解決編
ガクトは文庫本から顔を上げる。一面窓になっているガクト探偵事務所だが、正面に立ったビルのせいで今日も薄暗い。茶色を基調にしたソファーやテーブルも息をひそめるようにしていた。その中で一人、駒山キリがむせている。
カメラを前に、ソファーに座る彼女は激辛焼きそばをすすっていた。「辛い辛い」と「あ、大丈夫そう」を繰り返す彼女は記念と称して、今日も自らの舌を痛めつけている。最初の頃は心配もしていたが、何度も繰り返すうちにもう日常となっていた。
彼女は慌てて水を飲み、息を吸い、悶えている。ガクトは内心あきれながらも可愛らしい姿から目を離せなくなっていた。自身に苦笑する。
キリが焼きそばを食べ終え、配信を切った。と同時に、事務所の扉がコツコツと鳴る。キリは慌ててパソコンを持ち、立ち上がった。ノートパソコンのコードが彼女の足に絡まる。「ホワーッ!」と叫びながらキリがソファーとテーブルの間で転んだ。パソコンを守ろうと、両手を掲げて、顔から倒れ込んだ彼女。八尾がピンと立ち、そしてへなへなと萎れていく。
心配すべきか悩んだガクトは再びノックされた扉に体を向けた。近づき、ぴょんと跳ねる。ドアノブにぶら下がり、そのまま壁を蹴った。ぎぃいと扉が開く。
ノブから降りたガクトは扉の向こうを見上げる。そこには学ランを着た依頼主が立っていた。
キリは依頼主の前にお茶を置き、彼の正面に座る。ガクトは背もたれから飛び出たキリの頭を眺めてから、その向こうにいる依頼主に視線を投げた。
「謎は解けましたか?」
彼から依頼を受けたのは一か月と少し前。ガクトの予想だと、もう謎は解けているころだ。
ガクトの言葉に依頼主は頷いた。けれどその表情には陰りが残っている。
キリも釈然としないのか振り返った。ソファーの背もたれに手を乗せ、顎を乗せる。期待に輝く目にガクトは小さく息を吸い、口を開いた。すとんと机に下りる。
「駒山高校部室棟三階文芸部室で先輩が一時的に消えた事件。同じ階の自動販売機に行った君は部室に戻ると、先輩が消えていた。そしてまた部室を出て戻ると先輩がいた。彼女が消えていたのは一時間ほど。君が部室を出て戻ってきたのはどちらも二、三分。音から判断するに、先輩は部屋の出入りをしていない。ここまではオーケーです?」
開かれたメモに手を載せながらガクトは早口に並べる。また頷く依頼主。
「じゃあ、考えられるのは一つ。先輩は部室の中で隠れていたんでしょう」
「ちょちょちょ、ガッくん。あの狭い部屋のどこに」
本棚に囲まれ、真ん中に長机が置かれた部室。窓に行くにも机に体をこすってしまうような狭い部屋だった。
顎に手を当てるキリにガクトはふうと息をこぼす。
「出っ張った柱がありますよね。あの中身は空っぽですよ」
キリが頭をぶつけたとき、軽い音がした。それこそ「中身が詰まってない」ように響く音だった。
ガクトは目を大きくするキリから依頼主に向き直り、言葉を続ける。
「多分、君は最近演劇部室に入ったんでしょう。文芸部室と同じ角部屋であるはずの部屋には柱がないと気づいたんですね」
線対称の建物で、同じ条件の演劇部室になかった柱。それだけで気づいたのか、邪魔な柱の理由を「角部屋だから」と言っていた先輩を疑ったのか。あるいは両方か。
「部室を比較したら分かるってこと?」
「少なくともきっかけになったかもしれないですね」
キリが頭をぶつけたときの音が決め手というのを隠しつつ、ガクトは口を閉じた。キリは尊敬のまなざしをガクトに向ける。事件を解いたガクトは居心地の悪そうに身をよじった。
「そうなんですよね。演劇部室を見てそこまでは分かったんです」
依頼主の言葉に、ガクトは目を細めた。不安そうな顔を見つめるが、彼が抱いている謎が見えてこない。
依頼主はテーブルの湯飲みを取り、ぐいっと煽った。そしてお茶を置いてまっすぐガクトを見つめる。
「どうして先輩がそんなことをしたのかが分からないんです」
真剣な目でガクトを見つめる依頼主。ゆらゆら揺れる目の光を見ながらガクトは先輩の顔を思い出す。後輩に向いた、からかいに隠れる信頼。そのまぶしさにガクトは顔をしかめた。
「そんなの直接聞けばいいじゃないか」
思わず大きくなった自身の声にガクトは驚く。そして声が震えないように気を付けながら、ゆっくり言葉を続けた。
「君たちは二人きりなんだから」
そう言ってガクトはいつものようにひょいとフミカの頭の上に乗った。
ガクトが猫になったのは数年前。トラックに轢かれて気づけば今の姿になっていた。
探偵家業を始め、迎え入れたキリ助手に好意を持ち始めた頃の事故。
三毛猫の姿には人間社会は厳しく、探偵家業も今まで通りには出来なくなった。
文字は書けなくなり、言葉を発する奇妙な動物に、世は冷たく、自然と仕事も減っていった。
失意の果てに、事務所をたたもうとしたこともあった。けれどキリはガクトを止め、手伝いを雇おうと言い出したのだ。
その中でフミカと出会った。言葉を話せない彼女はいつもつまらなそうな目をしている。フリルのついた紺色のスカートを履く彼女は静かな立ち姿も相まって、どこか人形めいていた。
その姿にガクトは失望した自分を重ね、助手二号として迎え入れた。
たたずまいとは裏腹に、フミカはテキパキと仕事をする。今回の調査でもガクトを紫がかった白髪の上に乗せ、メモを取っていた。
猫になってしまったガクトが人並みに生活できるのは彼女の手伝いがあってこそ。ガクトもそれを理解し、感謝している。
けれど、ガクトはたまに憧れに似た想いを抱いてしまう。
もしトラックに轢かれることなく、人間のままでキリと2人きりで過ごせていたらと。
そんな時、彼の世界からふっと光が消えてしまうのだ。
「もっと優しくしてあげればいいのに」
キリの言葉にガクトはフンと鼻を鳴らした。彼は窓から遠ざかる学ラン姿を眺める。ビルの隙間を抜けて依頼主は明るい大通りへと消えていった。
「彼はもっと先輩と話すべきなんですよ。頭で考えるよりも、答えはすぐそばにあるんですから」
人のこと言えないよなとガクトは自嘲気味に顔をゆがめた。くるりと振り返り、ソファーの上にたたずむキリを眺める。狐耳をピンと立て、銀色の髪と白い肌は光射さない探偵事務所でもほのかに輝いていた。
ガクトの視線に気付き、彼女はにっこりと笑う。
人間だろうと猫だろうときっと彼女は変わらない。ガクトもそれは分かっているつもりだ。
それでもどうしてか、一歩踏み出せない。
また来るとも分からない不条理に怯えているのか、一度壊そうとしたからなのか。ガクト自身も分からなくなっていた。
ただ、彼は二人きりで頑張っていた頃の光溢れる事務所には戻れないと感じていた。
ガクトはうつむいた。すると彼はひょいと抱えられた。驚いて顔を回すと白い手と紺色の袖が見えた。
フミカの珍しい行動に、ガクトは目を白黒させる。そのままキリの頭に乗せられた。
「ちょっと」と悲鳴を上げながら彼を支えるキリ。ガクトは驚いたまま、でろーんと彼女の上に張り付いていた。
フミカは何事もなかったかのように、デスクに戻っていく。いつも通り椅子に座り、首をコキッと鳴らした。そのままガクトをじっと見つめる。
いつも通り興味のなさそうなフミカの視線。けれどその瞳に少しだけ背中を押すような色をガクトは見る。
今までにない彼女の行動、目の色に、ガクトの頬が上がる。そして少しだけ勇気をもらった。
私も変われるだろうか。
ガクトの胸に前向きな言葉が浮かぶ。彼の尻尾が無意識にひょいひょいと動いた。
「にしてもキリさんの頭はあったかいね」
「もう何言ってるの! フミカさんもすましてないで助けて!」
急に騒がしくなった事務所。そこに傾いた西日がすうと差し込んだ。光の筋が現れ、埃がキラキラと輝く。
あの頃とは異なる色。それでもガクトは綺麗だなと静かに笑った。
先輩消失事件~ガクト探偵事務所 ミステリ編~ 書三代ガクト @syo3daigct
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