺は見えたのだろう。

「……ふざけんなっ」

 堪えきれずに、怒りが口からこぼれ出す。

俺はそんな俗物的(ぞくぶつてき)な理由で、飯田のような人間を止めたんじゃない。

山本に降りかかっていた、悪意によって生(しょう)じた言動を、俺が正しくないと思ったからだ。

自分の中で見過ごす事ができない程に、間違った行為だと認識してしまったからだ。

故に俺が取った行動は、山本はもちろん、誰かを救う為に行動したわけじゃない。

ただ単に、俺は己の価値観を信じて、行動をしただけだ。

たったそれだけだ。

「……まあ」

そんなくだらん物のせいで、俺は高校の二年間を、青の時代にしてしまったんだけどな。

だがそんな時代も、あと数日で終わる。俺は大学へ進学し、バラ色の時代を築くのだ!

それに俺へのいじめは、あと何日かすれば過去の物になる。ならば、今は未来を見据(みす)え、前向きに生きようぜ。

 俺は気分を変えるために一度だけ、できるだけ緩(ゆる)やかに、細くて長い息を吐いた。

「ふぅーーーー。……そう言えば」

まだ午後の授業はあるが、欠席しても日数的には問題ないはずだ。……多分。

俺はすぐさまノートを開いて、出席日数を計算してみる。

……いける、問題なしだ!

その事実に気が付いてしまうと、脳内の悪魔が俺に囁(ささや)いてくる。

やっちゃえ広海。仮病早退!

 車のCMで聞いたような決まり文句で、デビルな広海が、俺をたぶらかしてくる。

「よし早退だ!」

 天使なんて出るまでもなく悪魔が勝利しました。はい、欲に忠実(ちゅうじつ)な男ですいません。

どうせ授業内容は、俺が受験する大学の一般試験には出題されない範囲だったし。早々に帰宅をして、大学の試験対策をした方が遙(はる)かに建設的だろう。

幸いな事に、飯時はいつも鞄(かばん)を持ち歩いている。教室に鞄を取りに行って、飯田と山本に顔を合わせる必要もない。

それにここ最近は、受験勉強に力を入れすぎていて、睡眠不足を否(いな)めない。

寝不足のせいで欠伸(あくび)が出たのか、先ほどから視界に映る物の全てが、朧気(おぼろげ)にゆがんで見えてしまっている。

俺は制服の袖(そで)で軽く目元を拭(ぬぐ)って、ノートや弁当を鞄に放り込む。座ったまま背筋を伸ばすと、長時間座っていて凝(こ)り固まった体から、小気味よい音が鳴る。

「よっこいしょ」

男子高校生にはあまり似合わない掛け声と共に、俺は立ち上がり鞄をつかむ。

「あー。今日も疲れた」

ドアを開けて個室から体を出し、後ろ手で放るようにドアを閉める。

本当に、今日は疲れた。

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