エルネスVS凶暴な獣
「――カナタさん、少し待ってください」
その直後にエルネスが声を潜めた。
彼の方に目を向けると、周囲を警戒するような素振りを見せている。
俺は戸惑いながら同じように辺りの様子に目を配った。
この目では異変の正体を見つけられそうにない。
――ふとそこで、何かがこちらに近づいてくる気配を感じた。
離れた藪の向こうでがさがさと草木が揺れている。
「そこを、動かないでくださいよ」
俺は頷いてエルネスの指示に従った。
やがて、音の正体が分かった。
少し先の茂みの中から、一匹の大きなイノシシが姿を現した。
全身を薄い灰色の毛に覆われて、口の横からは牙が伸びていた。
日本にいるものよりも少し体毛が白っぽく見える。
偶然出てきただけのようで、まだこちらの存在に気づいていなかった。
牙で地面を掘ったり、周囲をのっそりと歩き回ったりしている。
「……デンスイノシシですね。凶暴な性格なので気をつけましょう」
エルネスは身を低くして、じりじりと距離を詰めている。
危険だと言っているそばから何をするつもりかと思ったが、無闇に声を出せばイノシシを刺激してしまいそうだった。
息の詰まるような状況の中で、周囲の空気が揺れるような奇妙な感覚がした。
思わず確かめようとすると、エルネスの足元から氷の柱が一直線に伸びていった。彼が魔術を発動したことだけは分かった。
その氷はイノシシの足元に命中して、凍りつくかたちで動きを停止させた。
突然のことにイノシシはパニックに陥り、かろうじて動かせそうな頭や胴体を揺するようにして逃れようとしている。
「よしっ、上手くいったようですね」
エルネスは誰にともなく呟いた。
氷の拘束は強固なようで、イノシシが暴れても緩むことはなかった。
必死の抵抗が徒労に終わるのを見て、なんだか哀れに思えてしまった。
「さて、締めに入るとしましょう」
エルネスはそういってイノシシに近づいていった。
とりあえず、拘束された状態で襲いかかってくるようには見えなかったので、彼の後についていくことにした。
「……やっぱり、殺してしちゃうんですよね」
「ええ、組合に駆除依頼も来ていましたし、貴重な食料にもなります」
エルネスは淡々とした口調だった。
その様子から手慣れているのだと感じた。
イノシシに近づくと荒く息をしており、大きな胴体に比べて小さい両目には興奮と恐怖が入り混じるような色が読み取れた。
何だか哀れに思えてしまうと感傷に浸りかけたところで、エルネスがイノシシの真横に立った。その後は流れるような彼の動作に目を奪われるばかりだった。
エルネスは取り出した大ぶりの刃物でイノシシの胸の辺りを一突きした。
それは急所への一撃だったようですぐに動かなくなった。
「……死んだんですか?」
「ええ、絶命させなければ運べませんし、何かの拍子で僕たちが身の危険に晒されることもありますから」
エルネスはそう言いながら、持っていたナイフで牙の辺りを削り取っている。
熟練の猟師のような手際のよさだった。
「……異世界でもこういうことがあるんだな」
俺は思わず両手を合わせて合掌していた。
「さて、申し訳ありませんが、魔術の練習は中断です。このまま置いておくと、他の動物に食べられてしまいますし、肉は鮮度が命です」
彼はどこからか取り出した縄でイノシシを縛り、そのまま背中に担ぎ上げた。
「けっこう力持ちなんですね」
「えっ、これぐらい普通じゃないでしょうか。もう少し大きいものでも一人で運ぶことはありますよ」
イノシシは80センチ以上の大きさで、控えめに見積もっても40キロ近くあるだろう。日本だったら車で運ぶようなサイズだ。
色白で細く見えるエルフの彼だが、意外にも筋肉質なのか。
「手伝わ……なくても大丈夫ですよね」
「ええ、大丈夫です。それでは街へ戻りましょう」
俺とエルネスはその場を後にした。
魔術の練習を中断したことは気にするほどでもなかったが、イノシシとの遭遇やエルネスの馬鹿力に驚きの連続だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます