二〇一九年七月二十一日日曜日

『二〇一九年七月二十一日日曜日 by:Unified-One.

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 https://douyathsy.itiino-ct.ac.jp\iumus/にて行ってください。』


 今日は三駅ほど離れた街へと、朝早くから訪れていた。目的地はひとつしかない。古本屋だ。読書は私の唯一の趣味と言っても過言ではない。支給される小遣いの使い道は殆どを本代にあてている。だから、こうして古本屋に立ち寄ることは至福で、平気で開店から閉店までいられるのだった。

 これに影響されて私も文章をしたためてみるも、幾度と失敗に終わっていた。だからこそ、余計に美しく書かれた作品を妬みながらも、更に好いてしまうのだった。

 まず、今話題の作品が収められた棚を眺める。少し前までは、話題の作品というものを敬遠してきたのだが、最近では、なぜこの作品がここまで売れるのかと考察するのにも興味を持ち始めた。しかし、今でもやはりこの棚の前に立つと、ミーハーのように思われるのが嫌で、堂々としていられないのだった。人目を気にしながらも、最上段にあった青春小説に手を伸ばそうとして――、ふいに後ろからの、「あっ」という声に驚いて手を引っ込めてしまった。さりげなく、事実確認の為だけに浅く振り返ると、


 彼女がいた。


 浅い紺色をした綿麻のワンピースを着付けていた。とことん彼女はワンピースが好きらしい。

「ゆ、結ちゃんでは、ないか。どうしてこんなところに」

「いえ、たまたまこっちのほうに遊びに来ていて……」

「そうなのか。では、友人とでも来ているのかね」

「いえ、ひとりです」

「ひとりで。成程」

 え、あ、いや。なんと、言えばいいのだろうか。

 取敢えず、


「お茶でもどうかね」「お茶でもどうでしょう」


 ◇

【とある話その一】


 その少年は、ある少女と二日間だけ遊んだことがある。

 初めて彼女と四阿で出会った日、二人は特に何をするわけでもなくだべっていた。ただ、それだけだった。

「ねえ、シュウくんは明日の花火大会行くの」

「ううん。明日はばあちゃんの畑のお手伝いがあるから、行けないんだ。でも、あさっては、行く予定」

「そ、そうなんだ……」

 少女は歯切れを悪くして俯いた。その俯いたときに亜麻色の髪から覗いたうなじがみるみるうちに紅くなりつつあった。

「じゃあさ!」と少女が少年の手を取って、懸命に、潤んだ瞳を向けて、「あさって、一緒に見ようよ……」尻すぼみに言うのだった。

 しかし少年はおさな過ぎるから、勝手に家族から抜け出して来ることは難しいと分かっていた。それでも、惚れてしまった娘の願いを蔑ろに出来るほど、良く出来たものでもなかったから、無責任だと思いながらに、「うん」と首肯したのだった。


「あ、やばい。もう結構遅いよね……帰らないと」

 少年はもっと少女と一緒に居たかったが、父からの怒号を恐れて帰ることにした。少年は名残惜しそうに、足をまごつかせ、なかなか進みだすことが出来なかったが、驟雨が通り過ぎて広がってしまった星空は、小さい身体を易々と呑込んでしまいそうで、果たして不安と恐怖から四阿を飛び出してしまったのだった。


 〇

 私はコーヒーを飲み下すと、早まった律動に促されるようにして、口を開いた。

「結ちゃん。今度、市井野花火があるだろう。あれ、一緒に行……」


「……あれ、シュウくん。……なに、してるのかな」


「え」

 私は肩を掴まれた。そしてその声を幾度と反芻して、私は初めて人間は戦慄すると汗が流れることを身をもって知った。

 ……いや、違う違う。これは、人違い。きっとこの、肩に置かれた手は、幽霊かなにかのものだろう。人間は、普段から神を信じていなくても、結局、窮地に陥ったときには神に縋るものだ。だから、私も普段から幽霊という存在を信じていないのだが、ここ一番の窮地だから、縋ってみることにしたのだった。実はオカルト信仰家にとって幽霊というものは、自分の身の回りで何か不幸なことが起きたときに、全て「ゆ、幽霊のせいだ!」とか言って、容易に安堵するためのツールなのではないだろうか。

 ガムシロップを三つも入れた甘ったるそうなアイスコーヒーを、ストローでちびちび啜っている彼女を見据えながら、私は呼吸を整えて、

「結ちゃん。今度、市井野花火があるだろう。あれ、一……」

「……何で無視するのかな。『え』とか言ったよね。……ねえ、どういうことかな。これと、これ、ちゃんと話してもらうよ」

 指示語を使いながら、彼女と私を指さした若女は、

 

「どうも。私は鮎川早百合あゆかわさゆりです。シュウくんの彼女です」

 

「うわあ! どうしちゃったの、鮎川さん! ちょっとこっちに――。あ、ちょっと待っててくれ、結ちゃん」

「結ちゃん……?」

 うわあ、怖い、怖い、睨まないでくれ、どうか命だけは助けてください神様、仏様、早百合様ぁ。

 

  〇

 私は店を出てすぐの広場で早百合に話を訊くことにした。

「……早百合。どうしてこんなところに」

「いや、地元なんだから不思議じゃないでしょう」

 そんなことより、と。

「あの女、誰」

「あれは従」

「嘘だよね」

「最後まで聞いたらどうなのかね。……あれは、そう、隣の家のお姉さん」

「さっき『従姉妹』って言おうとしてなかったかな」

 ええい、いちいち鋭い。

「何で嘘なんかつく必要があるのかな。……つかなきゃいけないような関係なの」

「いや、付き合ってもいないし、手も繋いでもいないし、別にこれといってなにをしたというわけでもございませぬ」

「そうなの、本当だよね」

「もちろん」

「よかったあ……」

 そう言って早百合は抱き着いてきた。久々に抱きしめた早百合の感触は――遥かに距離の遠いものに感ぜられた。まるで人形を抱きしめているかのように、そこにあたたかさなど微塵も伝わってくることはないのだった。その原因は、もう嫌というほど、ここ数日間で痛感している。

「早百合」

「んん? どうしたの、シュウくん」

 ニカニカした早百合の笑みの眩しさといったら、全くといって彼女に引けを取らない。「今晩お前の家に泊めてくれないか」なんて言ったら、きっと「じゃあ……今晩は、私にする? 私にする? それとも私?」だなんてふざけ返してくれるに違いない。そんな愛くるしさだとか、優しさが、私を良心の呵責に苦しませた。

 私は早百合を突き放して、重い唇を動かした。

 

「……私と別れてくれ」

 

 時は止まってしまったのだろうか。それとも、私だけが時に取り残されてしまったのだろうか。

 そんな中で、また私はひとり、顧みるのだった。

 

  〇 

 早百合は私の幼馴染であり、中学校三年生までずっと同じクラスの同級生でもあった。

 高校・高専にそれぞれ進んでから初めての夏休みに、早百合と二人で万代に遊びに行った。高校は、もう二週間ほどで休みが終わろうとしているとき、高専は、休みに入ってまだ一週間ほどのことだった。待ち合わせに二人とも遅れてしまい、予定の一本後の電車に乗って、服屋や雑貨屋を徘徊し、カラオケで声が掠れるぐらい歌い、古本を物色したら互いに山積みの書籍を抱えてレジに並ぶ羽目になり、電車の席では早百合が私に凭れ掛って来て、電車を降りてからは、「重くなかった? 涎垂らしてなかった?」と懸命に訊いてきた。

 そして、その帰路で、早百合は私に告白をしてきたのだった。

「私と付き合ってください」

 幼稚園のころから見てきた早百合は、外見こそ著しく変化したものの、中身はあのちんちくりんと不変の純朴さが健在で、この申し出を断ることに、単純に――、気が引けていた。

 私の性格を中学の国語教諭は酷く的確に突き止めたことがあった。

「東雲は『来るもの拒まず、されど追わず』って感じだな」と、突発的な不動明王の解説に折り入れられたことがあった。そうなのだ。私は、いくら馬鹿にされようとも、いくら好きだと宣言されようとも、私自身が冷めていて、相手の気持ちがうまく伝わってこないのだ。だから、別にどんな輩でも拒絶はしないし、追うほどに相手に溺れることも出来ないのだ。

 そして、

「ああ。私も早百合が好きだった。これからも、よろしくな」

 などと、心にもないことを口走った。

 告白されたとき、断るのは相手に悪い、と思ってそのだいたいを受理してしまうのだが、いつか相手の恋心が冷え切ってしまったとき、別れることになってしまったとき、結果的に降りかかる悲しみに比べれば、ちゃんと断るほうが人道的だし、より人間性に魅力を感じることだろう。

 しかし、こうも思ってしまう。

 その告白を断ったとして、以前通りの関係に戻れるのだろうか。私は、その瞬間から絶対の気まずさが残るぐらいなら、付き合って、好きあう時期を設けて、そしていつか覚めてしまったときに、きっぱりと関係を断ち切るほうがいいと思う。

 私は何事にも、興味が持てないような、つまらない人間だ。ただ、生きていく上で必要な各方面の知識は、常に私の周囲を浮いていて、言葉が私に届く前に、その知識が勝手に応答してしまうのだ。


 だが、どうも、彼女のことだけは、それが、うまく機能しない。


 彼女のこととなると、私の知識を素通りして、初めてその『もの』を見たような感動が直接私にやって来る。だから、初めて彼女と会ったあのとき、彼女の髪が、顔が、身体が、髪で、顔で、身体だということに、気後れしていた。

 彼女と時間をともにする、ということは、まだ年端もいかない私が、「シュウくんは将来、すっごく頭が良い、科学者さんになるんだよ」と母親に、分厚い化学の資料集を、誕生日プレゼントとして手渡されたときと同じぐらい、未知で、不安で、そして――恐ろしかった。

 しかしそんな彼女を知れば知るほど、私は面白いと思ってしまっていた。

 ああ、ようやく私は虚言を吐かずにすむのだね、と。

 

  〇

「何、で……」

「私はもう、お前のことが好きでなくなってしまったのだ。……悪い」

「そ、そんな! 何で、何で! 私、こんなにもシュウくんのこと、想ってるのに。この亜麻色に染めた髪も、胸のあたりまで伸ばした髪も、ダイエットしたのも、メイクをしたのも、こうやって怒ってるのも――全部、シュウくんが大好きだからなんだよ! ねえ、言ってよ! 私のどこが嫌なのかを! 全部、全部治すから!」

「そんなことしなくても、お前は十分だよ……」

「じゃあ、何で……」


「お前よりも、好きになってしまった人がいるからだ」


「っ、酷いよ……浮気だよ、最低だよ……」

「ああ、本当に、最低だ……。気が済むまで殴ってくれ」

「……ううっ、殴れない、殴れないよ。大好きな人を殴るなんて出来ないよ……。こんなにも、最低でも、好きなのは好きなんだよ! 私が一番じゃなきゃ嫌なのっ!」

「……本当に、済まない。こんな奴を好きになってくれたお前には、ただ、本当に悪かったと謝ることしか出来ない」

「謝らないでよ! それ私が辛いだけなんだよ! やめてよ……もう、やめて……」


「本当に、悪かった……」



 〇

 店内に入って、彼女に、今日はもう帰るよ、と言い残して私は帰宅した。もう二時間ほどしたら、今度は帰寮しなければならなかった。

 夕飯は半分も喉を通らず、意識を失ったように長々と湯船に浸かり、そして重い鞄を背負って、バス亭に向かったのだった。

 今日の斜陽は、いつもより一層煌めいていて、私の胸をも焦がすのだった。

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