日本人との再会 その1

 こちらの世界の夕方時。

 今回はフランツの営む食堂で夕食を摂ることにした。


 彼の店が飲食店ということもあって、一度宿舎に戻って土埃や汗を流し、別の服に着替えてから出発した。

 ウサギ退治で色んな汗――冷や汗や脂汗など――をかいたり、エルネスがとどめを刺したものを整理する時に服が汚れたりしたのだ。


 フランツの店は宿舎から離れていて、街の中心を少し外れたところにある。

 そのせいか、いつ行っても適度に空いているところもお気に入りポイントの一つだった。もちろん、中心部には他にも食事ができる場所はある。


 夕暮れの街並みを歩いて店の近くまで来たところで、食堂からがやがやとにぎやかそうな声が聞こえてきた。どうやら、ずいぶん繁盛しているようだ。 

 

 今までとは違う様子に驚きながら、店のドアを開いた。

 店内を確かめてみるとほぼ満席だった。


 そう広くない店の中の人口密度が高くなっていた。

 調理場の方を向くと、フランツが忙しそうに動き回っているところが目に入った。

 おまけに初めて見るような女性のアシスタントまでいる。


 さすがにこれ以上忙しくするのは気の毒だと思い、また出直すことにした。

 俺は調理場の方に背を向けて、店を出ようとした。 


「――おやっ、夏井か?」

「……村川じゃないか」


 聞き慣れた声に反応すると、声の主は異世界への扉を作った村川だった。

 日本語を耳にするのはずいぶん久しぶりだと感じた。


 村川の座っている席の近くに空席があった。

 このまま帰るつもりだったが、いったん腰を下ろすことにした。


「どうだ、異世界での生活は楽しめているのか?」

「ああっ、それなりにね。お前が下準備してくれたおかげもあって、生活していて困ることはないよ」


 村川はダークブラウンの開襟シャツにチノパンという出で立ちだった。

 こちらで見かけた時はワイシャツにスラックスという普段の研究者スタイルだったので、新鮮味のある服装に見えた。


「国王と定期的に会うんだが、最近もっと街を出歩けと叱咤された。おまけに大臣にはカナタを見習えと言われる始末だ。そっちはだいぶ溶けこんでるみたいだな」

 

 村川は感心するような面持ちをして見せた。

 他人にほめられるのは悪い気がしない。


「溶けこめてるかは分からないけど、そんなに評価が高いなんて知らなかったよ」

「――おう、カナタ。今日はてんてこ舞いで悪いな! ちょうど、デンスイノシシの肉が入ったところでみんなそれ目当てで来てんだ。お気に入りの腸詰めもいいけど、よかったら食べてみるか?」

  

 客に料理を配り終えたフランツが話しかけてきた。

 今宵の繁盛っぷりに充実したような表情をしている。

 

「イノシシか……そうだね、せっかくだし食べてみようかな」


 タイミングが良すぎるので、エルネスが仕留めたやつという可能性もある。

 まさか、フランツのところで食すことになるとは。


「よし、任せてくれ! 最高の料理をご馳走するぜ!」

 そう豪語してフランツは調理場に戻っていった。


 値段を聞きそびれたことを思い出したが、エルネスが10ドロンあれば食事に十分だと言っていたので、忙しそうなフランツを呼び戻すのはやめておいた。それなりに空腹でもあったので、手早く料理が完成するのならそれに越したことはない。


「……ところで、村川が食べてるのは何の料理だ?」

 

 左右に取っ手のついた白っぽい陶器に小ぶりな肉と香草とじゃがいもが盛りつけられている。言い方は悪いが、この店にしては上品な料理に見えた。


「ああこれか、たしか野ウサギの何とか焼きだと思う。この店のおすすめ料理は何かとたずねたら、新鮮なウサギ肉が入ったばかりでどうのこうのと」

  

 もしかして、その肉はエルネスと仕留めたミノルウサギではないだろうか。

 世間は狭いというか何というか、わざわざアピールすることでもないので、そのことには触れないでおくことにした。


「……ところで夏井は向こうへ帰らなくていいのか? 当然のことだが、こちらにいる間も同じように時間は進んでいるぞ」

「そうだな、元々一人暮らしで心配する家族もいないし、取り立てて戻りたい用事もないから今のところは問題ない」

「絶対に帰れるという保証はできないから、戻りたい時はいつでも言ってくれ」

「ああっ、わかった。ありがとう」

 

 正直なところ、今は元の世界に戻るとしても心惹かれるようなことはない。

 貯金が残してあるとはいえ、必然的に職探しはついてまわるし、どちらにいる方が楽しいかといえば言うまでもなかった。


 俺は生まれ育った世界に愛着がないのか、そればかりは分からない。

 ここしばらくはこの世界に魅力を感じ、生きることに充実感を覚えている。


「――はいよ、待たせたな! デンスイノシシのステーキだ」

「おおっ、美味しそう!」

 

 フランツがクリーム色の皿に盛られた厚切り肉を運んできた。

 思わず声が出てしまうような美味しそうに見える料理だった。


 焼きたての肉からは肉汁が浮かび出し、熱を帯びたソースから湯気がこみ上げていた。たっぷりと脂のついた切り身に食欲が刺激される。

 イノシシ肉を食べたことはないので詳しくはないが、近い種類というのが納得できるように、見た目はスーパーで売っているような豚肩ロース肉によく似ていた。

 

 ――あとは食べてみれば豚のような味かどうかが分かる。


 切れ味のよさそうな木製のナイフ、同じく木製のフォークを手に取った。

 スッとナイフが入ると脂の多い肉汁が皿の上に溢れた。


 一口分に肉を切り分け、左手に持ったフォークを突き立てる。

 そして、そのまま口に運んでいく――。


「美味い……こんなに美味い肉は食べたことがない。野生の獣肉だから臭みがあるかと思ったけど、そんなこともない。味付けはシンプルだな、香辛料と塩だけなのか」

「ここは海が遠くて海水が手に入らないから、岩塩を使っているらしい」

 

 すでに調理場に戻ったフランツではなく、村川が口を開いた。


「なるほど、岩塩を使っているなんて知らなかった」

「ところで、夏井は他の場所に興味はないのか? この国はそこまで広くない」

「そう言われればそうかもな。たしか、エルフが森に住んでいて、他所の国へ行くにはそこを通らないといけない……だったかな。広さに関しては全て見て回ったわけじゃないから何とも」

 

 俺の言葉に村川は何度か頷いた。

 この国と周辺の地理に関して、分からないことがたくさんある。

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