ルースの宿
「……たぶん、あいつの仕業ね」
「やはり、リサも同じ考えですか。そう断定するには情報が不足していますが、森の中ですれ違った人物が手を下した可能性が高そうです」
人だかりを離れてから、おもむろに二人が口を開いた。
俺は会話についていけず、ただ聞いているだけだった。
「おそらく、盗賊は相手が一人だからと油断して襲おうとしたのでしょう。それで返り討ちにあったと推測できそうです」
エルネスの言葉はいつになく重たい響きがあった。
彼の見立ては十分に可能性がありそうだ。
「……妙に殺気じみてたのは盗賊を殺した後だったからなのね」
リサは納得するようにいった。
突然の出来事に俺だけでなく、エルネスやリサも戸惑っているように思えた。
まさか殺人の現場に居合わせるなど想像していなかっただろう。
ウィリデの雰囲気からしてそうそう刃傷沙汰が起きているようには見えないので、彼らがそういった事件に慣れているとはとても思えない。
新聞やニュースというかたちで、自分のほうが殺伐とした出来事に慣れてしまっていると考えると複雑な思いがした。どうしようもないことではあるが。
周囲の景色はしばらく田園風景ばかりだったが、そこを通りすぎると緑の広がる草原が続いていた。道沿いの民家はまばらだったので、フォンスの中心部まではまだ距離があるのだろう。
先ほどの出来事の影響で二人が憔悴していないか気がかりだったこともあり、宿が見つかれば早めに休んだ方がいいと思った。
雲が広がり始めてからは薄曇りの空模様が続き、空気も重たく感じる気がした。
俺自身も気分が晴れないまま、黙々と歩き続けている。
前方に注意しながら進んでいると、「ルースの宿」と書かれた看板を目にした。
その看板から数十メートル先の草原の脇に一軒家がぽつりと建っている。
「エルネス、あれってもしかして宿ですよね?」
俺は看板と建物を交互に指さした。
「……はい、たしかに。少し早いですが、空いているようなら休ませてもらうようにしましょうか」
「もう少し先に進んでからと思ったけど……ちょっと疲れたかもしれないわ」
俺たちの意見はほぼ一致していた。
自分以外の二人にやや元気がない様子が見られるので、ルースの宿が使えそうなら翌朝まで滞在するのはありだと思った。それに道沿いにあるのは使い勝手がいい。
店の前に行くと、さっきまで建っていたタイプの建物とは異なる趣きだった。外壁にはレンガのような茶色い素材が使われて、屋根には暗めの色の洋瓦が使われている。
石と岩だけを組み合わせたように見えた建物とは根本的に違いがあった。
当然ながら、宿として客を集めなければいけないことは関係あるだろう。
誰が確認に行くのかと思ったが、エルネスが率先して店のドアを開いた。
俺とリサはその場にとどまって、成り行きを見守っている。
少しの間待ってみたが、エルネスは変化の乏しい様子で戻ってきた。
彼が言うまでもなく、なんとなく結果が読めてしまう。
「宿自体は営まれていると思うのですが、店主は不在のようでした」
「あれっ変よね、開けっ放しで出かけるなんて」
リサが首を傾げていった。
同じように不思議に思ったところで、どこかで悲鳴のようなものが聞こえた。
俺はそれが気のせいなのか分からなかったが、リサは素早い反応を見せて走り出した。彼女の様子を見てすぐに後に続いた。
「――こっちよ」
リサは駆け足で先を進んでいく。
遅れないように後についていくと、草むらと林の境い目が見えた。
ちょうど林が切れる辺りに一人の人影とその回りを取り囲むイノシシがいた。
「……あれはデンスイノシシか。四、五頭はいるな」
「あの人を助けるから援護して」
どうすべきか決めかねていると、リサがイノシシに接近するところが目に入った。
少々危険な気もするが、魔術の準備をして手助けすることにした。
――全身を流れるマナに意識を向ける。
追い払うだけでいいのなら、そこまでむずかしいことはない。
ただ、群れで動いているイノシシに威嚇が通じるだろうか。
すでに距離をつめているリサとは対称的に、俺は距離をおいて対峙していた。
「おおぅ、お嬢ちゃんたち助けてくれ! 罠にかかったイノシシを回収してたら仲間が集まってきて襲われてる」
「大丈夫よ、もう少し待って」
リサはそういって勇気づけた。
男性は周りを囲むイノシシでパニックになりかけているようだ。
彼女は足元の石を拾って、男性の一番近くにいたイノシシに投げつけた。
それが直撃して、イノシシは後ずさった。
しかし、別のイノシシが彼女に向けて突進の構えを見せている。
おそらく、どうにか避けるだろうが、相手の数が多いので油断は禁物だ。
リサとイノシシの間合いが広いうちに、魔術を仕掛けたほうがいい。
俺は火の魔術を発動して、手のひら大の火球を放った。
その一撃が命中して、イノシシの毛が焼け焦げる煙が上がった。
さすがに火の玉が直撃して怯んだらしく、その一匹は後ずさった。
「――まだです。ボスイノシシがいますよ」
「……あっ、あれですか」
少数の群れを確認すると、一際大きな一匹がいた。今まで見たこともない大きさで凶器にしか見えない牙を携えている。
同朋が罠にかけられたのが逆鱗にふれたのか、逃げ出そうとする男性に狙いを定めているように見える。これは危険だ。
リサがそれ以外のイノシシを追い払ってくれたので、残るはそいつだけだった。
俺は火の魔術を発動しながら狙いを定める。
狙いを誤るわけにはいかないので、じりじりと距離を詰めて調整した。
こちらが接近すると、威嚇するように牙を突き出す動作を繰り返している。
「――よし、いける」
俺はさっきよりも大きめの火球を発動して、標的に目がけて放った。
手のひらの先から炎が上がり、勢いよく飛んでいった。
「ふごおおお――」
火の玉の直撃を胴体に受けて、ボスイノシシは翻って逃げていった。
遠巻きにボスを見守っていたイノシシたちもそれに続いた。
「いやあ、助かった。おれはルースだ。あそこで宿屋をやってる」
男性はルースと名乗った。どうやらあそこの主人のようだ。
年齢は俺より少し年上――三十代後半ぐらいだろうか。短めの金髪に伸びた髭、適度に筋肉のついた健康そうな体つきをしている。
「無事で良かったですよ、ほんとに」
「今日の晩飯にと思っていたら、いつの間にかああなってた」
ルースは照れるような笑いを浮かべていった。
俺たちがいなければどうなっていたか分からない。
「ところで、宿に泊まらせてもらいたいんだけど?」
「なんだ、あんたらうちへ泊まりたいのか。ちょうど今日は空いてるからいいぜ。まあ、まずは宿に入ろう」
ルースはそういって罠にかかったイノシシを外そうとした。
しばらく様子を見守っていたが、手伝いは必要ないみたいなので、俺たちは引き返して宿に向かった。とりあえず、今日の寝場所が確保できて安心した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます