第2話「盗まれた村、一」
千夜子が失踪した。
正直に言えば、それは驚くようなことではなかった。ミイラ取りがミイラになるように、深淵を覗き込む者もまた深淵に覗かれているように、失踪者と関わりを持つということが新たな悲劇を生むこともある。
だが啓太とて、千夜子の失踪は愉快な話ではなかった。ざまあみろ、と手を叩くようなこともなく、ただただ暗い気持ちが押し寄せていた。
仕方がない、と諦めても。千夜子を失くした喪失感はなくならない。それを忘れるには、その人そのものを忘れる他ないのだ。
それが例え一瞬の出会いとはいえ、忘れることは啓太にとっても辛いことだった。
大学の構内は千夜子を想い悼むかのように、いつもの騒がしさが嘘みたいに静まり返っていた。
「忠告はしたんだぞ」
ポスターを見つめたまま、啓太は自分に言い聞かすように、ポツリと呟いた。
「恐神さんとは知り合いだったんですか?」
「うおっ!」
声を掛けられるまで気づかなかった。啓太のすぐ隣には同じ一回生の女性が立っていたのだ。
「わっ。急に驚かないでくださいよ」
その女性の名前は、確か植田亜子(うえだあこ)と言ったか。普段はあまり話さない女性だ。
見た目は低身長で小顔ながら、目がクリクリとしていて可愛らしい。茶髪のボブカットと小麦色の肌は快活さを感じさせ、健康的な人物と分かる。
亜子はそんな、いつも通りの姿をしていた。
ただ教室での亜子の印象は陽気で騒がしいといった感じだった。なので啓太は、亜子から敬語を使われることに違和感を感じた。
「植田さんはいつもと雰囲気が違うな。何かあったのか?」
「そうですか? 私、人見知りなので、人によって話し方が変わるんです。気になりますか?」
「いや、別にいい」
「それと良ければ、私のことは亜子と呼んでください。その方が私らしくて好きなんです」
「そ、そうか」
こうやって愛想よく女性から話しかけられることが少ない啓太にとって、亜子のフレンドリーな接し方は貴重な体験だった。
これは単なる気まぐれなのか、はたまた意識してのことなのか。女性経験の乏しい啓太には判断がつかなかった。
「恐神さん。無事なのでしょうか」
「さあな。本人が言う通り、行方不明者の六割の所在が確認できているなら、あるいは無事なんだろう。俺には関係ないけどな」
「そんなひどいこと言うべきじゃありませんよ! 出来ることなら私達も恐神さんを探すべきです。同じ大学の学徒として!」
「……千夜子と同じようなことを言うのな」
啓太は亜子の真剣なまなざしを見て、少したじろいだ。亜子は割と本気らしい。その目には強い意志が宿っている。
「まあ、機会があれば手伝うくらいするよ」
亜子は啓太の言葉に、にこりと笑った。
「聞き分けの良い上城さんには、特典として女の子と一緒に帰る権利を上げましょう。嬉しいでしょ」
「はははっ。そいつは非常にありがたいな」
啓太はその申し出を受けて、ポスターの前から離れた。
二人は仲良く話しながら、空になった警備所を通り過ぎ。帰宅のため、大学の敷地から出ようとしていた。
その時だった。
「んっ?」
「あれっ?」
二人が同時に疑問符を付ける。それは目の前に霞がかかったかと思えば、景色が急に変わったからだ。
二人の視界に先ほどまでの道路と車と街路樹の姿はなく。今は山の中に切り開かれた里山の光景が広がっていた。
「ここは、どこだ?」
啓太がやっと振り絞った言葉は、そんなありきたりなセリフだった。
「まるでどこかにワープしたみたいですね」
亜子がまるで他人事のように言う。そうだ。これはあまりにも現実感がない。きっと白昼夢か何かなのだ。
啓太が夢であることを確かめるように、自分の頬を引っ張った。
それでも、夢は覚めてくれはしない。
「とおっ」
亜子が啓太の様子を見て、突然頭に軽いチョップを見舞う。
あまりにも急な衝動だったので、啓太は避けることもままならなかった。
「……何するんだよ」
「いえ、して欲しそうな顔だったので、つい」
亜子がくすくすと笑うのを見る限り、これは夢ではないようだ。
「ともかくここがどこか訊いてみるか。都合のいいことに、村があるみたいだしな」
啓太が指し示すように、行く先には小さな山村があった。
村は閑散としていて建物が少なく、洋風な建物はない。どれも日本家屋らしい、古めかしい雰囲気を醸し出していて、住み心地は悪くなさそうだ。
啓太は村を眺めつつも、一番近くにあった家の扉を叩くことにした。
「すいませーん。誰かいませんか?」
確認するように再三家主を呼び出すも、声は返ってこない。どうやら留守のようだ。
「留守なら、仕方ありませんね」
亜子はそういうと、遠慮なく玄関の扉を開けて中に入ってしまった。
「おいっ。不法侵入はやめとけよ」
「今は緊急事態です。家主さんには後で謝りましょう。それよりも、ここ変ですよ」
人の家に勝手に入って、変とは何事かと思われるかもしれない。だが、亜子の言う通り、そこは少し異質だった。
いや、あえて言うならば、誰もいないのに先ほどまで誰かがいたような雰囲気なのだ。
まるでついさっき食事の準備ができたかのように、食卓の上の配膳は温かそうだ。椅子も数分前には誰かが坐していたかのように、後ろにひかれている。
「昔の幽霊船でこんな話を聞いたことがありますね。あれは、確か……」
「メアリーセレスト号だったか。十九世紀の話だな」
この家庭の献立は、ご飯とサンマ、それにひじきの煮物とみそ汁だった。みそ汁からは湯気が立ち。艶のあるお米も焼けたサンマの照りも、出来立てを証明していた。
「何だか黄泉戸喫 (よもつへぐい)みたいですね。食べないでくださいね。上城さん」
「そこまで卑しくはないって」
その後、簡単に家を捜索しても誰もおらず。古い回転ダイヤル式の黒電話があったので受話器を取るも、電話線は切られており不通であった。
そもそも携帯電話があるので、それを使えばいいという話だ。けれども、当然のように携帯は圏外になっていた。
「完全に陸の孤島ですね。どうしましょう」
「結論をつけるにはまだ早いな。他の家も見てみよう」
二人は共に他の家屋も調べだした。しかし、どの家にも人がいた痕跡はあれど、肝心の人間がいない。どこの電話も繋がってはおらず、亜子の言葉が現実になろうとし始めていた。
「不思議は存在する。か」
「ん、何です?」
「いや、俺の恩人の言葉だよ。この世の不思議は存在する。だから備えなければならない、と口癖のように言っていたんだ」
「……いつもならあり得ないというところですけど、今の状況だと納得せざる得ないですね」
だからと言って、このまま二の足を踏んでいる場合ではない。一先ずここがどこなのか。できれば何が起こっているのか。知る必要がある。
二人は、村の中で一番大きな家に入ってから、方針を変更することにした。
「ここからはパソコンとか日記、携帯を見つけて何が起こったか調べよう。もしかしたらここで起こったことのヒントがあるかもしれない」
「分かりました」
二人は、本棚が部屋を囲むように配列されている書斎らしき場所で、探索を開始した。
まず啓太は書斎の机を調べる。日記はないか、走り書きはないか、鍵の付いた引き出しはないか、一つ一つ確認していく。
最後は机の裏に何か張り付けていないか、仕掛けがないかを隅々まで嗅ぎまわるも、何もない。
啓太が肩を落としていると、どうやら亜子の方では収穫があったらしい。
「これ、日記かもしれませんよ」
亜子は本棚から抜き取った、表紙に何も書かれていないノートを啓太に差し出した。
「中身は読んだか?」
「いえ、全然」
「そうか、なら最新の日から読んでみるか」
啓太はそう言うと、日記を右から開いた。
今日、また村人数人が<影の人>に襲われた。
<影の人>は五日前、弟や村人二人を殺害したヤヒコに間違いないだろう。最近の予兆となる事件は、それしかないからだ。
ヤヒコの死は自殺だった。おそらく死に際に行った、双子の儀が何らかの作用を生み出し、ヤヒコを<影の人>にしたのだろう。やはりアメがミズを犠牲にした双子の儀式のように、実際の血が流れれば術の効果が上がるらしい。
そう言えばヤヒコが気がふれたのも、妻のアメの自殺が原因だった。まだ二十歳になって間もないというのに、おそらくヤヒコとの喧嘩が心を病ましたのだろう。それにしても孤児院に預けたヤヒコとアメの赤子はどうなったのだろうか。無事だといいが。
ともかく、今は自分の身を守らなければならない。当然村長として村人を指揮する立場であるが、自分の身の安全が第一だ。
外からの助けを期待したいところだが、山を下りた若者たちも<影の人>に襲われて、少人数しか帰ってこなかった。
今は村人たちに指示した通り、神社に集って身を寄せることが優先されるだろう。神社なら悪霊の類は近づきにくいはずだ。それに何らかの神の御加護があることを望むほかない。
昔購入した、金庫の中にある銀のペーパーナイフを持っていこう。どうやら<影の人>は普通の武器では傷をつけられず、銀のような聖なる物が必要なそうだ。
私のような非力な者が持っていても仕方がないとはいえ、何も持たぬよりは良いだろう。
確か金庫の暗証番号は、昔噂で流行ったロクロクロの名前をそのまま数字にしたはずだ。
準備が整い次第、直ぐに出発しよう。後は幸運を祈るしかない。
日記の最後には、そう書かれていた。
「この家は村長のものだったのか。それにしても影の人とか双子の儀式って何だ?」
啓太が疑問に思いながら、日記を遡って同じ語句を探す。すると、影の人については詳細が書かれていた。
「影の人は濃い人影そのものである。違うところは、それが意思を持ち人を襲うことである。影の人は顔や全身の輪郭ははっきりしていても、表情は読み取れない。人を襲う時、影の人は腕を鎌のように使い、人を斬りつける。斬られた場所は、なかなか治癒しないらしい。
また、影の人は突然出現する。出現の兆候は全身に静電気が流れるようなピリピリとした痛痒感を感じることだ。その時は急いでその場を離れるべきだ」
啓太は日記にある影の人の特徴を口にした。
「それにしても、影の人、か。まるで都市伝説みたいだな」
「都市伝説ですか?」
「アメリカだったかな? シャドー・ピープルって呼ばれてて、突然人前に現れるそうなんだ。出会った人に近い将来起こる不吉な予言をして、去っていくらしい」
「それも人を襲うのですか?」
「いいや、そこまでは聞いてないな」
啓太は腕を組む。そもそもこの日記に書かれたことを丸々信じて良いのか。それが問題だった。
第一、影の人などという超常現象が現世にあるというのが疑わしい。まるでこの世に霊や妖怪が出現するかのような物言いだ。
ただし、この誰一人存在しない異常事態。その原因がこれにあるのなら、注意することに越したことはないだろう。
「これから、どうします?」
亜子に促され、啓太は次にどうするか口にした。
「とりあえず村長が書き残した金庫でも調べてみるか」
「えっ!? 盗みでも働くんですか!!」
「違うよ。日記に書かれていた銀のペーパーナイフ、もしかしたらまだ残っているかもしれないだろ。影の人とかいう化け物に遭遇しても、それがあれば少しは頼りになるはずだ」
「そうですね。でも、それでも盗みであることに変わりは――」
「既に不法侵入しているだろ。今更罪の一つや二つ、変わりはしないよ」
啓太の犯罪者めいた発言に、亜子は不信な目で啓太を見ている。状況が状況とはいえ、発言に問題があったことは啓太も自覚していた。
「確認だ。確認。村長が先にナイフを持って行ってたらそのまま閉めるよ」
「本当ですか~?」
「誓って本当だよ!」
啓太は、村長の金庫を探しに行くことにした。一応、もしものために日記も持っていくことにする。これから何が起きるか、どの情報が必要になるか、分からないからだ。
啓太と亜子は二人で、部屋を移動した。
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