第9話:お父さんは心配性Ⅴ
※
ロイドは欠伸を噛み殺しながら食堂に入った。
アルカはいない。
どうやら、テンと走り込みに行っているようだ。
料理の準備をしていたのだろう。
ローラは厨房から出てくると自分の席に座った。
「あら、今日は早いのね?」
「毎日、アルカのボディープレスを受けていられないからな」
今は体重が軽いからいいが、いつか耐えられなくなる日が来るだろう。
娘のボディープレスを受けて死亡なんてことにならないようにしなければならない。
「……第二案が完成すればなぁ」
「そうね」
微妙な表情を浮かべるローラを横目に自分の席に着く。
「そろそろ、魚が少なくなってきたわ」
「魚か」
うんざりした気分で呟く。
最近、アルカは城壁の外に釣りに行く。
一人ではなく、ローラとテンも一緒だ。
釣りの才能があったらしく、釣果がゼロだったことはない。
魚料理が続いたせいで肉が恋しい。
「お願い」
「はい」
おお、なんとシンプルな遣り取りか。
意思の確認ばかりか、家庭内における序列を端的に示している。
「ただいま!」
「が~う!」
ドタバタという音が近づいてくる。
「父さん、オッハー!」
「がう!」
アルカは食堂に入りなり大声で挨拶した。
今日もハイテンションだ。
「……お、おは」
第一案のテンションに付き合うのは少しばかり辛い。
もう二十歳くらい若ければ何とかなったかも知れないが。
アルカは自分の席に着き、歯を剥き出して笑った。
「今日は途中でアーネストと一緒になってさ。やっぱ、友達と走るのは違うな」
「がうがう!」
テンが自分もいると言うように吠える。
「そうは言うけどさ。あたしとテンはいつも一緒にいる訳じゃん? テンは主食で、アーネストはデザートみたいな?」
「が~う?」
テンは今一つ分かっていないようだ。
と言うか、いつの間にアルカはテンと話せるようになったのだろう。
「話せるのか?」
「大体、こんなことを言ってるってのは分かるよ」
なるほど、とロイドは頷いた。
七悪は人間の悪性――精神を司る精霊だ。
他者の感情を読み取ることができても不思議ではない。
「で、アルカはアーネスト君をどう思ってるの?」
「友達だと思ってるけど?」
アルカは身を乗り出すローラに平然と返した。
「もう、好きとか、好きとか、そういうことを言ってるのよ」
ローラは祈るように手を組み、楽しげな表情を浮かべた。
ああ、アーネスト君が義理の息子になるかも知れないのか、と思う。
「好き一択じゃん。つか、アーネストはないし」
「まさか、レイモンドじゃないわよね? 母さん、許しませんよ!」
「レイモンドおじさんは好きだけどさ。何て言うの? こう、親戚の叔父ちゃんが好きみたいな?」
「じゃあ、誰が好きなの? 好きなタイプは?」
「六歳児とする会話じゃねぇよ、それ」
お前の言動も六歳児のものじゃないぞ、と突っ込むべきか判断に迷う。
だが、ここは黙っておくべきだろう。
流れ的にお父さんみたいな人と言ってくれるはずだ。
「好きなタイプね」
アルカは思案するように腕を組んだ。
「う~ん、母さんみたいな人」
「まあ! 母さんみたいな性格の人となら幸せになれるわ!」
「性格? 外見に決まってるじゃん」
空気が凍った。
「そ、そ、それは、ど、どういう意味かしら?」
「母さん、焦げ臭いぜ?」
「そ、そうね。ま、まずは料理ね」
ローラはイスから立ち上がるとよろめきながら厨房に入っていった。
※
食事を終えて外に出る。
青く澄んだ空が広がっている。
少し肌寒いが、午後になれば温かくなるはずだ。
足下を見ると、テンが纏わり付いていた。
しゃがんで頭を撫でる。
嬉しそうに尻尾を振る姿は子犬のそれだ。
「……大丈夫だとは思うが、城壁の外は危険が一杯だ。お前もアルカを守るために協力してくれ」
「がう!」
刀に触れながら呟く。
返事を期待していた訳ではないのだが、テンは任せろとでも言うように吠えた。
「お待たせ、父さん!」
しばらくするとアルカが桶を片手に出てきた。
ズボン姿も似合うな、とアルカをしげしげと眺める。
「アルカ、釣り竿は持って行かないのか?」
「うちに釣り竿なんてないじゃん」
言われてみれば釣り竿を買ったり、作ったりした記憶がない。
だったら、釣り竿もなしにどうやって魚を捕ってきているのだろう。
※
城門を守る部下と挨拶を交わし、しばらく歩くと川が見えてきた。
川幅は広いとは言えず、水深も深いとは言えない。
大きな川には魔物が棲息していることが多いので、この川は子どもが保護者同伴で釣りをするのに適当と言えるだろう。
「どうやって、魚を捕るんだ?」
アルカはニヤリと笑う。
案一はふてぶてしく笑うという設定だったが、ふてぶてしさが足りていない。
「テン、いつも通りな」
「がう!」
テンが川上に向かい、アルカは靴と靴下を脱ぎ、ズボンをたくしあげる。
「が~う!」
テンは二十メートルほど離れた所で川に入り、中程まで進む。
そして、青白い光を放った。
「上がっていいぞ!」
「がう!」
アルカがテンと入れ替わるように川に入る。
川底から浮かび上がった魚が流れてきた。
どうやら、テンの原始魔術で魚を感電させたようだ。
道理で釣り竿がいらない訳だ。
「よっしゃ! 大漁、大漁!」
アルカは嬉しそうに魚を掴み、次々と桶に入れた。
「がう!」
足下を見ると、テンがロイドを見上げていた。
「アピール!」
「きゅ~ん」
テンは甘えるように鳴き、足に擦り寄ってきた。
ロイドはその場に跪き、ポケットから取り出したハンカチで濡れた毛皮を拭いてやった。
「何のアピールだ?」
「健気さと役に立ってる所をアピールさせてんだよ」
アルカは桶に魚を入れながら答えた。
寒いのか、テンは震えている。
それなのに尻尾を振っている。
健気だ。
「……お前はいい子だな」
「がう! がう!」
テンはさらに激しく尻尾を振った。
「うっし、今日も大漁だ!」
アルカは岸に上がり、ハンカチで足を拭いた。
ほんの数分しか入っていないのに桶は魚で一杯になった。
「……大丈夫なのか?」
ロイドは川を流れていく魚を見つめた。
「ちょっと痺れてるだけだから大丈夫だって」
「そうか?」
空を見上げると、痺れた魚を狙っているのか、無数の鳥が飛んでいた。
下流には流れてきた魚を食べている鳥がチラホラと――。
「そう言えば鳥はどうしたんだ?」
「……渡り鳥だった」
アルカは素に戻り、ボソリと呟いた。
「……人間と鳥類の間には超越不能な壁がある。彼はそれを私に教えてくれた」
「きゅ~ん」
テンは寂しそうに俯くアルカに擦り寄った。
「……テンは死ぬまで一緒、私が死ぬ時がテンの死ぬ時」
「……」
「……即ち、終身雇用」
テンは無言でアルカから離れようとしたが、首根っこを掴まれてしまった。
「……テンは私の眷属」
「アルカ、眷属ってのは何だ?」
「……私の味方。眷属になると特典が付く。レイモンドおじさんも眷属」
言われてみれば、レイモンドはアルカ教の信者を自称していた。
「……お父さんも眷属になっているので、安心して欲しい」
「何だって?」
思わず聞き返す。
「……お父さんも眷属、お母さんとはこれから交渉する」
「もしかして、誘拐事件の時か?」
アルカはコクコクと頷いた。
命を救われたことを考えれば文句を言えないのだが、もう少し早いタイミングで教えて欲しかった。
「どんな特典があるんだ?」
「……検証中」
どうやら、アルカにも分からないらしい。
眷属になったと言うくらいだから、本人にしか分からない仕組みがあるのだろう。
「……帰る」
アルカは立ち上がり、怖ず怖ずと手を伸ばしてきた。
手を握り返すと、はにかむように微笑んだ。
「また、来ような」
「……テンがもう少し大きくなったら大物を狙う」
「が、がう!」
テンはアルカを見上げた。
心なしか、嫌がっているように見える。
「アルカも一緒じゃなきゃダメだぞ。親分は率先して動かないとな」
「……」
アルカは考え込むように空を見上げる。
「……頑張る」
「そうだな」
ロイドはアルカの手を引いて歩き出した。
それから時は流れ――。
※
「……懐かしい夢を見たな」
ロイドは天井を見上げて呟いた。
アルカは今年で十三歳になるので、六年前のことになる。
本当に、本当に色々あったが、父親として及第点を取れているんじゃないかと思う。
まあ、評価が急降下する可能性は十分あるので、予断を許さないが。
そんなことを考えていると、う~、う~という音が耳元で聞こえた。
テンがベッドに顎を乗せて唸っていた。
「……お前は大きくなったな」
「が~う」
頭を撫でると、テンは野太い声で返事をした。
子犬だった頃の愛らしさは残っていない。
体長は鼻先から尻尾の先端まで含めて二メートルになるだろうか。
牙は噛まれたら致命傷になりかねないほど長く、噛む力は牛の骨を噛み砕くほど強い。
これだけでも十分な脅威なのだが、複数の魔術を使う。
下手をすれば火炎羆より強いかも知れない。
にもかかわらず、行動は小さい頃と変わっていない。
むしろ、小さい頃より従順になった。
階段を下りて食堂に入ると、ローラが優雅に紅茶を飲んでいた。
「今日も紅茶が美味しいわ」
「そうか」
ロイドは自分の席に着く。
第二案が完成し、ローラの負担は少しだけ減った。
「父さん、おはようございます」
「ああ、おはよう」
エプロンドレス姿のアルカがカップを手に厨房から出てきた。
当たり前と言えば当たり前のことだが、この六年で身長が伸びた。
同世代の少女に比べて背が高く、スマートなボディーラインをしている。
銀縁の伊達眼鏡をしているせいか、怜悧な印象を強く受けるのだが、微笑むと周囲が明るくなったような感じがする。
アルカ曰く、ギャップを狙っているらしい。
本人の口からそういうことを聞かされると、こうやって男は騙されるのだなという気分にさせられる。
ちなみにエプロンドレスは単なる趣味らしい。
アルカは洗練された動作でカップをテーブルに置いた。
ロイドはカップを手に取り、紅茶の香りを愉しむ――フリをする。
初摘みだの、産地が何処だの、特徴がどうのこうの言われてもさっぱり分からない。
だから、分かっているけど、何も言わない風を装うのだ。
もちろん、アルカはそれを承知している。
要するに家族でごっこ遊びをしているようなものだ。
父親らしく振る舞うのはなかなか大変なものだ。
ロイドはそんなことを考えながらカップを傾けた。
転生幼女は絆を紡ぐ サイトウアユム @saitoayumu
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