夢ノヨウナ色トリドリノ世界  ~episode 天~

ゆかじ

第二幕 少年が生き抜いた夢の世界

第1話 景色の違うセカイ

 十年前。日向ひなたそらという名の少年がこの世界へ姿を現した。その理由を探す暇もなく、天は魔族に襲われていた。


 当時、十四歳の天は自分の身を守る術を持っていなかった。見たことのない世界で見たことのない化物に襲われる恐怖。何が起きてるのかもわからずに魔族から逃げ回るしか生きる術はなかった。


 ――はぁはぁ……。気持ち悪ぃーな。なんなんだよ……。


 小型の魔族に追われ、森の中を一心不乱に走り回っていた。

 普通ならば命はない。だが、天は自分でも知らなかった才を発揮していた。


 ――――――


 天は幼い頃から小柄で病弱だった。それを心配した両親は天に体力をつけさせるために習い事をさせた。空手や合気道、少林寺拳法。剣道や柔道など。体力がつきそうな習い事を一通りだ。


 だが、これら全てを一度に習っていた訳ではない。天は負けず嫌いで辛い稽古も歯を食いしばって耐えていた。しかしながら、気持ちに体がついていけないと見た周りの者は無情にも途中で断念させられていた。新しい道場と先生。会話をしない見知らぬ仲間。勝手に限界を決められては両親を呼ばれ、自らの意思とは関係なく退会を余儀なくされていた。


 天はずっと思い通りにならない自らの人生につまらなさを感じていた。


 だが、森を駆け回る天は自分でも信じられないほどの体力に驚いていた。それを冷静に考える余裕はない。だが、思い通りに体を動かせることに高揚していた。

 これは単純に成長期により体が出来上がっただけの話。タイミングが良いといえば良過ぎる話だ。


 そして、森の中ですれ違うモンスターは天へ気づくも追いかけてくる魔族を襲う。


 ただ逃げ回る天は知らないうちに魔族を殲滅していたのである。


 これこそが日向天の開花した才。名前の通り、天運を味方とした。


 さらに幸運なことにこの時、魔族を呼び出していた闇の精霊は生まれたばかりの精霊であった。この闇の精霊もたまたまそこに生まれただけの存在。天と同じくその場に現れ、何も知らずに本能のまま魔族を呼び出していただけであった。これが少しでも成長をしている闇の精霊であれば天は呼び出された魔族に殺されていたであろう。


 その闇の精霊の名はリンダ。そのリンダは森の上級モンスターに襲われていた。

 魔力では優っていたものの戦いを知らないリンダは飛び回り、生まれ持った防衛本能で魔族を呼び出していた。だが、モンスターたちはそれを平然と払いのけていく。やがてリンダはモンスターに捕まった。


「た、助けて……」


 天はそのか細い声に気づき、近くに落ちていた錆びた剣を拾った。もちろん、天は本物の剣を握ったことはない。だが本能は天の記憶を呼び覚ます。


 ――思ったより重いな……。これだと一振りが限界かもしれねーな。


 天は習っていた剣道を思い出していた。考える暇も悩む時間もない。全ては本能のままにリンダを握っていたモンスターの腕を迷わず切り落とした。

 大量の血が吹き出す中、落ちた腕からリンダを奪い、その場から走り去った。


「く、苦しい……」


「あっ。悪ぃー。ちょっとだけ我慢してくれ。この森を抜けるまでなっ」


「う、うん……」


 高揚していた天の昂りはそのまま表情に現れていた。なんとも嬉しそうになんとも楽しそうに。そして、目の前のモンスターを倒した影響からか、その顔は不敵な笑みを浮かべる凶暴な顔へと変貌していた。


 天は小さい体のリンダを片手に握り、森を走る。だが、モンスターたちは容赦なく現れては次々と道を塞いでいた。このイナビの森でモンスターたちに囲まれた天はやがて逃げ道を失う。


 だが、天運はその状況を一変させた。この森の守護神イナビを呼び覚ましたのだ。リンダの魔力に呼応したイナビは森を黒い影で覆い尽くし始める。それを見たモンスターたちは姿を隠し始め、天は何事もなくイナビの森を抜け、グロールの村に駆け込んだ。


 村に着いてすぐに天はリンダを手から解き放った。少し羽が傷ついていたものの、リンダは天の周りを飛び回る。


 そして、たまたまそこにいたグロールの村人はその様子を見て叫ぶ。


「う、うわぁああ!」


 村人の獣人族は荷物を捨てて逃げていく。不思議そうにそれを見つめる天は村人の姿形に何か違和感を感じていた。


 ――な、なんだ? そんなに俺が珍しいのか? それに……あいつ人間じゃないのか? 耳の位置が完全におかしいだろ。


 ありもしない位置にある耳。顔の位置的に鼻に並んであるはずの耳が髪の毛から、頭からピョコンと飛び出していた。

 逃げる獣人族にあっけにとられた天はリンダに尋ねる。


「なぁ? お前、ここはどこだ?」


「知らない……」


「あいつはなんで逃げたんだ?」


「知らない……」


「…………お前。エルフってやつか?」


「エルフ? 私は闇の精霊のリンダ。あなたは人族ってやつでしょ?」


「人族? あー……。ここじゃそうなんだろうな。リンダだっけ? お前はあの森で何してたんだ?」


「別に……? 何もしてないよ。あそこで生まれたばかりだもん」


「ふーん……。ここって地球か?」


「……知らない」


 この場所がどこであるか。この世界が何であるか。天には知る術がなかった。見た目がエルフの生まれたばかりのリンダに何を聞いても答えは返ってくることはなかった。

 だが、天はそれとなく受け入れていた。この世界に来てからの自分の体の変調。見たことのない化物。そして、いるはずのないエルフとの会話。このこと自体が今の現実であると直感していたのだ。


 村の中をあてもなく歩く天とリンダの目の前に武器を持った集団が近づいてきた。

 そこには先程の逃げていった男の姿もあった。その男は天に指をさして叫んだ。


「あ、あいつだっ! あの少年が闇の精霊をっ!」


 大きい声と共に突如として現れた獣人族たち。声を荒げて天に近づく。その先頭を歩く中年と思しき髭の男性が天に槍を突き出した。


「答えろ。イナビ神を呼び起こしたのはお前たちか?」


 当然のように天には何のことかわからなかった。頭をボリボリとかき、何食わぬ顔で言い放った。


「そんなもん知るか! この世界すら何なのかわからねーんだよっ!」


 これは天の今言える真っ直ぐな言葉であった。だが、獣人族たちはそれをまともに取ろうとはしなかった。


「こいつは人族の姿をした魔族だ! グロールを襲いに来たんだっ!」


「そうだっ! 見慣れないその格好は魔族の証拠だ!」


 天の恰好は学校の制服。通っていた中学校の学ランだった。全身黒のそれはリンダを連れていたせいで闇の者と勘違いされていた。


「お、俺は人間だっ!」


 天の叫びは獣人族に届くことはなかった。

 槍を構えた男性はじりじりと近づいていた。


「あなた……。殺されるよ?」


 リンダは耳元で囁く。それは見たままの光景だ。天にもなんとなくだがそれはわ

かっていた。


「ど、どうすればいい? 俺は……こんなとこで死にたくない」


「戦えば? この世界は勝った者だけが生き残る。そんなの誰でもわかるでしょ?」


 リンダの言葉は天の心に響いていた。元の世界で何もできなかった自分。ずっと負けないために抗おうと歯を食いしばっていた自分。そして、結局は負け続けてきた自分。

 この世界に来てわずか一、二時間ほどだが、天は直感的にこの世界が自分に合うと錯覚していた。これまで動かなかった肉体。そして、あれだけの化物相手に無傷で生き延びたこと。


 天はニヤリと笑う。


「だよな……」


「…………」


 リンダはその表情を見て頬を赤らめ、思わず目をそらした。生まれてすぐに天と知り合い、命を助けてもらった。それはリンダに女を意識させ、何よりもリンダ自身、天のその凶悪な表情に見惚れていた。


 天は錆びた剣を構える。だが、無情にも男性の槍はいとも簡単に天の剣を弾き飛ばした。

 首元に槍の刃先を突きつけられた天は動けずにいた。


「魔族の者にしては殺気は申し分ない。本当に残念だ……」


 天の首からは血が流れていた。それは男性の槍の刃先が皮一枚分踏み込んだせいだ。


「さ、最後に教えてくれよ……。この世界ではどうすれば勝てる?」


「……ふっ。この期に及んで……勝つことに意味はない。生きることに意味があるのだ」


 天と男性の距離は人二人分ぐらいの距離。槍は近接的でありながらそのリーチを活かすことで本来の力を発揮する。少しでも前に突き出されたなら首を貫く状況。もはや天になす術はなかった。


 偶然とは巡り合わせの必然と呼べるものもあるだろう。未来が見えなければ偶然はただの偶然。未来がもし見えたなら偶然は必然と呼べるのではないだろうか。


 そして、その偶然がその時に起きた。ここまでくると真の天運と呼ぶしか他はない。その必然は天の命を救った。


 イナビが森を飛び出してグロールの村まで降りてきたのだ。男性の槍を持つ両手に力が入った瞬間の突然の警報。やかましくも鳴り響く警報に獣人族たちは慌て始めた。それは皮一枚ギリギリのところで天の命を救った。


 髭の男性は静かに槍を引いた。


「警報では仕方あるまいっ! 全員っ! 避難指示と防衛準備っ!」


 男性は慣れた様子で村人たちに指示をしていた。天の命を奪おうとした槍を投げ捨て、男性は背中に背負っていた剣を抜いた。


 それは大きくも分厚く、まるで新品のような輝きと共に太陽の光を反射する。


「闇の者よ。お前たちを信用した訳ではない。だが、命は平等であるべきだ。協力を願いたい。そこの精霊。おそらくはお前の魔力に呼応しているのだろう。願わくば森へと誘って欲しい」


 だが、リンダは男性の言葉に耳を貸そうとはしなかった。


「はぁ? 世界の理に抗いたいなら抗えば? 私には関係ないし」


 それを聞いた天はリンダの体を鷲掴んで顔を近づける。


「おい……。このおっちゃんが命とか言っただろっ! お前も命を大事にしろよっ!」


「……わ、私は……」


「うるせーっ! お前を助けた意味がなくなっちまうだろっ!」


 天はあろうことかリンダを叱りつけた。それは何も知らないリンダにとっては衝撃であり、何よりもその本気の表情にリンダは恋に落ちた。


「ご、ごめんなさい……」


 天は泣きそうな表情のリンダを握った手の力を緩める。 


「わ、悪い……。な、泣くなよ……。でもよ……。一緒に生きようぜ? 俺はこのおっちゃんが言ってることが正しいと思ってる。だからよ……。お前も一緒にな?」


「…………はい」


 つつましくも返事したリンダは硬直して発光した。

 それは精霊が主となるべく者を信用した証拠であった。


「あ、あれ? こいつ動かないぞ……」


「少年よ。それは精霊が君を主と認めた証だ。彼女を生かすも殺すもお前次第だ。その覚悟があるならば手に取り、契約するがよい……」


 天は男性に言われた通りにリンダを両手で優しく包んだ。リンダは天の手の中で一度大きなあくびをする。天に気づき、慌てて恥ずかしそうに尋ねた。


「…………。あ、あなた様のお名前は?」


「俺の名前は日向天だ」


「ひなた……そら……。天様……。あなた様の命じたままに……」


「命じる? ……んなことするかよ。お前は俺と一緒に生きるんだ。さぁ……やってやろうぜっ!」


「そ、天様……。そのお顔は素敵過ぎです……」


「リンダだったよな? よろしくなっ!」


 無邪気な笑顔で天はリンダと契約した。何も知らない二人が同じ場所で出会い、互いを認め、まさに運命とも呼べる出会いをした。


 男性は天に指示をし、天はリンダに指示をする。イナビを森に誘い込んだ天たち。そして、男性はその分厚くも重そうな剣を手に巨大なイナビ相手に一歩も引くこともなく撃退した。

 黒い影に吸い込まれるようにイナビはその姿を消した。それを眺めていた男性はそっと口を開いた。


「ふぅ……。イナビ神は戻って行くようだな。時に少年? まだ勝ちにこだわるか?」


「そんなのわかんねーよ。でも……俺を信じてくれたのはおっちゃんだろ?」


「……ふっ。あははははは……」


 天はリンダと共にグロールに迎えられた。そして、天はグロールで約二年、その男性に剣術を習い、過すことになる。 


 だが一方で、グロールの村ではリンダは良くは思われていなかった。

 闇の精霊自体、どこにいても忌み嫌われ、共にいた天にすらその弊害はずっとつきまとっていた。 


「天様……。今日も私のせいで陰口を……」


「気にするなよ。別に悪いことしてないだろ? そんなことより腹減ったな?」


「天様……」


「それにしてもおっちゃんは凄いよな……。勝てる気がしねーよ」


 天は男性に剣術を習っていた。元々、体力の問題があっただけで、体が動く天は教えられた剣術を当たり前のように飲み込んでいく。かつて、自分の意思とは裏腹に全てを否定された鬱憤を晴らすかのように。


 天の師匠とも呼べる髭の男性の名はヒューズナイト。当時、グロールはギラナダ領ではないものの。おそらくは現ギラナダ全土で一番であったと思われる剣術の達人であった。その証拠に彼は伝説の剣を使いこなしていた。そして、グロールの村の自警団のリーダーで村には必要不可欠な人物であり、絶対的な存在であった。


「天よ。力に任せてはその次の攻撃がおろそかになる」


「わ、わかってるよっ!」


「わかっていてもそれではな……。一つ、教えてやろう。お前は魔力を持たない。この世界には魔力が重要なのは教えたな?」


「お、同じこと何回も言ってんじゃねーよ」


「ふっ……。では、なぜお前が私に勝てないのか知りたいか?」


「それは……。魔力がどうとか……」


「剣術は魔力ではない。お前はなぜこの世界を認めない。それがある限りは勝てないであろうな……。今日はここまでだ。また明日だ」


 天は剣士としては一流以上の素質を備えていた。基礎はもちろんのこと。心と体が繋がった時点で諦めを知らない天はその才能を発揮し始めていた。だが、ヒューズナイトには遠く及ばずにあしらわれる日々を過ごしていた。


「天様。今日も傷が……」


「どうってことねーよ。こんなの……。なぁ? リンダ。俺は何を認めればいい? この世界の何を……」


「そ、それは……」


 天は伸び悩んでいた。そして、その答えはリンダにはわかるはずもなく、いたずらに日々が過ぎていった。


 ――――――


 天は時折、イナビの森に出向いては上級のモンスターを倒して回っていた。かつて逃げ回るしかなかった時とは比べ物にならないくらいにあっさりと倒し、その成長を肌で感じていた。だがその反面、一向にヒューズナイトには歯が立つことはなかった。


 そして、およそ半年が過ぎた頃に天はある人物と出会う。


 その日もヒューズナイトに勝てない苛立ちをイナビの森に住まう上級モンスターにぶつけていた。


「はぁはぁ……。こいつはなかなか……」


「天様。今日も素敵です……」


 鬱憤を晴らし、帰ろうとした時。森の奥で悲鳴がこだました。


 すぐにその場に向かったものの、そこには腕と足を切断された一人の女の子が横たわっていた。その側には無数の魔族の姿。天は本能のままに斬りかかる。


 やがて。魔族を殲滅した天はその女の子の側に近寄る。そこは血の匂いが漂い、酷い姿をした女の子が呼吸を荒げていた。


「お、おいっ! だ、大丈夫かっ!」


「はぁはぁ…………。か、体が冷たいんだ……がはっ!」


 天は血まみれの女の子を見て動揺を隠しきれなかった。血にまみれ、真っ赤に染まった服。ちぎれた腕と足。何よりも死へ直面した人の顔を見るのは初めてだった。


「し、しっかりしろっ! うっ……」


「そ、天様っ」


 天は女の子の姿や血の匂いに嘔吐した。小さい手で背中をさするリンダは呟く。


「天様……。この方を助けましょうか?」


「で、できるのか? リンダ? うっ……うええ……」


「はい。自らの命をこの方に寿命として与えます。長寿の精霊のみが持つ力です。天様の命令があれば……」


 リンダもまた成長していた。天と共に日々を過ごしていく中で、天が最も大事にしていた命というものを意識し始めていた。剣の師であるヒューズナイトから教えられたこと。「命は平等であるべきもの」。天はそれを心に刻んでいた。そして、リンダも天のその考えを共に心に刻んでいた。


「天様。この方はあと数分の命です。私の寿命を……」


「リンダ……。いいのか? そのせいでお前に会えなくなるのは俺は耐えられない……」


「大丈夫です。人族の寿命はせいぜい百年です。私の寿命は二百年ほど。それに……天様にそんなこと言われたら本当に離れられなくなってしまいます……」


「離れるわけねーだろ。お前は俺と一緒に生きるんだ。ほ、本当に大丈夫なんだな?」


「は、はい。天様のお役にたてるのなら……」


「…………リンダ。この女の子を助けてくれるか?」


「はいっ! ……闇の精霊の名において命ずる……―――」


 リンダは瀕死の女の子に自らの寿命を分け与えた。女の子は眠ったように目を閉じる。そして、天によってヒューズナイトのもとに運ばれた。すぐにグロールの村の医師に診てもらい、傷口を塞いでもらった。

 この時、医師はこれほどの傷で生きているのは信じられないと語っていたという。


 それから一ヶ月ほど経った日に、天はリンダと共に女の子のいる病院を訪れていた。奥の病室で女の子は窓の外を静かに眺めていた。


「よ、よお……。大丈夫か?」


 突然声をかけられた女の子は片手でシーツを掴んだ。その姿を見られたくなかったのだろう。慌てて隠そうとするも女の子の手からはシーツがベッドの下へとすり落ちていく。


 天は無言でそれを拾い、女の子の全身にシーツをかけた。


「…………」


 少しの沈黙が続いた後、女の子は思い立った顔で口を開いた。


「ここはどこだい? あの化物は?」


 女の子は天に尋ねる。それを聞いた天は興奮気味に女の子に問う。


「お、お前……。人間か? 日本人だろ? なぁ? そうだろ?」


 女の子は虚ろな目をしていた。窓の外を眺めてゆっくりと口を開いた。


「私は緋野ひのみどり……。十五歳の高校一年生だった……」


「ひの……みどり? どうやってこの世界に来たんだ? だったって何だ?」


「わからないんだ……。本当に何もわからないまま気がついたらあの森にいた。そして、化物たちが現れていきなり私を襲った。どうしてこんなことになっているのか考える間もなくね……。でもね……これは直感だよ。おそらくこの世界は異世界。あたしはここに来た時点で向こうの世界から完全に分離されている」


 緋野翠と名乗る女の子は淡々と口を開く。


「君はこの世界に馴染んでいるようだけど……。そのエルフは本物かい?」


「あ、あぁ。こいつはリンダ。俺の……俺の―――」


 天が言葉を詰まらせているとリンダは緋野翠の目の前に羽ばたき、おじぎを一つ。


「伴侶です。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私はリンダと申します。いつも天様がお世話になっております。うふふ……」


 ――伴侶? 伴侶ってなんだ? いつも世話になんかなってないだろ。何言ってるんだこいつは。


「リンダ……。リーちゃんって呼んでいいかい? それにしてもかわいいね?」


「かわいいだなんて……」


 体をくねらせて両手を自分の頬に当てたリンダは緋野翠の肩にちょこんと座った。


「エルフって本当にいるんだね? 君の場合はダークエルフとでも呼んだ方が正しいかもね……。ところで君はそらさまっていう名前かい?」


「俺は日向天だ。緋野翠とか言ったな? どうしてここが異世界だってわかるんだ? 何か根拠があるのか?」


 緋野翠は窓の外を眺める。


「こんな見たことのない世界だ。海外でもなければ地球だとも言えないだろ? 次元が違う世界……。これを異世界と呼ばずにはいられないよ……」


「そ、そうだよな……。なんで俺やお前はここにいるんだろうな……」


 天の言葉は長い沈黙を作った。お互いにここにいる理由はわかるはずもない。緋野翠に至っては死を一度体験しているようなものだ。何も知らずに魔族に襲われ、同じ日本人で同じ境遇の天に助けられた。生き延びたとはいえ、その紛れもない姿に天は言葉をかけることができなかった。


 天とリンダは病室を後にした。ただ一言。去り際に「また来るよ」と言い残して。


 ――――――


 グロールの村では相変わらずヒューズナイトに剣の稽古をつけてもらう毎日だった。緋野翠と話す前とはどこか違う様子にヒューズナイトは剣を握る手に力が入っていた。


 ――天のやつ、これまでとはどこか違うな……。殺気が薄くなっている。いや……。感情をコントロールできるようになったというべきか。ようやく認めたのであろうな……。自らの運命を。では……。


 ヒューズナイトは天の剣を叩き落とした。そして、首元に剣を突き立てる。


「天様っ!」


 リンダが叫んだ理由は当然だ。ヒューズナイトには偽りのない殺意がこもっていた。普段の稽古ではここまでしたことはない。


「天よ。私はお前に剣術を教えている訳ではない。その意味がわかるか?」


「…………うるせーよっ!」


 天は分厚い剣を両手で掴んでヒューズナイトの又の下をすり抜けた。そして足を掴み持ち上げる。


「このやろうっ!」


 当然、ヒューズナイトはバランスを崩した。持っていた巨大な剣は大地に刺さる。だが、それを軸にヒューズナイトは体を回転させる。前方宙返りとでも言おうか。身軽でありながら華麗な動きで天から離れた。そして、ヒューズナイトは剣を大地から抜き、鞘に納める。


「ははは。惜しかったな。だが、それでいい」


「なんだよ……。もう終わりか? おっちゃん」


「ふっ。今日はここまでだ。これから行くところがあるからな」


「ちっ……。わかったよ。それでどこ行くんだ?」


「ギラナダ王国。ここより南に下った王国都市だ」


「ふーん。まぁ、俺には関係ないからな。行くぞっ。リンダ」


「はいっ。天様。今日は何を召し上がりますか? お肉ですか? お野菜ですか? それとも……私とか? キャっ!」


 その場を離れる天とリンダはヒューズナイトに呼び止められる。


「……天。お前も行くか?」


「いいよ。面倒臭い……。都会はあまり好きじゃないからな」


「……お前たちのような異世界者が何かを知りたくないのか?」


「お、おっちゃん……。知ってるのか?」


「いや。私は知らない。だが、ギラナダにその研究をしている知り合いがいるものでな。そいつに会いに行くのだ。どうだ?」


「そこに行けば何かわかるのか?」


「それはわからんよ。だが、この世界を受け入れ始めているお前にとっては悪くないと思ってな。世界を知ることは今の自分の置かれている立場を知ることと同じだ。お前がこのまま修行を続けたいのなら私について来い」


 ヒューズナイトはそのまま歩き始めた。


 少しずつ離れていくヒューズナイトの背中を見ていた天は黙ってその後ろをついて行く。それは天がこの異世界を完全に認めた決断であった。緋野翠の存在により、天は少し甘えていた自分に別れを告げた。ずっと何かに守られているような感覚は天も感じてはいた。だが、緋野翠の切り刻まれた体を見てここが現実だと認めざるを得なかった。仮に同じことが起きた場合、生き延びるために何をするべきかを天は認め、そして決断した。


 それは自分の身は自分で守ること。そのために必要なものは全て習得すべきこと。


 そして、生涯この異世界で生きていくことを。



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