292カオス 「自由」に書いてみる
『「自由」の危機 ――息苦しさの正体――』(集英社新書)という本を読みました。新しい本なので、いまなら書店の新書コーナーで見つけることができるでしょう。日本学術会議の会員任命拒否をめぐる問題や、あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」展示中止をめぐる問題を通して、「自由」とはなんなのか26名の著名人が文章を寄せた論考集です。
おもしろいです。一読の価値あり。
わたし、このエッセイや他の創作論で「自由」に書けばいいとさんざん書いてきましたが、「自由」について考えることはほんどないんです。「自由」ってなんだって思って読んでみたのですが。
冒頭のふたつの問題について、わたしの率直な意見を書いておくと――
① 日本学術会議の会員任命拒否について
コップの中の嵐としか見えない。どうでもいい。ただ、政府は拒否理由を明示すべき。
② 「表現の不自由展・その後」展示中止について
文化政策には気前よくしてあげたらいい。政府は度量が狭すぎる。
「学問の自由」や「表現の自由」を絶対視するなんてナンセンスですが、かといって具体的な害(合理的に説明できる不都合)が見えないまま、こうした自由を制限するっていうのは、ずいぶんと強引なやり方じゃないですか。感心しません。
この本に登載された論考は、うなずけるもの、首をかしげるものいろいろあって面白いです。おなじ自由について書いているのですが、書く人の立場・経験によってさまざまな解釈があるんだとわかりました。おもしろいです。
なかでも、つぎの3名の方の文章がわたしの気持ちを代弁してくれている~と気持ちがよかったので抜き書きしておきます。
☆☆☆
「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」では、天皇の写真を燃やす場面が登場する映像作品や「平和の少女像」が攻撃されました。(中略)批判の的となっていた作品の本来の趣旨について書かれた文章が出てきた。でもそれは美術関係者の目には触れても、一般の人たちの目にはあまり触れないような不親切な形でした。「なんとしても一刻も早く一般市民の人たちを説得せねば!」という情熱が感じられない。「愚民の説得なんてハナから無駄」と思っている節さえ感じられ、それは良くないと思いました。(会田誠/美術家)
私は学術会議の問題を、「学問の自由」の問題としてだけ語るのでは不十分だと思っています。それは社会全体で人権が守られているか、「学問の自由」や「表現の自由」の意味が理解されているか、といった問題として考えるべきだと思います。
自分自身がいつも不当な扱いを受けていて、世の中とはそういうものだと思っている人は「自分にも人権なんかないんだから、他の人に人権がなくても当たり前だ」と考えるでしょう。そういう状態にならないためには、「自分の人権が守られている」という自覚がある人が増えることが大切です。自分が不当な処遇を受けたら、抗議して声を上げるのが当然だ。そうしたら、必ず応答してもらえるのが当然だ。そういう自覚が持てているのが「人間として正しいあり方」、つまりヒューマンライツが守られている状態です。
(そうでない社会では、)「学問の自由」とか「言論の自由」とかは、ただの「きれいごと」とみなされるか、特権的な身分にいる人がぜいたくを言っている、としかみなされないでしょう。(小熊英二/歴史学者 括弧内は藤光が付け足しました。また、小熊さんの文章を、抜き書き、並べ替えています)
市民革命以前の人民にとって、支配者は「民衆とつねに利害が相反」する存在であった。だから、人民は支配者の権力の制限についてだけ考えていればよかった。しかし、民主制を市民が打ち立てたあと、理論上は人民の代表が社会を支配することになった。支配者の利害と意志は、国民の意志と利害と一致するという話になった。
(しかし)代議制民主制のふたを開けてみたら、そこで「民衆の意志」と呼ばれているものは「実際には、民衆の中でもっとも活動的な部分の意志、すなわち多数者あるいは自分たちを多数者として認めさせることに成功する人々の意志」だったからである。「民衆がその成員の一部を圧迫しようとすることがありうるのである」。「民衆による民衆の支配」という予想していないことが起きた(のである)。
(こうした社会では、)市民的自由と社会的統制はどこかで衝突する。私的自由と公共の福祉はどこかで衝突する。自由と平等はどこかで衝突する(のである)。(こう考えてくると、自由に関する議論の出発点のひとつは、)どこまで市民的自由を制限することが許されるのか(ということに落ち着く)。(内田樹/思想家、武道家 括弧内は藤光が付け足しました。また、内田さんの文章を、抜き書き、並べ替えています)
☆☆☆
内田さんの論考は、学術会議の問題に触れてもいないです。「自由とはなにか」という問題と比較して、枝葉の問題だとでも言わんばかり。目先の自由に捉われるなって感じでしょうか。
わたしも目先の自由に捉われない――小説書けるのかなあ。わたしの場合、「小説とはこうあるべき」とか「賞を狙うならこのテーマで」とか「読者さんに読んでもらえる小説は」とか、そんな不自由からの自由がほしいんですけど、枝葉の問題ですかね、やっぱり(笑)
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