宿屋グランディス
見知らぬ街を歩くのは楽しい。
学生の頃まではそう感じていたことを振り返る。
初めて行った修学旅行、同級生とのちょっとした冒険。
そんな好奇心も大人になると減っていたと思う。
遠い世界の街を歩きながら、不思議と感傷的な気持ちになっていた。
レギナの街は昼下がりの時間帯から夕方に移っていくところだった。
この街はウィリデに比べて少し騒がしく感じるが、都市の喧騒を思い出せてくれるぶんだけ落ち着ける感じもあった。
おそらく、静かに穏やかにすごしたいならウィリデの方が向いている。
さて、肝心の宿探しだが、リサが必死に歩き回って探しているところだ。
一軒目が空振りに終わってから、またもや早足になっている。
今日の寝床が彼女の働きにかかっているので、俺とエルネスは何もいわずに後ろに続いていた。エンジンのかかったリサに余計な口出しをしようものなら噛みつかれそうな勢いがあるからだ。
先ほど二軒目も満室だと分かり、続いて三軒目に向かって歩いている。
街並みを眺めているだけでも楽しめるものの、宿が見つかるまではゆっくりできそうにない。もっとも、明日以降も時間はあるのだから焦る必要もないだろう。
冒険に出た子どもみたいな感想かもしれないが、今回の旅で少しは精神的に成長できた気がする。以前の自分はもっと余裕のない性格だったような記憶がある。もしかしたら、仕事に追われない日々というのも関係しているのだろうか。
旅に夢中で意識することすら稀だったが、自分は地球の日本人であってこの世界の住人ではない。村川の装置が使える以上、いつかは日本へ帰ることになるのか、あるいはそうでないのか。今の時点では何ともいえない。
ウィリデの人たちは長く住むことを歓迎してくれるかもしれないが、それは虫がよすぎるような気がして後ろめたい感情を覚える。
行き交う人々とすれ違いながら、幅の広い石畳の道を歩く。
どこまでも続く西洋風の街並みを横目に前を行くリサの後に続いた。
「さあ、今度こそ空いてるわよね!」
リサはそう意気込んで三軒目の宿屋に入っていった。
三階建てでしっかりした作りの建物だった。
鋭角のとんがり気味の屋根とやや縦長な外観が印象に残った。
三つの中で一番大きいところなので、さすがに空いているのではと思った。
日本の都市部や観光地ではあるまいし、予約なしでは泊まれないということはないだろう。まあ、これにはいくらか希望的観測もこめられているが。
時間にして五分ほどだろうか。
少し長引いているなと思いかけたところで、リサがこちらに戻ってきた。
「やった! 空いてたわよ。二部屋とれたから、私が一部屋でカナタとエルネスが同じ部屋でいいわよね」
「それはもちろん」
「ええ、そうしてください」
俺たちは荷物を持って中に入っていった。
宿の名前はグランディスと看板に書いてあった。
一階は共有スペースのようになっていて、椅子とテーブルが並んでいる。
ルースの宿のように厨房は見当たらず、ここでは受付が設けてあった。
「いらっしゃい、店主のアンナだ。よろしくね」
「ああっ、これはどうも」
少し大柄で目鼻立ちのしっかりした中年女性が話しかけてきた。
彼女はこちらを不思議そうにじっと見つめていた。
「……お客さん、何だか珍しい髪の色をしているね。肌もそんなに白くない。一体、どこから来なすったんだい?」
「……えーと、東の果ての国から来ました」
極東という言葉が脳裏に浮かび、適当に答えておいた。
こういう時に細かい説明をするのは苦手だった。
「ほう、そりゃまた遠いところから」
アンナは驚いたように目を見開いた。
彼女は滅多に見られないものを見たかのような反応だった。
「……ところで、ここに食堂はないんですか?」
「うちは素泊まりだから、夕食なら外で食べてきてくれるかい。レギナなら食堂は何軒もあるから、好きなところで食べてきたらいいさ」
それから部屋の場所と料金について説明を受けた。
人数で計算する方式のようで、一人あたり30レガルだった。
階段を上った二階に俺たちが泊まる部屋があった。
街の雰囲気的に物騒なことは起きそうにないが、女性一人ということもあって、リサの部屋も同じ階にあるのは幸いだったと思う。
ルースの宿は道沿いにあったが、レギナよりも田舎にあったので鍵はなかった。
さすがにここの方が部屋数が多いこともあって、しっかり鍵がついていた。
こちらの世界に来てから、初めて見るセキュリテイーへの意識だった。
俺とエルネスは部屋に入って荷物を置くと、二つあるベッドをお互いで割り振って各々のベッドに腰かけた。少し固い気がするが、苦になるほどではない。
「いやー、残金が減ってきました。レギナ周辺を散策して帰るプランにしてちょうどよかったと思います。ルースはだいぶ良心的だったんですね」
「オオコウモリの仕事で報酬に100ドロンお渡ししましたが、宿代で目減りしていますよね。帰ってから依頼を手伝ってくれるならある程度はお貸しできますよ」
エルネスの提案はありがたいが、すぐに同意していいものか。
彼には世話になりっぱなしだった。
「うーん、なるべくそうならないようにしたいですけど、もし困った時はお願いします。ただ、行きで50ドロンかかったってことは帰りも同じかそれ以上か……なかなか厳しいですね」
俺は思わず頭を抱えた。こんなことなら、もう少しエルネスの手伝いをしてからでもよかったかもしれない。もしもの時は貴重品を売り払って身銭にするしかないのか。仮にスマホを売り払うとして価値がどう理解されるか未知数すぎた。
魔術の師匠であり恩人のようなエルネスにお金を借りるというのは、精神的に抵抗があることだった。もちろん、今ぐらい魔術が使えればウィリデで報酬を得るのはそう難しいことではないと思う。
「カナタさん、深刻な顔になっていますよ。僕は魔術組合の仕事である程度お金に余裕があるので遠慮しないでください」
「いやはや、かたじけないっす」
エルネスの優しさが胸にしみた。
魔術だけでなく、人生の師匠と呼んでもいいぐらいだ。
しばらく彼と会話を続けていると、コンコンとドアをノックする音がした。
それが誰かは考えるまでもなかった。
「カナタ、エルネス入るわよ」
「ああっ、どうぞ」
「さあ、食事に行きましょ。せっかく来たんだから出かけないと」
部屋にやってきたリサはテンション高めだった。
「あれだけ歩いたのに疲れを感じさせないとはすごい」
「エルフの体力を甘く見ないで」
たしかにエルネスもそう疲れたようには見えない。
「いいですね、行きましょうか」
「そういえば、エルネスもフォンスというかレギナ初めてでしたね」
「ええっ、カナタさんと同じ立場ですよ」
「それじゃあ出るとするか。二人とも先に出て、鍵はっと……」
俺たちは宿屋グランディスを出て、夕暮れのレギナに繰り出した。
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